社長令息と社長令嬢の式となれば、必然的に式自体も来賓も豪華なものとなる。無論、当人たちに掛かるプレッシャーは相当な物だ。そんな俺の不安を何時もの通り簡単に見透かした彼女は、肩の力を抜いて下さいと優しく背中を撫でてくれた。純白のウェディングドレスに身を包んだ彼女は、この世の人とは思えないほど眩しい位に美しかった。


「貴方は最後まで、放って置けない方ですね」
「最後って、これから夫婦になるんだから余計に迷惑掛ける事になると思うんだけど…申し訳ないけども」


苦笑しながら素直にそう自白すれば、彼女はいいのです、とただ微笑んだ。俺が今まで彼女と一緒に居て分かった事は、この笑顔は何かを隠す為の物であると言う事だけだった。結局、それに気付いてもどうすることも出来ない無力な俺は、曖昧に微笑み返すだけなのだ。



式は滞り無く行われ、残すは誓いの儀式だけとなった。最も神聖で犯すことの出来ない儀式。牧師の言葉に誓います、とそれぞれ返し、彼女と向き合って羽のようなベールをそっと捲る。露になった彼女の表情は、先程と同じ微笑みを携えて居た。ゆっくり、唇を寄せる。それが何故か数年前の、まだ肌寒い卒業式の日と重なる。薄くかさついた唇の感触は、今でも鮮明に覚えていた。


……男鹿。


何度も忘れようとしていた。忘れた方が良かったからだ。無かった事にすれば、男鹿に、周りに、迷惑を掛けない。何より自分が傷付かずに済む。


(嗚呼、)


やはり俺はどうしようも無い奴だ。こんな、こんな大事な時に浮かぶのは目の前の彼女では無く、数年前の男鹿の顔なのだ。自分の都合だけで男鹿から逃げ、自分の都合だけで彼女を巻き込み、そして自分の都合だけで忘れようとしていたのに。そら、見ろ。俺はなんて身勝手な奴なんだ。こんなにたくさんの人を巻き込んでまで、俺は、おれは。


それでもお前の事が、好きで好きで、堪らないんだ。


「……古市ッ!!」


記憶の中の声が重なった。重なる寸前だった唇を思わず離してしまう。
そんな筈は無い、と心の中で叫ぶ。しかし、おそるおそる振り返った先に居る人物は、忘れもしない三白眼をしていて。

ああ、間違いない、あれは男鹿だ。背も伸びて声も低くなったけど紛れもない、男鹿辰巳だ。俺はただ太陽の光を背にして立つ男鹿を、見詰める事しか出来なかった。


「だ、誰だね君は!?」
「警備員は何をやっているんだ!!」


硬直してる俺とは裏腹に、周りの人たちは一斉に騒ぎ出す。無理も無い、こんな展開安いドラマでしか見た事がない。しかし、男鹿の後ろで倒れてる警備員やSPを見て、誰も手を出せずにいないようだった。そんな騒ぎの中、男鹿はただ俺を見詰めて静かに呟く。


「古市、お前を、迎えに来た」


区切るようにはっきりと男鹿は言った。それはもっとたくさんの事を聞きたいけど、我慢している様に見えた。当たり前だ、俺が勝手に断ち切って、逃げ出したのだから。男鹿の気持ちなど考えずに、ただ自分の都合だけで。
それでも男鹿は何も言わずに迎えに来てくれた。こんな俺の為に手を差し伸べてくれた。けれど俺にはその手を掴む権利なんて、ない。たくさんの人に迷惑を掛けた俺だけが幸せになるなんて、あってはならないんだ。戦いて、後退りをする。