※死ネタ注意




アバレオーガと称された俺の親友にして史上最凶の幼なじみである男鹿も、蓋を開ければ人の子と言うわけだ。棺から除く血の気のない顔は今にもその目付きの悪い瞳を開きそうで。たまらなくなって視線を自身のつま先に移した。

そう、事実男鹿は死んだのだ。あの殺しても決して死なないような男が。小さい子を庇ってトラックにひかれるという、まるで漫画のような展開で。
これじゃあまるで男鹿がいい人みたいじゃないか。なんて、こんな状態でも口角は上がる。きっと、いや絶対に周りで熱くなった目頭を抑えている人は、俺の表情の変化に気付いてないだろう。
でも俺は男鹿が優しいのを知っていた。知っていて気が付かないふりをしていた。そうじゃなきゃ、男鹿の死が廃れてしまう。男鹿が優しさに殺されたなら、俺は一生それを許せないから。男鹿の死を、仕方ないの一言で片付けるのが怖かった。死をもってまで少女を助けた男鹿を、偉大なやつだったと褒めたくなかった。

どうせならかっこよく自分共々生き残れよ。意地汚さはお前の十八番だろ。なんで責められないような死に方したんだ。男鹿のばか野郎。ばか野郎。

その呑気に寝てる顔をぶん殴ってやろうかと、握った拳が震えた。



***




煙突から立ち昇る煙を見上げながら、踵を返した。首まできちっと着込んだ学ランのホックを外す。そうすると少しだけ体が軽くなった気がした。

辿りついた先は石矢魔の屋上だった。知らず知らずにいつも家から通る道を歩きながら。自分でも女々しいなーなんて、自嘲する。休日の学校はいつもの騒音が嘘みたいに静かだった。きっと明日になっても前みたいな騒ぎにはならないだろう。一生。
フェンスに凭れながら空を仰ぐ。本日もよろしく快晴だ。まだ長袖のセーターを着ていた頃、トランクス姿のでかいおっさんと一緒に黒い学ランの背中を叩いた記憶が蘇る。涙を浮かべながら笑い合ったあの日だ。あの時の涙はさっき見た大人たちが流すようなものに比べれば、何倍も幸せに満ちたものだったと思う。目の前にある鋼鉄性のフェンスがぐにゃりと揺れた。

ふと、眼下に写ったのはなにか白い大きな物体だった。隣の棟はこちらの棟に比べて低い位置にある為、その屋上には給水タンクがある。ここと違って生徒が寛ぐスペースはなかったが、なんとなくその日当たりの良さそうな場所に焦がれた。

フェンスに足をかけて飛び移る。校舎の隙間を駆け抜ける強い風が下から体を叩く。浮いたのは一瞬なのに、まるで空を飛んでるみたいだった。


そんなコンマ何秒かの後に、俺の身体はあの給水タンクの上に降り立つ予定だった。そのはずだった。しかしなんの偶然か悪戯か知らないが(そもそも一瞬とはいえ空中にいる人間に悪戯をする人が果たしているのか定かではないが)、全く知らない場所に飛ばされていた。
正しく言えば知ってるも知ってないもない。ただの真っ白い空間だ。そこに俺は頼りなさそうに浮いている物体と化していた。

なんだこれは。
俺はジャンプしながら寝たと言うのだろうか。いやさすがにそれはない。じゃあどうして俺はこんな空間にいるんだろうか。誰か知ってるなら教えてくれ。


「いいよ」


突然背後から聞こえてきた声に危うく心臓が飛び出るところだった。だが振り返ってみて再び目を見開く事になる。だって真っ正面にいたのは石矢魔の生徒でもなければましてや幽霊となった男鹿でもない。

古市貴之。どこからどう見ても俺自身だったのだから。


「なんで俺が……まさかドッペルゲンガー?」


ドッペルゲンガーって確か三人見ると死ぬって言われてるよな。


「ちげーよ。正直証明、俺はお前だ」
「お前が俺?」


訳が分からなくなる。確かに目の前にいるのは俺だ。だって俺が本人なんだから間違うはずもないし。かと言ってこいつは俺であって俺じゃない。今朝男鹿の葬式に行くために鏡の前に立ってぼさぼさの髪をセットする時に、鏡に写った俺の顔とは幾分か違う。

