非難を孕んだ沈黙


 ――はじめて彼と出会ったのは偶然




「薫影、彼女を頼む」

 闇夜に浮き立つ鮮やかな金髪の暗部が、漆黒の長い髪を持つ男にそう告げる。
 彼女、というのは…もしかして私の事?

 考えるよりも早く、抱きあげられていた。

「飛ぶぞ、口閉じろ」

 男の低く尖った声が、夜の闇に静かに響き渡る。

 そっと身体を降ろされたのは、見知らぬ経路をたどった末のある山小屋の一室。
 明かりも点さず月光だけの入り込む室内に、男の端正な姿が浮かび上がる。
 闇色の髪と白い肌は微かに青味を帯び、怖い程に美しい…と、思った。


「巻き込んで悪ぃな」
「いえ」

 先程の鋭い声よりも幾分円やかさを増した響きは優しくすらあって
 “何故?”との問い掛けを必死で飲み込んだ。
 私も忍の端くれだから、暗殺戦術特殊部隊が何たるかくらい知っている。


「聞かねぇの?」
「話せる事なら、きっと聞かずとも話して下さるでしょう?」

 ふっ、小さく笑い声に似た息を漏らして、男は着けていた面を外す。

 私より4、5歳くらい上だろうか?
 髪と同色の双眸は漆の艶を醸し、吸い込まれそうな気がする。



 外では雨が降り始めたらしい。
 静かな水音はしとしとと途切れることなく続いていて、物悲しさを煽られる。

「まだ身動き取れねぇから、一晩此処で過ごす事になるけど」
「構いません」

 むしろ自分が足手まといになっているとの自覚はあった。
 彼一人なら、敵をかわしながら里に戻るなどたやすい筈だ。


「布団も何もねぇから、せめて…」

 そう言って後ろからふわりと抱き寄せるやり方には厭味がなくて、何故かホッとする。
 男からは鉄錆の匂いに混じって、微かに懐かしい香りがした。

 こんな寂しい雨の夜に、ぴたりとくっついて過ごしてくれる人がいてくれて嬉しい。
 それがこの男で、本当に幸せだ…と、思った。

 出会ったばかりの男に無防備に背中を預けながら、自分の中に生まれた感情は不可解で。
 でも、それ以外のことは何も浮かんで来なかった。



「寒くねぇ?」

 耳元で響くのは聞き慣れぬ低音なのに、やけに懐かしく聞こえる。

「大丈夫です…」

 かるく頷きながら振り返ると、重なる視線に潜む熱にどくん、と胸が躍る。
 随分くつろいだように緩む表情は、月光に照らされた先程の姿より尚うつくしくて。
 そっと頬を撫でる掌の感触も、濡れたように光る瞳も、軽く力をこめられる腕も
 彼の施すすべては、自分がこれまでにずっと求めて来たもののように思えた。

 ――この男には、抗えない。

 彼は何故、初対面の私をこんな風に愛おしそうに見つめているんだろう。
 私は何故、彼にされることを、黙って受け入れているんだろう。
 でも、抵抗をする気にはなれなくて…

 やさしく唇を塞ぐ彼の行為を
 ごく自然なものとして受け入れた。



 ――薫影…

 心の中で知ったばかりの彼の名を呟く。
 啄ばむように何度も降ってくるキスは、心がふるえるほどの幸せな感覚を私の中へ齎す。


「おやすみ…」

 彼の言葉を聞きながら、くらりと眩暈がして
 漆黒の瞳が私の姿を映したのを最期に、意識は途絶えた。







 今になって思えば、あれは幻術か何かだったのかもしれない。

 翌日、任務で同行したひとつ歳上の幼馴染に掻い摘んだ事情を話すと ほんの少しだけ揶揄を含んだ口調で、つめたい言葉が飛んできた。

「お前、自覚足りねェんじゃねぇの?」

 非難しているとも、ただ頭に浮かんだ事を吐き出しただけとも取れそうな、何気ない言い方。

 確かにシカマルは、私と違って昔から優秀だ。
 あれがシカマルなら、きっとあんな風にただ助けられて 黙って言うなりになることなんてないんだろう(勿論、キスをしたとか言うことはまた別の話だ)。

「忍だったら、もう少ししっかりしろよ」

 やけに棘のある言葉には、何か裏に意味があるんだろうか?
 昨夜のことは勿論、決定的な部分を省いて話した訳だし、シカマルが怒る理由に納得がいかない。

「まあ、男にとっては…そういうトコも可愛いんだろうけど」

 他人事のような言い方で、同性のモノの感じ方を語るシカマルの姿に、何故か違和感を感じた。
 無意味に漏らすたった一言で、私が揺さぶられることを知っているんだろうか?

