※いろいろ捏造注意。
※古市が社長令息で、未来設定です。
※最終的にはちゃんとおがふるです。






「ごめんなさい。きっと俺は、貴女を愛せません」


後は若い二人で。そう常套句を置き土産に部屋を出て行った互いの両親の気配が消えてから、開口一番にそう言った。嘘は、付きたくない。もちろん、目の前に行儀良く座る女性に何の落ち度も無い。

だからこそ、ありのままの本心を伝えた。うっかり、一人称が普段通りに戻ってしまう。曲がりなりではあるが、社長令息である矜持も、肝心な時に役に立たないのだなと、久しぶりに自分の人間臭い部分に触れてどうしようも無くほっとした。


「ええ、はい。そうでしょうね」


鈴と通る声が静かに響いた。鹿威しが静かに、鳴る。動揺の欠片どころか、確信に満ちていたその声色に、思わず畳に擦り付けていた頭を上げる。目の前の女性はただ静かに、それでいて深く頷いた。黒曜石のような瞳に映るのは、紛れもない優しさで、自分の方が動揺する番だった。


「やっと、こちらを見てくれた」


貴方ずっと、目線は私を見てるのに心はどこか遠くにあるんですもの。鮮やかな着物の袖を口元にあて、ふふと女性は小さく笑った。その仕草は妖艶で、初めて目の前の女性が大層美貌であることに気付いた。自分さえも知らない心中を見透かされて、頬が火照る。目の前の女性は綺麗で、それでいて恐ろしい。


「あら。お気付きになられなくて?きっとその理由が、いま貴方が伏せている事と関係あるのかと、てっきり」
「いえ…貴女のおっしゃる通りです」
「左様ですか。して、貴之さんには何処か別に、愛する女性でも?」
「はい。…あ、いえ、正確には少しだけ違います」
「少し、とは?」
「世間的に受け入れられるものではない、と言う事です。令嬢である貴女に、これ以上俺の都合を押し付ける訳には、」
「貴方、本気でそう言っていらっしゃるの。だとしたらとんだ方ですね。真正面から女の矜持を否定して、これ以上の不都合など何があると申されるのですか」


女性は初めて不愉快そうに柳眉を寄せた。焦燥を感じると同時に、至極最もだと思った。それにどうやらこの女性は、少なくともここまで最低な事を言った自分を叩き出すなどと言う魂胆は無いらしい。それどころか逆に、共感を示してくれる程なのだ。
一つ、大きく息を吸う。


「片想いなのです。小さい頃から高校までずっと一緒だった…男に。こんな外見や家柄で他人から距離を置かれがちな俺に、初めてまともに向き合ってくれた人なんです。素行は良くなくて…所謂不良と言う奴でしたけど、本当はとても優しかった。両親は問題児であった彼に顔をしかめましたけど、録に友人の居なかった俺を思って見て見ぬ振りをしていました。けど、俺が本格的に会社の跡継ぎとして指導を受ける様になってからは、自然と距離が開いて行きました。…そして彼と疎遠になりつつあった高校三年の卒業式の日、俺は前触れもなく、彼にキスをして一方的に逃げ出したのです。理由を追求されるのが嫌で、…き、嫌われるのが怖くて、俺はそれからすぐに引越しをして彼に関するありとあらゆるものから縁を切ったのです。でも、」
「自分の想いだけは、断ち切る事が出来なかったのですね」
「はい、…はい、っ」


誰にも打ち明ける事の無かった全てを吐き出して、気持ちが軽くなった安堵と、それ以上の後悔に苛まれる。それでも、滲む視界の中で女性が柔らかく微笑んだのが分かった。


「人を愛する事に、仕切りなどありません。私は恋愛とは当人たちのエゴイズムで成り立っているとも思っています。しかし、私たちの様な人間は本当の“恋愛”をする事はそうそう出来ません。自らの利己心だけで行動しては、周りに迷惑が掛かってしまう立場だからです。現にこうして、私たちは互いの会社の為に、未来の安泰の名の下に、政略結婚を迫られているのですから」
「…はい」
「残念ながら私は貴方の背中を押す事は出来ません。先程も述べた通り、この問題は当人たちだけではどうしようも出来ないのです。私たちの気持ちがどうであれ、私たちは互いの会社の為に、この結婚に頷くしかないのです」


言葉には出さなかったが、そう淡々と呟く女性の顔が哀しそうに歪んでいた。俺は、こんなに優しくて、それでいて強い人にまでこんな顔をさせてしまうのか。そんな自分の身勝手さと無力さにどうしようも無く苛ついた。彼女はきっと、俺以上に自分の心を殺して生きて来たのだ。それなのに身勝手を言う自分を責めるでなく、ただ優しく諭す瞳はとても強くて。強すぎて痛々しいくらいだった。


「俺、あいつに出会ってなかったら、間違いなく貴女に惚れていました」
「あら、そうですか。それはどうも」


先程までとは打って変わって、お世辞を受け流すような彼女の態度に苦笑する。こればっかりは本当の事なんだけどなぁ、と。曲がりなりにも人の上に立つ両親の目は確かだったと言うべきか。目の前の女性は俺には勿体無いくらいの婚約者だった。


「それに私は、貴方に感謝していますのよ」


部屋を出ていく直前にぽつりとそう呟いた彼女の真意は、結局聞き出せないままだったが。