押して駄目なら引いてみろ、とは良く言ったものだと思う。




***



「先生」
「っ、・・・男鹿」


西日の照りつける教室で補習を受けていたあの日以来、俺は新任の古市先生・・・もとい俺の片思いの相手に対してなにかとちょっかいを出すようになった。
まぁ流れとは言えキスまでしたしな。深い方も。
さすがに鈍い鈍いと思っていた先生もようやく自分の置かれている立場を理解したらしい。俺の顔を見る度に動揺している。ご丁寧にいちいち目を見開いて、どうやらあの時のキスを思い出すのか顔を赤く染める先生ははっきり言ってめちゃくちゃ可愛い。その顔が見たいが上に、今まで以上に先生に絡んでいることを、きっとこの人は気付いていない。


「なぁ、先生。今ちょっといいか」
「っ、悪い!会議の資料見直さなきゃいけないんだ」


そう言って早足で職員室に入ってく古市先生。てか会議って水曜日だろ?今日まだ金曜日だぜ。嘘付くの下手だよなぁ。
ピシャリと音を立てて閉まったドアを見詰める。俺の勘じゃ、あの反応は脈ありだと思うのに、なかなか先生は強情だ。先生と生徒っていうのもあるかもしれないが、そんなの今更だろ。


「さて、どうすっかなー」




***




思いの外力を込めてしまったらしく、大きな音を発して背中にあるドアが閉まった。
それ以上にバクバクと心臓がうるさい。まるで病気みたいだ。


「いや、もう病気だろ・・・」


病気だ、十分に。年下の、しかも男子生徒に対して、こんな邪な感情を抱いているなんて。

いつからか、ため息を付ながらも補習を行う事が楽しみになっていた。
いつからか、あの鋭い三白眼が自分を写すのが嬉しくなっていた。
いつからか、成績を上げるために補習をやっているのに、男鹿のテストの結果を見るのが怖くなっていた。
そしていつからか、変わりばえのないテストの結果を見る度に、ほっとする自分がいた。

つ、と唇をなぞる。あの日ここに触れた温もりは、今でも鮮明に思い出す事が出来る。女のふっくらした唇ではなく、男の薄い唇が触れた時に背中に走った細波のような電流は、紛れもない情欲だった。


「ああああっ!違う違う!!なに自分の生徒に対して盛ってんだよ俺…っ!」


思考を掻き消すようにかぶりを振った。
大体、男相手だという時点でアレなのに、それに加えて男鹿は自分の生徒だときた。いくらなんでも犯罪だ。それだけは教師の尊厳に掛けて破ってはいけないだろう。

未だに目線が合う度にドキリとしてしまう自分の心を叱咤しつつ、相手は生徒、相手は生徒と何回も自己暗示をかけた。
もう男鹿に対して動揺せず、ちゃんと生徒の一人として接することの出来るように。

すでに思考まであいつ一色に染められている事に、気付かないふりをして。




***



必死の自己暗示が功を成したのか、男鹿の姿を見ても今までのようにあからさまに動揺することはなくなった。
だが俺のそんな努力も虚しく、いつからかぱったりと男鹿のしつこいくらいだった誘いは無くなった。なんと言うか、骨折り損だ。まぁ何もないに越した事はないけど。


「男鹿くん、最近なんかまるくなったよねー」


二人の女子生徒とすれ違う際に、不意打ちであいつの名前が出てきて思わずびく、と足を止めてしまった。幸い、二人に気付かれるという失態はおかさなかったものの、俺は不躾にも、女の子二人の会話に聞き耳を立ててしまう。


「だよね!私なんか今日頑張って話掛けてみたよ」
「えっ、本当!?前まではなんと言うか、近寄り難いオーラが取り巻いてたけど、それも無くなってアタックするチャンス増えたよね」
「ねー。あたしこのまま頑張っちゃおっかなー」
「あ、ずるい!抜け駆けは無しって言ったでしょ!」


やはり聞き耳なんて不躾な真似しなければよかった、と思った時にはもう遅い。思春期の女の子らしく好きな相手に思いを馳せるその姿は、端から見たらきらきらしていて和む光景のはずなのに、どうしてだろう、今は鳩尾辺りがずきずき痛む。
それを理由に俺はそっと踵を翻した。足音さえ静かなだったものの、ちくちくと荒れる心境はその歩幅をどんどん広げていって、仕舞いにはいつの間にか走り出していた。


「っはぁ、はぁ、・・・・っなんなんだよ」


放課後の廊下には幸い人影はなく、不審な目で見られる事はなかったが、俺は行き止まりになるまで校舎内を全力疾走していた。思い出したように流れてきた汗がこめかみを伝って目の中に入る。ぎゅっと目を瞑れば、目蓋の裏に浮かぶのは、あの時の夕陽に照らされて赤く染まった男鹿の顔で。


『先生も大概鈍いよな』


脳内にリフレインする言葉と共に蘇る唇の温もり。
あぁ、そうだよばか野郎。俺はどうせ鈍いですよ。お前より何歳も年上なのに、余裕なくて悪かったな。お前が女の子にもてるの知ってたのに、お前はずっと俺を選び続けるだなんて、身勝手な確信を抱いてたのもお前にはどうせお見通しなんだろ。生徒に対してこんな邪で醜い感情を抱いてることも、素直になれない自分が嫌で仕方ないってことも、全部。
認めるから。いくらでも認めるから。だから、


「俺のこの気持ち、分かってるなら来いよ・・・ばかおが」


そしてもう一回、好きだって言えよ。
そしたら、そしたら今度こそは俺も――










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