※男主人公です。
始業時間の数分前、教室の窓から見下ろしたチャリ置き場に二人を見た。なまえくんと靖友。寮住まいで通学用の自転車を持っていない靖友が、なまえくんを荷台に乗せてママチャリを漕いでいく。黄緑、という特徴的な色から、それがなまえくんの自転車であることはすぐに分かった。チャリ置き場につくと同時に二人はもつれるように自転車から降りて、校舎へと走りだす。時々互いを振り返りながら笑って走る二人を俺はただ見ていた。
着替えが終わって部室を出ると、なまえくんが部室の壁に持たれるようにして立っていた。出てきた俺の姿を見て一瞬固まる。
「新開くん、お疲れ」
それでも先に口を開いたのはなまえくんだった。片手に持っていた携帯を器用な動作でポケットにしまう。荷物という荷物は持っていない。一度家に帰ったんだろうか。
「部活終わった?」
「ああ、今丁度ね。靖友?」
頷いたなまえくんを見て、部室の中の様子に目を移す。靖友は隅の方で電話をかけていた。時折煩わしげに頭をかいている。この前言ってた妹の誕プレ催促だろう。
「電話中みたいだ。外は暗いし中で待っとけよ」
なまえくんが少し遠慮がちに部室に入ってくる。運動部の部室に入るのは初めてなのか、落ち着かなさそうに視線を動かしている。借りてきた猫のような様子に、一人置いていくのも可哀想な気がして、隣で靖友を待つことにした。それだけで浮足立つ気持ちを胸の奥に押し込める。
「何か用でもあった?」
「ノートが返ってこないから催促」
そういいながら、なまえくんが靖友の方をちらりと見た。さっきから電話では誕プレだとか、お土産だとかいう単語があがっている。男友達に誕プレもないだろうし声も女の子のようだ。
「……誰だよ」
ぽつりとかすかな声でなまえくんが呟いた。拾おうか迷って俺は聞こえなかったことにした。そうすれば自分の薄暗い願望を少しだけ癒せるから。
「そういえばさ「なまえではないか」
帰り支度を終えたのか、なまえくんに向けて突っ込んできた尽八に声はかき消された。尽八の後ろには寿一が続いている。靖友も尽八の大声でなまえに気がついたのか、焦ったように携帯に何か言っていた。
「誰か待っているのか?」
きょろきょろと落ち着かない尽八に押され気味に、なまえが荒北を待っている、と告げると尽八の目がきらりと光った。
「そうか。では、なまえも一緒にコンビニに来るといい」
「コンビニ?」
「部活帰りの小腹を満たすにはちょうどいい場所だぞ」
帰宅部のはずのなまえくんが小腹を満たす必要があるのか分からないが、尽八の押しに負けたなまえくんは軽く頷いた。
「テメェは何いじめてんだよ」
なまえが頷くのと同時に尽八の頭にげんこつが落ちる。後ろに立っていたのは靖友だった。
「いじめとはなんだ! この東堂尽八が気を回してやったというのに!」
その言葉にはっとして尽八の顔を見ると、にやけた顔で靖友に絡んでた。迷惑そうな靖友はいつもとは少しだけ違う様子で尽八のデコを叩く。なまえくんと寿一は何の話か分からないまま、いつも通りの展開に呆れていた。ただ俺だけが切られたような痛みを覚えている。そのことに何かが胸で淀むのを感じた。
コンビニは寮近くの門を出て、5分ほど行ったところにある。なまえくんもそっち側に家があるらしく、まぁついで、と着いてくることにしたようだった。前を行く尽八と寿一、後ろには残りの三人が並ぶ。真ん中はなまえくんだった。
「そういや、朝から靖友がなまえくんのチャリこいでんの見たぞ」
先ほど言いそこねた話題を出すと、なまえくんはにやっと悪そうに笑った。
「荒北のせいで遅刻しそうだったからこがせたの」
「ハァ?」
反対側の靖友が食ってかかる。
「荒北が俺のノート寮に忘れたせいだろ。ついでに返すのも忘れてくれるし」
「うっせぇよ」
部室で受け取っていたノートを丸めて肩を叩きながら、なまえくんがケラケラ笑う。靖友も嫌そうな顔を見せながら、口元は緩んでいた。気の置けないふたりの空気に胸に圧迫感を覚えながら、俺は顔だけ笑った。
中学の同級生。なまえくんの転校。高校で再会。話の端々に聞こえてくる言葉を繋げば、ふたりの関係はだいたい分かる。それは3年になってようやくクラスメイトになった、ただの同級生では手の届かない距離なのだろう。胃液のように胸をせり上がってくるものは羨望だろうか、それとも違う何かだろうか。
「でも荒北エンジン、マジ速かったよ」
また乗せてほしい。そう言うなまえくんにとうとう靖友の嫌な顔が崩れた。気に入らないので口をはさむ。
「じゃあ今度は新開エンジンにも乗ってけよ。荒北エンジンよりも速いぜ」
ばきゅん、といつものポーズをなまえくんに向けると、また嬉しそうになまえくんが笑い靖友は本気で嫌な顔をした。コンビニはすぐそこだった。
――――
「さて、帰るか」
言い出しっぺの東堂が帰りも仕切り、それぞれ買ったものを胃袋に入れた俺たちはぞろぞろと一つの生き物のように動き出す。寮と家にそれぞれ別れようとする空気の中で、靖友が声を上げた。
「俺、借りてぇノートあっからなまえん家寄って帰るわ」
