私は昔……昔とは言っても、高校一年生の頃の話だったりするのだけれど。高校一年生の夏、およそ二年前まで私は、成宮鳴と付き合っていたのだ。鳴とは同じ中学校で、初めは仲のいいただの友達だった。しかし、それはいつの日か恋人という関係に変わった。
付き合い始めたのは、中学校を卒業してすぐのことだった。鳴が「俺たちさ、付き合おうか」とぽつりと言葉を零したのだ。私はそれに、二つ返事で応えた。友達の延長線で付き合ったようなものではあるけれど、お互いにお互いを好きだということは確かだった。
だけどそれは、長く続かなかった。野球で忙しい鳴とは、デートらしいデートをしたことなんてなかった。それに、学校が違う私たちが一緒に過ごせる時間は限られていた。
しかしそれは、大した問題ではなかった。そう、友達の延長線だったからなのか、不安になることなんてなかった……はずなのに、鳴が辛いときに私は傍にいられなかった。高校一年生の夏、鳴の甲子園での暴投。その日からずっと、鳴とは連絡がつかなくなった。
後でカルロスくんや白河くんから聞いた話によると、暫くの間は練習には勿論、部屋からも出てこなかったらしい。連絡にも応じてくれず、会いに行っても面会謝絶。そして、久しぶりに連絡が来たかと思えば、「なんで、青道になんか行ったの?俺たちさ、別れようよ」という、私を突き放すものだった。
「なまえ?」
「あ、一也」
「なにぼーっとしてんだよ」
「ご、ごめん」
今日は、一也に誘われて甲子園の予選を観に来ていた。一也とは高校に入ってから、三年間ずっと同じクラスだった。それで、実は一也とは少し前から付き合っていたりする。
一也のことは、鳴絡みで中学生の頃から知っていて、高校で初めて会ったときから気にはなっていた。もちろん、当時は鳴と付き合っていたし、そういう意味で気になっていたというわけではない。ただの興味だった。
しかし、何かの縁なのか、一也と私は異様なくらい接点があった。クラスが三年間同じだということが一つ。他にも、席替えをしても毎回のように席が近かったり、委員会が同じだったり……とにかく、一也といる時間はかなり多かった。席替えなんかは完全にくじ引きだし、委員会だって男女で分かれて決めるから、本当に偶然以外の何ものでもない。
初めはただの興味だったのに、鳴に別れを告げられて、一也と関わっていくうちに、それは好意へと変わった。これを俗に運命と呼ぶのではないか。そんな風にさえ思ったんだ。
「あー、そっか。今日の第一試合、稲実だったもんな」
「え、どういうこと?」
「なまえ、鳴と付き合ってたんだろ?」
「……なんで一也、知ってるの」
「俺だって、鳴と話くらいするしな」
隠していたつもりはなかったけれど、言うつもりもなかった。でも、一也は知っていたんだ。これじゃあまるで、私が一也にわざわざ隠していたみたいじゃんか。でも、もしかしたら実際そうなのかもしれない。私は、一也に鳴との関係を知られたくなかったんだ。
「俺さ、なまえのこと、中学生の頃から知ってたんだよ。」
「え?」
「なんなら、お前らが別れたの、俺のせい」
そう言って笑う一也は、何を考えているのかが分からなくて恐くなった。
私と鳴が別れた原因が、一也?意味が分からないにも限度がある。だって一也は、私と鳴が付き合っていた頃に、それを知っているような素振りを見せたことなんてなかったじゃん。まず、一也と鳴の話をしたことなんてたったの一度もなかったじゃんか。
ていうか、それなら何で今更鳴の姿を見せたりなんかしたの。さすがに今更心が揺らぐなんてことはないにしても、やっぱり少し思い出してしまう。日直を押し付けられたこともあったし、バカにされるのなんてしょっちゅうだった。それでも、毎日が幸せだった。今だって、一也と一緒にいられて幸せなのに。なんで今更、鳴のことをわざわざ思い出させるようなことをするの?一也は一体、何を考えているっていうの?付き合う前も付き合い始めてからも読めない奴ではあったけれど、今は本当に、全然分かんないよ……!
一也の顔を見られずに下を向いていると、第二試合の開始を告げるアナウンスとサイレンが聞こえてくる。一也は「お、始まった」なんて言って、見ていなくてもグラウンドへと視線を移したのが雰囲気で分かった。
「俺、一年の頃の夏に、鳴に言ったんだ」
「なに、を?」
「なまえのことが好きだって」
「え?」
「なまえはさ、俺のこと好きか?」
「好きじゃなかったら、こんな風に一緒にいないよ……」
私の返事に一也は納得したように笑って頷くと、すぐに視線をグラウンドへと戻した。その横顔がなんだか楽しそうで、一也が考えていたことが少しだけ分かった気がした。
このタヌキ男は、わざと鳴のことを見せて私を試したんだろう。魔が差したのかなんなのかさ分からないけれど、本当にこういうことは心臓に悪いからやめて欲しい。わざわざ嫌われるかもしれないようなことまで言って、見た目に反して女々しい奴。そんなことをぼそりと口にすれば、一也は気まずそうにグラウンドよりも遥か遠くを眺めるのだった。
ただ少し、鳴とまた昔みたいに話したいと思ってしまったのも事実だ。未練があるわけでも、そういう気があるわけでもないけれど、いつかまた鳴と話せる日が来ることを私はこっそり祈るのだ。そんなことが一也に知られたら、また面倒なことになりそうだから、秘密にしておこう。今はただ、こうして一也の横にいられるだけで、私は満足だ。