 でも、何故自分がこんな風に揺さぶられているのか
 自分でも、よく分からなかった。




「――薫影…」

 遠くで誰かが人を探しているらしい。
 昨夜覚えたばかりのその名前で、俄かにざわめき始める胸。

 もしかして
 あの男に、特別な感情を抱いてしまった?
 まさか、たったあれだけのことで――



 仰ぎ見たシカマルは眉間に深い皺を寄せている。
 ぴくり、右眉だけを小さく動かすのは、何か気になる事があるときのシカマルの癖。

「シカマル、何か知ってるの?」
「いや…」

 返事に混じるいつもとは違う空気が、心の奥に微かに引っ掛かる。

「そろそろ帰んぞ」

 私の返事も聞かずに走り始めた背中は、一切の問いを拒否するように頑なだ。
 何故かそれを見失ってはいけない気がして、夢中で追いかけた。





――次に彼に出会ったのも偶然



「今すぐ取り掛かれ、薫影」
「……は」

 火影室から聞こえてくる会話に、無意識で聞き耳を立ててしまう。

「他の暗号解析班の者には指示済みだ」
「――御意。ただその前に………」

 会話のトーンが急に落ちて、何も聞こえなくなった。
 すこしその場を離れて、そっと窓の外を眺める。

 沈みゆく陽に照らされて、街は淡色に滲んでいる。



「…………か、と。如何でしょう?」
「……確かにそうだな。その辺りの判断はお前に任せる」

 ノックをするのも躊躇われて佇んでいると、ふっと会話が途切れた。
 窓の外へ固定していた視線を、ゆっくりと火影室側へ向ける。



「久しぶりだな」

 突然、耳元に降って来た低い掠れ声は、確かにあの晩の彼のもので
 そんな短い言葉をかけられるだけで、心拍数が急激に上がって行く。

「ん?顔赤ェけど…」
「い、いえ…何でもありません」
「じゃ」

 端的で感情のこもらない別れの言葉とともに、長い黒髪を靡かせて彼の姿は消えた。

 さびしい。

 もっと彼の声を聞いていたかった。
 もっと彼の瞳に私を映して欲しかった。
 もっと傍に居て欲しかった。

 この高鳴る鼓動と、酷く切ない感情の差している事実に、やっと気が付いて
 我ながら困惑していた。

 自分の両肩をそっと抱き締めて、彼に包まれた時の感触を思い出そうと、無意識に心が藻掻く。

 ――私、やっぱり。

 暫く、立ち尽くしたまま動く事も出来なかった。





「おい。お前、何ぼーっと突っ立ってんの?」
「あ……シカマル」
「何だよ、綱手さまに呼ばれてんだろ?さっさと用事終わらせようぜ」
「う、うん!!そうだね」

 くいっ、と引かれた腕は、幼いころから馴染みの深い感触で、何故か泣きたい位にホッとしていた。







――三度めに彼に会ったのは、必然




 暗号解析部――

 滅多に用事のないその部屋へ足を向けながら、自分にそんな勇気があった事に驚愕する。

 でも、一目。
 たった一目で良いから、薫影さんの姿を見たい。

 見れば、きっとそれでざわざわと騒がしい心が、鎮まってくれる気がして。
 バカな事をしていると思いつつ、抑えられなかった。



「あー……だりぃ」
「薫影、お前そんな所綱手さんに見られたら、半殺しじゃすまねぇぞ」
「…だな」

 今の声、私の知ってる薫影さんだろうか?
 もっと耳慣れた、よく知っている声のように思えたのは、気のせいかもしれない。



「とにかく、せめて此処に居る間は」
「わーってるって、気を抜くな。変化を解くな。だろ?」
「分かっているならイイ」

 気配を殺し
 覗いた室内に居たのは――

 あの晩の鮮やかな金髪の青年と、面倒臭そうに眉間に皺を寄せている少年。



 何で…?

 なんで、あいつが此処に?



