ヒュッと耳元で風を切る音が聞こえた気がした。同寺に身体中を包む圧迫感が消え失せ、ドサリと地面に転がる。
ゲホゲホと涙が滲むくらい咳き込みながら、俺は不明瞭な視界の中に煌めく金色を見た。


「...侍女悪魔が人間に肩入れするか。地に落ちたな、ヒルデガルダ」
「それは貴様のほうであろう、ヘカドス。後継者争いに惑わされてただの血肉を漁る野獣に成り下がったか」


ピリピリと二人の間に走る殺気に俺は苦い生唾をこくりと飲み干した。


「いや、貴様の目的は後継者争いに打ち勝つ事では無かろう。さしずめ人間である男鹿に負けた己の名誉挽回と言ったところか」
「...侍女悪魔風情が知ったような口を聞くな!」


ダンッ、とヘカドスが槍を振りかざす。が、ヒルダさんはそれをなんなく受け止めた。彼女の周りには先程俺の四肢を絡め取ったあの黒い靄がとぐろを巻いている。だけど不思議と背筋が粟立つような嫌な気配はしなかった。


「貴様こそ気易いぞヘカドス。くだらぬ私怨でベルゼ坊っちゃまとその周りを取り巻く者に危害を加えると言うのなら、私は黙っていないぞ」


ヒルダさんの持つ剣先に靄が巻きついていく。その膨大な魔力にヘカドスは目を見開いた。


「人間界を滅ぼす主君に仕えながら、人間を庇うと言うのか!」
「庇う?何を言っておる」


ヒルダさんが剣を振り下ろす。辺りに爆発音が響いた。突風と身体を襲う砂埃に目をしかめながらも、俺はヒルダさんの呟きを聞き逃さなかった。


「主君の望みを理解するのも侍女悪魔の務め。あやつらが死んでしまったらぼっちゃまはお泣きになるだろう。それにあやつらには色々と借りがあるのでな」


俺はなぜかヒルダさんが笑っているような気がした。


「ヒルダさん...」
「早く行け古市。ぼっちゃまの為とは言え、私は大魔王様の命令に背いたのだ。これ以上ここに留まるのなら、人間界に叩き返すぞ」


振り返ることなくそう呟いたヒルダさんの心情は、俺なんかがはかれるものじゃない。
一番辛かったのはヒルダさんだったんだ。自分が仕えるベル坊と、その親である大魔王の命令に板挟みにされて、俺のように自分の望みに従って動けるような立場ではなかった。そんな彼女が俺を助けてくれた。この行動が示す意味を、俺は受け取らなくちゃいけないんだ。


「...ありがとうございます。ヒルダさん」


たくさんの意味を込めて。そう呟けばヒルダさんはフンと軽く笑ってくれた。

踵を返して再び城門と対面する。そびえたつそれの禍々しさに気圧されるような事はもうなかった。


男鹿、お前はこんなにもたくさんの人に思われてるんだな。ちょっと妬けるじゃねーか、馬鹿野郎。








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