がっしりと腕を掴まれたなまえくんは驚いたような顔をしている。靖友の言葉に最初に反応したのは寿一だった。
「なんだ、靖友。ノートなら貸すぞ」
普通に考えれば、至極当然な提案。少し固まった空気の中で尽八が慌てたように動いた。
「いーのだ! 福ちゃん! では、俺達は帰るぞ!」
そうして寿一の背中を押して寮の方へと歩き出す。それぞれに別れを告げて、俺も寮の方へ足を向けた。2,3歩行って振り返る。靖友となまえくんがコンビニの明かりの中から暗闇へと消えていく。友だちというには少しだけ距離が近い。思わずぐっと握った拳の骨がキシキシと傷んだ。
寮の方へ視線を戻すと尽八がこちらを振り返り、大声で名前を呼ばれた。小走りで合流すると、尽八がニヤニヤした顔で近寄ってくる。
「荒北も山神の粋なはからいにさぞ感激しているだろうな!」
クールな印象を崩す馬鹿笑い。それに釣られて頬を緩めながらも、心に降り積もっていく重たいものを振り払うことは出来なかった。
「尽八はいつから知ってたんだ?」
靖友の片思いを、とは続けなかった。何も知らない寿一にまで聴かせるべきじゃないと思ったから。思った通り、寿一は首をかしげながらも黙って聞かないふりをしてくれた。
「そんなもの山神の洞察力をもってすれば容易なことだ。むしろ俺はお前が知っていることに驚いたぞ。もっと鈍くなかったか?」
なまえくんのことなら分かるよ、とは言えなかった。叶うはずもない片思いを口にして、傷を深くするのは嫌だ。そんな思考が回る時点でもう手遅れかも知れないが。
笑ってごまかした俺を不思議そうに見ながらも、尽八は前に向き直った。
「しかし、こんなこともあるのだな」
そのまま尽八は星がまたたく夜空へと視線を向ける。俺の視線は下へと落ちた。歩道のコンクリートが歩く速度で流れていく。
「普通では無いのかもしれんがお互い好き合うというのはいいことだ。俺は応援するぞ!」
尽八の言葉の後に落ちた沈黙に、お前はどうする?、と問われているような気がした。
俺は純粋に同性愛者というわけではない。男でもいい、と思えるぐらいに好きなだけだ。多分、3人共そうなのだろう。ただ同じ感情でも奇跡みたいに噛みあったり、独りよがりであったりで示される結果は違う。努力を続ければ強くなれる、自転車とは違う。
そして俺の思いは叶わない。諦めなければ。忘れなければ。靖友を応援しなければ。どんどん重たくなる蓋と同じように重く淀んでいく心を知った。
放課後の学校は外から聞こえる喧騒とは対照的に中は静かだ。プリントのために自分の教室に戻る足を進めながら、昨日の夜を少し思い出した。そしてその時に比べて随分落ち着いた自分の気持ちに驚く。馬鹿が考え過ぎるとから回るだけだな。単純な話だったんだ。俺はなまえくんが好きで、でも多分失恋した。
叶う方とか叶わない方とか考えても、俺が靖友になれるわけじゃない。仕方ないことだ。胸が傷まないわけではないが、靖友を応援する。そう決めた。
静かな校舎で辿り着いた教室の扉を開けると、いつもより大きく音が響いた。1人だけ中にいた男子がはっと顔をあげる。なまえくんだった。
「あ、お疲れ。新開くん」
いつも通りの挨拶に笑みが溢れる。
「今日日直だったけ?」
「昨日、遅刻ギリギリだったからもう一回ってさ。荒北のせいだ」
恨みがましく日誌を睨むなまえくんに思わず笑うと、その目がそのままこちらを向いた。
「新開くんは荒北の味方かよ」
「俺はいつもなまえくんの味方だよ」
冗談まじりにそういうとなまえくんは純粋にただ嬉しそうに笑った。
「じゃ百人力だな」
俺はその笑顔が嬉しかった。胸の痛みを押し殺してでも、なまえくんに幸せになってほしいと思えた。
ふとなまえくんが黙りこむ。そして隠すように視線を日誌に落とした。
「そんで百人力な新開くんに質問なんだけどさ」
少し笑いを含んだ言い方では、緊張は隠しきれてはいなかった。嫌な予感がした。どうしようもないことになりそうな予感が。それは多分俺の心の中からの警告だったのだろうが、それには気が付かなかった。俺はなまえくんの言葉を待った。
「荒北が昨日電話してたのって誰か分かる?」
隠しきれなかった緊張が言葉の端を震えさせた。すう、と全身の熱が引いていくような気がした。ゴールライン手前で相手の手の内が全部読めて、後は追い越すだけってときにはこんな気分になるんだろう。相手の急所が自分の目の前に晒されている。さあ食らいつけと誘われている。
ごとん、と重たい蓋が落ちた。押し込められた重たくて淀んだ感情が胸をいっぱいに満たした。不公平だろ。同じ気持ちを抱えても、叶う方とそうじゃない方は違う。俺がどんなに好きでも、なまえくんは俺を好きじゃない。二人の関係が壊れたところでなまえくんは俺を向いてはくれないだろう。でも、それがどうした。
「あー、なまえくんは知らなかったっけ?」
いい人の顔を貼り付けた俺をなまえくんはじっと見つめてきた。
気まずそうに視線をそらす。
「靖友、彼女いるよ」
1人だけこんな気持ちを抱えていくのは寂しいよ。