執行猶予があると思うな

「怖く、ないのに…」
「え?」

 膝の上で気持ち良さそうに眼を細める小さな頭では、入り込む風にふわふわと髪が揺れる。てっきりまどろみに落ちたものと思っていた彼女の唇から、漏れた言葉は寝言だろうか。

 すーすーと規則正しい呼吸を続けながら、僅かに胸が上下する以外は微動だにしない彼女を見つめ、ふっ、吐息を吐き出した。
 子供らしく細くてやわらかいピンクの髪に、少なからず視覚的に癒されながら、眠りを妨げないように優しく頭を撫でる。

 夜闇の中、感じる温もりはちいさく頼りなくて、こんな身体で彼女の背負っているものの重さを思うと、きゅっと胸が詰まった。


「怖く…ないよ?」

 再び聞こえた声は、眠りに溶けてしまいそうに滲んでいて。なのに、そのまま寝言だと流してしまうことの出来ない重さで響いた(私の考え過ぎかも知れない)。

「なにが、ですか?」

 問い返した答えとして、やちるちゃんの口から漏れた言葉は、予想外のもので。

「剣ちゃん」

 いまここで聞くとは思ってもみなかった名前に、胸の奥がずくり、痛くなる。
 短い固有名詞で、これほどまでに揺さ振られる理由なんて、ひとつに決まっていて。眉間に寄りそうな皺と、気を抜けば緩んでしまいそうな口元に、顔面の筋肉ですら反応に戸惑っているのかと、渇いた笑いが込み上げた。


「隊長…ですか?」
「…ん」

 急に彼の名前を持ち出す意図が分からない。そこに何らかの思惑があるのだとしたら、きっと彼女の想定以上に私は動揺している(焦りと嘲笑の同居した、表しようのない感情がその証拠だ)。

「何故、急にそんなことを?」

 ただの子供っぽい気まぐれかもしれない、深い意味などないのだろう。頭では分かっているのに、心の揺れをそのまま写すように唇を伝う音が微かに震える。

 なにもかも見抜かれているのだろうか、そんなに私は隠し事が下手だったのかと、鼓動が逸る。


「剣ちゃんがね、気にしてたから」
「隊長が…」

 気にしてた?彼が、何を気にすると言うのだろう。いつもいつも戦いのことしか頭になくて、他人の視線など気にするそぶりもないあの人が。
 疑問に思う一方で、例えようもなく嬉しくて。

「そう…なの」

 アクビを噛み殺した幼い副隊長の目尻に浮かんだ雫を、そっと指先で拭う。
 小さな掌が私の手首を捕らえた。

「もう、おやすみなさい」
 今日もお疲れでしょう?