「でもよ…暗号解析中まで変化してる必要なんて」
「つべこべ言わずにさっさとやれ、殺すぞ?」
「へいへい」

 次の瞬間、ぼわんと音がして
 煙の中から見知った薫影の姿が現れるのを、まるで夢のように眺める。



 目の前で見せられた視覚情報を、拙い脳が受け入れ拒否しているのか
 状況から事実を認識するのに、随分と長い時間がかかったように思える。

 そして真実を理解した途端、信じがたいほどの激しい嘔吐感に襲われた。

 眩暈がする、気配を消し続ける自信がない。
 帰ろう、早く。
 早く帰らなきゃ――



 ぐらぐらと揺れる足元を気遣いながら、踵を返したのとほぼ同時に
 室内から鋭い声が響いた。


「誰だ!!」

 瞬時に背後を捉えられ、“流石、暗部だ”なんて悠長な事を考える余裕はない。
 痛いほどに腕を掴まれて、無理やりに振り向かされる。

「……っ」
「なんだ。お前か」

 ゆっくりと顔を動かした先。
 額が触れ合いそうなほど近くに、愛しい男の顔があった――


「こんな所に、何用だ?」
「……」
「夜も遅い、さっさと帰れ」

 つめたく吐き捨てるような言葉とは裏腹に、薫影さんの瞳はやわらかい色をしている。

「顔色、悪ぃぞ」
「……放っといて」

 私を抱き上げる腕は、あの晩と同じように逞しいのに
 何もかもが虚飾に彩られ、汚れて見える。

 あの晩のキスも、私を後ろから抱き締めてくれていた身体も、全部ぜんぶ嘘で。



「下ろしてよ、シカ」
「……っ!!」

 騙された…と思うなんて、彼にとっては不本意な事なんだろうけど
 そんな風にしか思えなくて、苦しかった。苦しくて堪らない。


「お前、見たのか?」
「見たくなんて無かったよ」
 
 暗部が素性を隠すのは当然の事で、それくらい馬鹿な私にも分かっている。
 でも、いまの感情は理屈ではなかった。

「……」
「好きだったのに、」

 自分の口から零れる言葉で、目の前の男の顔が歪んでいくことにも気付く余裕がなくて。

「……っ」
「薫影さんが好きだったのに」

 まるで、幼馴染に愛する男を殺されてしまったような、奇妙な錯覚に陥っていた。



 屋根を跳ねて移動する彼に、身体を預けたまま、ぎゅっと唇を噛み締める。
 そっと身体を下ろされたのは、あの山小屋の一室で。

 呆れるほどに長い沈黙と、真っ暗な闇がふたりを支配する。

 互いの呼吸の音だけが聞こえるその空間に居ると、あの日の記憶が鮮明に脳裏を駆ける。

 見つめ合った瞳の熱。
 衣服越しの肌の感触。
 触れた唇のやわらかさ。

 いっそのこと、あの晩まで時間が戻ってくれればいい。
 そうでなければ、私の記憶を消して欲しい。



 噛み締め過ぎた唇からは、微かに血の味がする。
 かみ殺した嗚咽で、咽喉が痙攣を繰り返している。

 闇の中でも感じる鋭い双眸は、じっと私の方を見詰めていて
 張りつめた空気に、再び眩暈がし始めた。





「だから……」

 先に口を開いたのは、彼の方だった。

「だから、お前は自覚が足りねぇっつうの」
「……っ、シカ」

 目の前に居るのは紛れもなく薫影で、静かに響く声色も彼のものなのに
 語られる内容は、確かにシカマルと交わしたことのある言葉で。


「薫影に、簡単にココロ許し過ぎなんだよ」
「……だって」
「男と一晩こんな所で過ごすことになったら、もっと警戒しろ」
「うっ……」

 言われる事は尤もだ。
 でも、鏡見てよシカマル…今の自分の姿。
 その妖しい美しさに、惹かれない人間なんて滅多にいないと思う。


「忍なんだから、な?」
「……うん」
「つっても、もう遅ェか」
「………?」



 気が付いたら、いつの間にか変化を解いたシカマルに組み敷かれていた。


「ちょ、待って…」
「待たねぇ。つうか、さんざん待ったっての」

 にやり、歪んだ口元に不覚にも見惚れる。

「どういう事?」
「バーカ。ちったぁ自分で考えろ」

 両手を押さえ付けている力は、ビックリするほどに強くて、もがいても抜け出せない。



「んだよ、薫影の時は逃げなかったくせに」
「あれは、……っふ」


 乱暴な言葉遣いに反し、降って来た口付けはとろけそうに甘くて。
 すこしずつ呼吸が乱れていく。

 今私の上に居るのは、シカマル?
 それとも薫影?

 あの晩とそっくりな優しいキス。
 あの晩とそっくりな、吸い込まれそうな眼差し。



 愚鈍な頭が

 やっと認識を改めかけた頃

 溶けそうに熱い吐息に乗って

 甘い声が鼓膜に降って来た。





「どっちも俺なんだから、もう俺にしとけよ?」
「……」
「物分かりのいい兄貴面すんのも、いい加減もう限界…」


非難をんだ沈黙
(何もらない子供のままで居れば、綺麗なものだけを食べていけたと思う?)
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2008.09.21
自分で自分に嫉妬するシカマルぷまい!!
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