幽霊やら霊感やら、非科学的で何も根拠のない事実を受け入れるほど、俺は知識のある人間でも出来た人間でもなかった。たとえそれがもし科学的に立証されたとしても、さっぱりだと言うことには変わりないが。まぁ、あれだ。てっぺん目指す不良には多少の見栄も必要だってことだ。

けどそんな俺の生きていく上でどうでも良かった認識が覆ったのは、高一の夏だった。今までのじめじめした不快な日が続いたと思ったら、台風一過のその日は一転して空気が澄んでいた。暑いのには変わりないが。
コンクリートから立ち上る熱気が視界を歪ませる。照りつける日に目を細めながら歩いていると、前方に、佇む亜麻色が見えた。


「…なにしてんだ、お前」
「あ、神崎くん」


長い髪は鬱陶しくないのかと疑問を抱くが、振り返った夏目の顔には汗一つ浮かんではいなかった。一般的に見れば爽やかと称される、胡散臭い笑顔も標準装備のまま。猫背で重い足を動かしながら、身体中に汗をかいてる俺とは雲泥の差だ。いや俺の新陳代謝の問題じゃない。断固として。その証拠に俺たちの横を通ったくたびれたサラリーマンも、ハンカチ片手に必死に汗を拭っていたのだから。

それに比べて夏目はTシャツの上にパーカーを羽織って涼しい顔をしている。なんだこいつ沖縄で育ったのか。


「暑さを感じねーのか、お前は」
「どっちかって言うと寒がりだからねー。にしても今日いい天気だよね。神崎くんもひょっとして散歩?」
「ばーか。んなクソ暑い日にそんな悠長なことやってんのは日本中でお前くらいだっての。ヨーグルッチでも飲まなきゃやってられるか」
「俺は昨日みたいな日の方がやだよ。湿気で髪ごわごわになるし」
「女子かテメーは」


あはは、と目の前のこいつは涼しい顔で笑う。うぜぇ。舌打ちをしながらふと夏目の肩越しに背後を見やった。電柱と、ガラス瓶に生けられた白い花。
それが意味する事を想像して眉を寄せた。入学してこいつとつるむようになってから、ろくな事がなかった。今回も何となくそれと同じ気がする。根拠?知るか、ばーか。


「え、この人?神崎くんって言って凄く面白いんだよ」
「誰が面白いんだ誰が。つか、お前誰に話して…」


まるでその場に子供がいるみたいに、夏目は腰の横の空間に手を添えた。長い髪が俯いた顔に影を落とす。夏目はそのまま一人で会話をし出して(恐らく話相手がそこにいるのだろうが)、しばらくしてからバイバイとまた何もない空間に向かって手を振った。


「…神崎くんは、やっぱこういうの信じない人?」
「まぁ、俺は何も見えねーし感じねーからな。ただ…」
「ただ?」
「お前が見えるっつーんなら本当にいるんだろうな」


髪と同じ淡い瞳が僅かに大きく開かれた。なんだかんだ言ってこいつも大概顔に出やすい。なんてからかったら倍返しをくらいそうだから止めておくが。


「いつも見える訳じゃないよ。時々ぼやーって見えてくるんだ。いつからだったかは、思いだせないけど」


夏目の目には、そこに存在する人間と、本来存在しないはずの人間が見えるらしい。区別が付きにくいから最初の頃は違和感を感じなかったのだと。そしていつからか、自分が他人には見えないものが見えるのだと気付いた時には、周りの自分を見る目も変わっていたのだと言うことも。


「なんで俺に話したんだ」
「んー、なんとなく?」
「呑気なのはその頭だけにしとけ」


それでもこうやって屈託なくこいつは笑う。それでいいだろう。こいつの中に土足で踏み入れるのも、遠巻きから珍しいものを見るような視線を送ることも、とやかく偏見を言う必要もない。変わるところなんてどこにも見当たらない。

そしてそんな俺の些か能天気な部分をこいつは知っていた。俺もこいつがそんな事で隅に蹲るほど純粋なガキじゃないのを知っていた。


「俺の名前ってさ、真名じゃないんだよね」
「マナ…?誰だそれ」
「固有名詞じゃないよ。要するに本当の名前じゃないってこと」


夏目は俺に対して無防備過ぎるんじゃないだろうか。少なくとも俺の知ってる夏目は、自分の中を鍵も閉めずに開けっ放しにするようなやつじゃなかった。
それがどうだ。今のこいつは扉を開けるどころか俺をその中に招いている。いや、合鍵を渡したと言った方が正しいか。

さしずめ俺はこいつの同居人って事か。拒否権はないだろうな恐らく。随分強引なやつだ。全く、どちらが上に立っているのか分からなくなる。


「俺が生まれる前に生まれてくるはずの人がいてね、慎太郎はその人に付ける名前だったんだって。ちょうど、生きてれば神崎くんのお兄さんと同じくらいの。俺はもちろん、両親でさえ顔を見ることすら叶わなかったらしいけど」


母体の羊水の中で死んだ夏目の兄貴がこの話を聞いたらどんな顔をするのだろう。ふと、家を出た俺とは容姿も中身も真逆な兄貴の顔が浮かんだ。家系が家系だけに、問題が起きる度に眉を寄せる兄貴は歳の割りに老けて見える。


「俺はね神崎くん、この力はその人がくれたものだと思うんだ。きっとあの人はまだこの世にいて俺を待ってる、そんな気がする。いや、俺は会わなきゃいけないんだ。会って、返さないといけないから」


こいつの存在を定義出来るのは名前しかないと思っていた。儚いなんてそんな綺麗な言葉は似合わないが、たぶんそれに近い存在なんだ。少し目を離したらふらっと消えそうな危うさを持ってると思えば、時として強引に引き込もうとする。そんな形に囚われない生き方をするこいつを唯一定義するのは、名前ぐらいしかない。

それなのに、


「返すなよ」
「………」
「そんなのはただの思い込みじゃねーか。今更になって返すとか言うな。大体、お前の不名誉な名前貰ってくれるやつなんて世界中捜してもいねーだろうよ」
「神崎くんには言われたくないなー」
「うるせぇ、勝手に言ってろ」


舌打ちをして足を踏み出した。刹那、思い出したように身体から汗が噴き出す。ついさっきまでまるで冷気に当てられているみたいだったのにも関わらず。暑いのは嫌だがあの寒さよりは何倍もマシだ。


「あちぃ、死ぬ。マジで冷えたヨーグルッチ飲まないと死ぬ。おら早くコンビニ行くぞ」
「えー、俺んち逆方向なんだけど」
「うるせぇ、金持ってねーんだよ」
「神崎くんなにしに行こうとしてたのさ」


笑い声が響く。その足は俺の歩みに合わせて二歩後ろから追ってくる。ふらりとどこかに行くこともなく。それでいてしっかりと自らの意思で、夏目はここで笑っている。

合鍵は依然として渡されたまま。





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