音も衝撃も感じない世界でどこかに背中から突っ込む感じがした。現実味のない浮遊感に初めてああ夢か、と気付く。
落下する夢は寝ている最中に立てた膝を落とした時に見ると聞く。でもどうしてだろう、昨晩自分のベッドに入って目を閉じた記憶がない。

ゆらゆらと揺れる中で、根拠はないけどなんとなく海中にいるんだと思った。あ、待てよ。水の夢はお漏らしした時に見ると聞いたことがある。いやいやいや、さすがに高校生になってそれはないだろう。いくらベッドの下にトランクス姿のおっさんが潜んでいたとしても、だ。いくら脱糞して尻を拭く前に拉致られたことがあったとしても、だ。これ以上イケメンキャラの尊厳を踏みにじることはしないよな。いくらなんでも、な。

ドツボに嵌まって行く思考を絶ちきろうとしてかぶりを振る。そこではじめて目の前に白いもやもやしたものが漂っていることに気が付いた。うぉっと思わず声をあげたのは、そのもやもやが想像以上に至近距離いたからだ。近すぎて全身が見えない。


―――なんかこいつ、見覚えがある気がするな


なんだっけ、と思考を巡らせても所詮は夢の中、朦朧とする意識では頭も身体も動かない。
そんな事を考えていたら段々瞼が重くなってきた。いや、正確にはもう俺は寝ているはずだから、目を閉じるもなにもないけど。

頭が心地よい靄に包まれる直前、無意識に伸ばした手が白いものに触れた。夢の中のはずなのに、柔らかい感触がした。


***


「・・・ん」


ようやく現実世界で目が覚めたと思ったら、もわっとした湿気が起き抜けの気だるい身体に襲いかかってきた。不快感に眉を潜めてざらざらする感触に気が付く。目の前には夏休みに出された課題といつの間にか放り出されたシャーペンが転がっている。どうやら夏休みの課題をやっている最中に寝てしまったらしい。
課題に顔を埋めて眠っていたから涎が染みていないか心配だったが、寝付きはいい方だ。真っ白のテキストに染みはない。ただ真っ白過ぎるのも困る。

案の定課題は進んでおらず、居候のおっさんが居ても気が利く小人さんが生憎うちにはいないので、寝ている間に終わってる、なんてことはなかった。


「てか、なんでこんなに部屋暑いんだよ・・・身体ベッタベタじゃねーか」


窓の外を見ればまだほの暗い。薄いレースのカーテンから漏れる僅かな陽は、あの夢の中でみた光だったんだろうか。それにしては膝を立てて寝る体制ではなかったし、当たり前だがお漏らしもしてない。それに、あの白いもやもやの元凶ももちろんいない。

あまりの暑さにエアコンのリモコンを探してはっとする。テーブルの上で突っ伏して寝ていた俺に対して、ベッドの上に横たわる影があった。それは予想通り男鹿の姿で、そういえば夏休みも終盤だった昨日、二人で残った課題を夜中までやっていたんだった。
その男鹿の横、親に似て大の字で寝ているベル坊の手の中にエアコンのリモコンがあった。エアコンがいつの間にか消えていたのはこいつのせいか。一つため息をついてから、その小さな手の中からリモコンをそっと抜き取った。電撃付きの癇癪が恐ろしいので細心の注意を払ったつもりだったが、リモコンが手から離れた瞬間、ピクリと小さな手が動いた。


―――やばい・・・


「ダァ・・・ブー」


不機嫌な唸り声に慌ててあやそうと近付くが、一度機嫌を損ねた次期魔王様を一人間の俺が扱えるはずもなく―――


「ビェェェェェェェェェェン!!!」
「ぎゃあああああああああ!!!!」
「ぐわあああああああああ!!!!」


夏休み最終日である8月31日の幕開けは、世にも恐ろしい叫び声のトリオで始まった。



***



「古市てめー俺を殺す気か」
「・・・すまん」


さすがに罪悪感を感じて素直に謝った。朝っぱらから働いた魔王の子供は、人間界の父親の手から嬉しそうにミルクを飲んでいる。


「ったく朝っぱらから電撃くらうわ身体は汗まみれだわ、おまけに課題は終わってないわ散々じゃねーか」
「いや、お前課題やるどころかシャーペンすら握ってないよね?完璧俺に押し付けようとしてたよね?」
「だまらっしゃい古市くん」


起き抜けにも関わらずドきついヘッドロックをかます男鹿の脇の下で、俺は潰れたカエルのような声を上げた。決して嫌な臭いな訳じゃないが、汗臭いものは汗臭い。密着している分暑苦しい。


「あっちーよアホ!放せ」
「あーそうだな。古市風呂」
「どこの仕事帰りの亭主だ!俺も汗だくなんだよ。急いで入ってくるから待ってろ」
「却下。今すぐ入りてー」
「ここは俺んちなんですが!」


一語ずつ強調して訴えても相手はアバレオーガ、情けもなければ聞く耳もない。自分であだ名を付けておきながらしっくり来すぎだと思う。

最終的には「じゃあ一緒に入れば全部解決じゃねーか」とほざき出した男鹿に、本気で頭が沸いたかと思ったが、取っておいたハーゲンダッツを泣く泣く捧げることでなんとか収拾がついた。


さっとシャワーを浴び、汗に濡れた服を洗濯機に放り込んで髪も乾かないうちに急いで脱衣場を出る。
けど急に目の前に立ちはだかった「何か」に突っ込む羽目になり、強かに頭をうった。ふわりと覚えのある臭いが鼻孔を擽る。


「いっ、た・・・って男鹿?」
「水族館に行くぞ古市」


脈絡もくそもない男鹿の発言に、本気で暑さのせいで頭が沸いたのかと思った。






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