目の前に佇むこいつは、目が赤くなって腫れてもいないし顔もやつれていない。血色のいい頬にかかる銀色の髪の毛にも艶がある。今の俺とは似ているようで似つかない。正しく言えば俺が変わっただけなのだが。


「俺はお前の望みを叶えに来たんだよ」


そう言って屈託無く目の前の俺は笑った。俺はこんな風に笑うんだな。


「望み?」
「俺ならお前が失ったものを取り戻すことが出来る」


そうか、こいつは数日前の俺だ。男鹿を失う前の。その事実に気付いてようやく俺は激しく心臓が胸を打っている事に気が付いた。鼓動があばらを押し上げて痛い。


「お前が俺と入れ替わる事で、失うはずのものも失わずに済むんだよ」


自分と同じ顔が笑うのはおかしな感じがする。いや、薄気味悪いと言った方が正しいか。こんな笑い方ならなおさら。自分の顔じゃなかったら反吐が出るところだ。


「……いいのかよ、お前はそれで」
「なに言ってんだ。俺はお前の為に言ってるんだろ」


確かに、変えられるなら変えたい。男鹿が死ぬという運命を。でも例えそうすることによって悲しむ人がいなくなっても、俺の側に男鹿が再び戻って来てくれるとしても、未来を変える訳にはいかない。もし俺があの時道路に飛び出した男鹿を制したとして、男鹿が助かったとする。でもそれじゃああの時の女の子は?きっとトラックの下に容易く引き込まれるだろう。
そうなったら男鹿は俺を殴るだろう。力いっぱい。俺が唇の端から血を流しながら「だってお前が死んじまうから」って泣きながら呟いたって、男鹿は俺を許さないだろう。だって男鹿がそういう人間だと言うのを俺は知っているから。だから、分かるんだ。


「俺には、出来ない」


なにより男鹿が許してくれない。ここで俺が頷いたら、男鹿は煙になった身体のまま俺をぶん殴りに来そうだ。だから駄目だ。別に殴られるのが怖い訳じゃない。それよりも、今まで俺たちの守ってきた関係が崩れる方が、もっとずっと怖い。


「どうして……」


目の前に佇む俺が、驚愕に目を見開いた。その瞳に写る絶望の色を、俺は見逃さなかった。こいつも怖かったんだ。今は側にいるのにこれから無くなってしまう温もりを考えて、きっと気が狂いそうだったんだ。だから、禁忌を犯してまで俺の元に会いに来たんだ。
見た目が違ったとしても、やはりこいつは俺そのものだった。


「ごめん。俺はあいつを裏切れない」


今の俺の顔は目の前の俺にどう写って見えるのだろう。きっと大層情けない面をしてるに違いない。俺は情けない人間だ。男鹿が死んで、それだって一種の裏切り行為だってのに、当の俺は男鹿を裏切れないのだから。あぁ、だから俺ってヘタレって言われるのか。


「…馬鹿だ俺。こんなことしたって自分の首締めるだけなのにな」


そう言って目の前の俺は笑った。壊れそうなくらい儚いそれだった。俺はこんな表情までするんだろうか。そして目の前の俺は微笑みながら続ける。


「受け入れる事は、つらくて苦しい。それは自分を守ってくれる嘘がなくなるから。けどそれじゃあ、いつまで経ってもあいつは地獄に行けないぞ」


だから俺は、例えそうなっても受け入れるよ。何年かかっても、少しずつゆっくりと。そう呟いた目の前の俺は、周りの白にかき消されるように姿を消した。ここの対価はあいつが払ってくれたらしい。未来にまつわる事。そして、俺と会った記憶を引き替えにして。




***



目覚めた先に写ったのは青空だった。
身体を起こしてみると下には給水タンク。太陽の熱をたっぷり浴びていた表面は熱いくらいだった。

あれは、俺が作り出した者だ。過去の俺ではなくて、いつまで経っても前を見ようとしない俺の弱い心が生み出した幻影だったんだ。きっとそうだ。もし、過去の俺の誘いに応じたら今頃どうなっていたかなんて、考えたくもない。

どこまでが嘘でどこまでが本当かは分からない。ただ一つ言えるのは、俺は男鹿の居ない世界を選んだんじゃない。男鹿は確かにここに居たという証が残っている、この世界を選んだんだ。
それは俺にとっても、そしてあいつにとっても必要にして充分な答えだったんだと思う。
俺はそう信じたい。





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