 膝から枕へとそっと頭を移動して、寄り添うように寝そべる。掴んだ手首に僅かにこもる力が、儚い抵抗の意志を訴える。

「まだ眠くない」

 呟く傍からアクビが漏れる。
 するり、小さな掌を抜け出して、かけた布団の上からぽんぽんと胸の辺りを撫でると、降り懸かる睡魔に反抗するように大きな瞳が見開かれる。

「わがまま言わないで」
「だって……剣ちゃんが、」

 リズムを一定に保ったまま、手首を動かして。

「ええ。なんですか?」
「剣ちゃん、"あいつは俺の事が怖えのかな"…って」
 珍しく頭抱えてるから、気になるんだもん。

「……っ!?」

 続く言葉を聞いた途端に、息が止まりそうになった。


「ど…したの?」
「い、いえ。なにも」
「剣ちゃん…あんな顔だけど、怖くないよ」

 眠くて堪らないんだろう、手の甲で目元を擦る仕草が可愛くて。

「分かってますよ」
「ホント?」
「ええ。隊長を怖いなんて思ってませんから、安心してくださいね」

 厳密に言えば、それは嘘だったけれど、嘘ではなくて(言葉というのは本当に難しい)。

「良かった」

 小さな呟きとともに、眠りの淵へ引き込まれていく彼女を見つめる。
 やがて緩やかに瞼が閉じて、強張っていた身体から力が抜けていく。可愛い寝顔。


「怖いんじゃないの、隊長のことがどうしようもなく好きなだけ…」

 口に出すと、自分の中にある想いが余りに成長し過ぎていることに改めて気付かされる。

「好き、な…だけ」

 寝息を立てる無防備な姿にひとりごちながら、細く長く息を吐き出した。
 怖いのは、隊長そのものじゃなくて、隊長の中に自分の存在がなくなってしまうこと。隊長が居なくなってしまうこと。隊長に必要とされなくなること。

 だから
 戦場へ赴く前の更木隊長が…こわい。戦うことしか見ていない彼の瞳が、怖い。







「やちるのヤツは寝やがったか?」

 音もなく扉が開き、降ってきた低い声に肩が震える。

「ええ、いまやっと」

 さっきの独り言を聞かれていたのではないかと、焦る気持ちを必死で押し込める。搾り出した声は、僅かに掠れていた。

「そうか…」
「はい」

 立ち上がり、それでもなお遥か上方にある顔を見上げる。
 眼帯を外し、湯上がりの濡れた頭髪に覆われた表情は、いつもより幾分やわらいで見えるものの、何の感情も読み取れない。
 動揺を紛らわすように窓際へ近付くと、入り込む夜気のつめたさに頬の火照りを奪わせて。開いたままだった窓をそっと閉じる。


「私はこれで。隊長も早くおやすみ下さいね」

 部屋の入口で立ち尽くす隊長の脇を摺り抜けようとしたら、続く低音に固まった。

「全く…ガキはお喋りでいけねえな」
 余計な事ばかり喋りやがる。

「…っ」

 "お喋り"という単語が指し示す所は明白で。

「なあ、お前もそう思わねえか?」

 問い掛けというよりも、同意を前提とした断定に近いその響きに、返す言葉を失う。
 それ以前に、確実に独り言を聞かれてしまった事実に、打ちのめされていた。

 戦場に色恋沙汰を持ち込む面倒な女だと思われたくはないのに。私を見下ろす視線は、心の底をつめたく射竦めるように鋭い。

「たい…ちょ」

 すみません。と、言葉を続けながら顔を反らすことも出来ず、目の前の着崩れた着物の端をそっと掴む。

「馬鹿野郎、なんて面してんだ」

 媚びているように見えただろうか、一層呆れられたかも知れない。

「すみません」
「悪ぃこともしてねえのに謝んな」

 大きな掌に頬を包まれて、その余りの温かさに心が溶けそうになる。
 真上から注がれる低い響きに潜んでいるのが、愛情であればいいのに。ただの憐れみに過ぎない言葉すらも、じんわりと頭の芯を痺れさせる。

 あなたは…きっと

 何もかも――


「バカ、ですから」
「全くだ」

 ふっ、と表情を崩した彼に見惚れる。無造作に引き寄せられた身体は、すっぽりと大きな胸に包まれて。

「………」
「抵抗しねえのか」

 抵抗なんて出来る訳がない。しっとりと温かい胸板に鼻先を擦り付けると、泣きたくなるようなくぐもった匂いが脳内を満たし、正常な感覚を麻痺させる。

「………」

 眼帯を外せば、女心までも見抜けるんですか?それとも、私はやっぱり隠し事が下手なんでしょうか。

「黙ってんなら、すきなように解釈してもいいんだな?」

 返事も出来ず、さらに強く抱き寄せられて。

 全身に感じる硬い胸の感触と、髪の先から頬に落ちる雫が
 私から一切の自由を奪った――


執行猶予あると思うな
(逃がすつもりはねえぞ、)

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11月19日お誕生日の剣ちゃんと愛しのηさまに捧げます
※注:眼帯外すと霊圧云々…の話は度外視してます。捏造ばんざい
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