***



「貴様らが課題とやらに夢中で坊っちゃまも退屈しておられたのだ。調度良い、ぜひとも行ってこい。ただし坊っちゃまに何かあったら殺す」


鶴の一声ならぬ悪魔の一声・・・もといヒルダさんからの許可も出たところで、なぜだか男二人と赤ん坊で水族館に行く羽目になってしまった。まるで意味が分からない。ただもっと分からないのは、男鹿の異常なまでの機嫌の良さだ。なにかと周りから「表情の変化が乏しい」と言われる男鹿だけど、俺からしたらこんなに分かりやすいやつはいないと思う。だからってそれが自慢な訳ではないし、むしろこんな能力いらなかったんだが、これも腐れ縁という立場上仕方のないことかもしれないと半ば諦めているのも事実で。


「あ、そーいえば現社の宿題が名所を回るやつだった」
「じゃあちょうどいいじゃねーか」
「そんなの結果論だろ」
「んな固いこと言ってると禿げるぞ」
「・・・都合良く話進められてる気がしてちょっとムカついてんだよアホ」


素直にそう呟けば、これまた気持ちに素直な拳が飛んできた。こいつは遠慮という言葉を覚えた方がいいと思う。身心ともに。



***



電車に揺られること一時間半。
海沿いに隣接する誰もが知っている水族館は、夏休み最終日だと言うのにカップルや家族連れで賑わっている。覚悟はしていたつもりだったが、いざ目の前にしてやっぱり引け腰になってしまう。大体、こんなところ男二人で来る場所じゃないって。しかもオプションで赤ん坊まで付いてるし―――

入り口で立ち止まった俺に、痺れを切らした男鹿が近付いてくる。そして強い力で手首を握られて引っ張られた。あ、いま舌打ちしやがったなコノヤロウ。

ズルズルと引き摺られて入場券を買い、館内に入ってようやく踏ん切りがついた。お金を払ってしまった事もそうだけど、なにより水族館独特の神秘的で落ち着いた雰囲気が元から好きだった。幼い頃、初めて水族館に連れてきてもらってからはしばらく図鑑を手放せなかった。いつ見ても海の生き物は優雅でおおらかで、どこか優しい。


「なんだお前、嫌がってた割には楽しんでんじゃねーか」
「ちが・・・っ!」


ほんの少しの間だけ黄昏ていた所を目敏く指摘され、羞恥心から慌てて否定しようとした言葉はしかし最後まで紡げなかった。
振り返った先にいた男鹿との距離がびっくりするほど近かったのだ。それはもう息がかかる位に。あ、こいつ案外睫毛なげーのな・・・ってなに考えてんだ俺。

バチっと音がなりそうなくらい合わさった視線に耐えきれなくなり、俺の方からさりげなく目を反らした。水槽に反射してる俺の顔は海水により青く写っているのに、妙に頬が熱かった。男鹿の背中に引っ付く全裸の赤ん坊は、初めての水族館に興味津々と言った風にきょろきょろと身を乗り出している。


「・・・否定はしない」
「またまた〜。素直になれよ古市くん」


―――素直に、

そういえばいつから、俺はこんなにあまのじゃくになったんだろう。前までは喜怒哀楽全てを素直に男鹿にはぶつけて来たし、そこまで気を許せる仲なのは男鹿だけだった。それは男鹿も同じで、うまく言えないけど俺たちはそんなこんなで腐れ縁なのだ。

――それが崩れ出したのは果たしていつからかだっただろう。

俺の男鹿に対する気持ちが「腐れ縁」以上になってしまったのは、
なんてことない気持ちをはぐらかそうとしてしまうようになったのは、

俺は。



***



しばらくメインの大きな水槽の中を気持ち良さそうに泳ぐエイやサメを見てから、比較的人の少ない水槽を見て回っていた。青色は人を落ち着かせる作用があると言うが、本当にそうみたいだ。先程のささくれた気持ちは今ではすっかりおとなしくなっていた。


「あ、あったぞ古市」
「って、急に手引っ張んじゃねーよ!」


急に子供のようにはしゃぎ出した男鹿に引き摺られて辿りついたのは、洒落たアクアリウムの中をたゆよう白い物体。


「・・・・・クラゲ?」
「見れば分かるだろ」
「え、なにお前。クラゲ見たくてここまで来たの?俺を巻き込んでまで?」


ちゃんと「俺を」の部分を強調して言ったが、案の定効果はなかった。男鹿は不規則な動きを繰り返す様々な形のクラゲに興味を引かれたようで、色んな水槽をしきりに覗いている。元々クラゲが嫌いではなかった俺もため息を一つついて、ぷかぷかと浮かぶその柔らかそうな傘を見ていた。


―――柔らかい・・・?


「あ!クラゲだったのか」


あの夢に出てきたのは。
すっきりした頭と裏腹に、なんでよりにもよってクラゲなのかという疑問が浮かぶ。海の生き物が好きだと言っても、俺はどちらかと言えばサメやイルカなどが好きだった。要するに王道派だ。クラゲは種類が多く、見分け方も難しかったのでぱらぱら読んでいた程度だった。

男鹿は俺の反応に少しだけ怪訝そうな顔つきをしたが、次の瞬間にはきれいさっぱり疑問を思考から取り去ったらしい。顔つきがすぐに元通りになった。おいもうちょっと突っ込めよコノヤロウ。


「・・・で、なんでクラゲなわけ?お前そんなにクラゲ好きだったの」
「バカヤロウ古市、俺はお前のためにここに来たんだぞ」
「・・・・・はい?」


たっぷり5秒、男鹿のその発言の意図を読み取ろうと頭を回転させたが、結果としては全くもって分からなかった。
時々、いやかなりの頻度で意味不明な発言をする幼なじみが本気で心配です。


「お前にそっくりだろ、こいつ」


そう言って指差したのは目の前の水槽。もちろん男鹿が言ってるのはガラスで作られたものではなく、その中に浮かぶクラゲの事だ。
え、てか俺がクラゲに似てるって、正直嬉しくもなんともないんですけど。


「さっきテレビのCMでこいつが映ってて、古市が喜ぶだろうなって思った」


だから来た。なるほど、なんて単純な小学生思考だろう。思わず遠い目をしてしまった事を許してくれ。


「・・・・おれってそんなに軟体動物並みに貧弱なのか?」
「なんだよ、嬉しくねーのかよ。せっかく連れて来てやったのに、もっと喜びたまえ古市くん」


いや、そう言われてもだな・・・
だけどあの夢を見た手前、クラゲとの対面は男鹿の暴挙で片付けるにはどこか引っかかりがある。自分に未来予知などのサイコキネスがあるとは微塵も思ってはないし、だからと言って偶然とは言い難い。


「ほら、似てるだろお前に」
「すまん、全く分からん」
「白いところとか、ふわーっとしてるところとか、柔らかそうなところとか」
「男鹿、長い付き合いだけど俺はいまお前の言ってる事が本気でこれっぽっちも分からん」


そう言えば男鹿はなんだよ、と口を尖らせた。おい誰かこのガキ大将をなんとかしてくれ。


「・・・そういえばクラゲって、ずっと泳ぎ続ける体力がないから波がないと死んじまうって聞いたことあるな」
「なんだ、ますますお前に似てるじゃねーか」
「はぁ?なんでだよ」
「お前も俺がいなかったら死んじまうだろ」


どくん、とまた鼓動があばらを押し上げて思わず心臓の上をわし掴んだ。






「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -