右肩に感じた温もりにゆっくりと振り返れば、俺とは違う真っ黒な綺麗な瞳がじっとこちらを見ていた
それが意外な人物である事とその鋭い視線に一瞬だけ固まるが直ぐに頬の筋肉を緩める

「どうしたんスか、邦枝先輩」
「……あなた、寝れてないの?」

目、と自身の瞳を指差す先輩に思わず視線を窓に向けて自分の顔を覗き込んだ
そこにははっきりと浮かぶ深い隈
ただでさえ日に焼けない肌にくすんだ色の隈は目立っていた
一体何日寝れない日が続いたのかそこで始めて考えてみたが、俺の記憶の中から答えは見つけ出せなかった

「えっとー……最近ちょっと寝不足なんですよね」

はははと笑ってみても邦枝先輩の表情は少しも変化しない
ただずっとその黒い瞳で俺の、おそらくバレバレであろう上辺だけの笑顔を見ていた

さすがにこの状況はどうしたらいいのか分からないと色々考えていたら、休養の足りな過ぎる頭が限界を訴えるように痛み出した
最大限の気力を振り絞って苦痛を隠す
すると邦枝先輩は静かに一つ息をついた

「何があったのか知らないけど、無理はしないでね」
「いやぁ、邦枝先輩に心配されるまでもないですよ」
「勘違いしないで」

尖りのある声にまた身体が動かなくなる
先輩は今までで一番鋭い視線を俺に向けて、そしてふっと目元を緩めた

「あなたには、笑っていて貰わなきゃ困るのよ」

今度こそ身体が固まった
頭痛のせいかはたまた別の何かか分からないが、キーンと耳鳴りがする

「人を蹴ったり殴ったりするのはね、少なからず痛みを伴うものなのよ。人を傷付けて平気でいられるのは薬をやっているか精神病を患っている様な人。誰だって最初に人を殴った時に感じるのよ。爽快感と共に、恐怖をね」

人を傷付ける心の痛み
そして地面にひれ伏した人物を見て感じる恐怖
強くならなければ自分もいずれこうなると言う圧力

全てに打ち勝って始めて強い人間になれる、邦枝先輩はゆっくりと語った



「……でも、俺には分かりません」

理屈では理解出来ても実体験のない俺にとっては先輩たちの気持ちは分からない
やはりどうやったってこの人たちの横には立てないんだ

下げた視線の片隅でまた邦枝先輩が柔らかく微笑むのが見えた気がした

「でもね、いくら強い人間でも必要なのよ、安らぎの場所がね」
「安らぎ…」
「あなたが笑ってないと彼、いずれ負けちゃうんじゃない?」

彼……ってまさか男鹿のことか?
いやいやいやあの男鹿が俺が笑わないから負けるだなんて天地がひっくり返っても有り得ない、てかそんな理由で負けたとか言われてもかなり困る

「それはないっスよ」
「言い忘れたけど彼だけじゃないわ。神崎や夏目、姫川あたりもきっと同じよ」
「……それは更にないと思うんですけど」

あの神崎が?姫川が?
夏目さんはまぁ何考えてるか分からない人だけど、クラスが一緒でそりゃバレーの練習とかしたけどさ、あれはお互い退学が掛かってた訳だし、呉越同舟だろ
やっぱり絶対それはない

「だったらあなた真っ先にあいつらにやられてるんじゃない?」

………それはそうだけども!
確かに俺喧嘩死ぬほど弱いですよ
あの人たちの中に男鹿にやられた人もいるからあいつに恨み持ってる人絶対いるだろうし、そんなやつのダチが格好のカモだったら俺なら速攻でそいつ襲うと思うけども!
でも、絶対にそう言うんじゃない
てかあの人たちが本当にそう思ってたらぶっちゃけキモい通り越して怖い



「あなたは私たちの中では異色の存在だから、だからこそ貴方には後ろで待っていて欲しい。あなたには私たちの後ろで闘っていて欲しい。終わった先にあなたの笑顔があるから、彼はあそこまで強いのよ」

微笑みながらそう呟く邦枝先輩は本当に綺麗だった
でも俺の顔は違う意味で赤く火照っていく
今まで馬鹿みたいに悩んでいた事が、この出会って数ヵ月の先輩に悟られてストンと身体の底に落ちて行った気がした
頭痛は未だ収まらないけどこめかみの方から熱が込み上げてくる
まだ気持ちが溢れ出る前にすいませんと言って足早にトイレへと向かった


邦枝はそんな古市の後ろ姿を見詰め、小さく呟いた

「悔しいけどそれはあなたしか出来ない事で、私もそれを望んでいるのよ」






パタンと閉めた3階の男子トイレには運良く人ひとり居なく、それでも古市は一番奥の個室へ入った
誰に聞かれる訳でもないのに嗚咽を必死に噛み殺して涙を流す
頭痛は酷くなる一方だったけど、カーディガンの袖で涙を拭う度に気持ちがすっきりしていく気がした

「…ぅ……っ…」

男鹿が始めて人を殴ったのは一体いつだったか記憶を遡ってみる
けどやはりそれを見つけ出す事は出来なくて、代わりに残暑響く暑い日に二人で屋上にいた風景が頭に浮かんできた

昼飯を食おうとしたら案の定男鹿は怖いお兄さんたちにお呼ばれをされ、先に生ぬるい風が通る屋上にいた時
埃とどこか鉄の香りがする男鹿が程なくやって来た
先にメロンパンを食べていた俺に男鹿がずりーぞと飛び付いてきて真夏の空の下、二人で馬鹿みたいにメロンパンを取り合いっこした


間近で感じる鉄の匂いはやっぱり他人のもので、それでも俺たちは確かに笑っていた


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