薄い唇の隙間
「結局、人間は自らつくる所のもの以外の何ものでもないんスよ」
「は…?だから、何が言いたいの」
綺麗な顔を、ほんのすこし意地悪に歪めながら言葉をすらすらと吐き出す奈良君に、苛々する。
「先輩は、先輩自身が作ってるっつう事。だから『こんな自分が嫌』とか言わないで下さいよ」
「……」
ただでさえ簡単な任務をしくじって気持ちが乱れてるんだから、これ以上心を波立たせないで欲しい。
確かにいつもより弱ってるのが、洞察力の鋭い君には見えちゃうんだろうけど。
すこし放っておいてくれないかな――
「自己否定に、意味なんてねぇっスよ」
「……っ!!」
●●主義がどうだとか、だからそうすればイイとか、今の私に言われても分からない。第一、私はそういうことに興味ないしね。
どこかの国の偉い人だか何だか知らないけど、その人が喋ったことと今の私に何の関係があるの?
「…忍だからって、泣くの我慢する必要ないと思いますけど」
「……」
ちょっと待って。
まずは、さっきの奈良君の理論が正しいと仮定するね(すごく不本意だけど)。
そのロジックで行けば、私が泣くのを我慢したいと思っているのなら、そうすればイイ訳でしょう?
その我慢を選ぶことが、その先の私を作るって、そういう意味じゃないの?
あれ…私の捉え方、間違ってる?
なんで、こういう時は泣くのが当然だとでも言いたげな口調なのよ。そこでまず、理論が破綻してるんじゃないかな。
「強がってばっかでどうすんスか」
「…うるさい」
いやいや、強がっているというかね。私が強がりたいんだから、好きにさせてくれないかな。
何、奈良君の尺度で私を測ろうとしてくれてる訳?
忍が任務に失敗して、悔しいと思わなくなったら、それはそれでマズいと私は思うんだけど。
それに、泣けば何でも許されるなんて腑抜けた考え方、私は大嫌いだから。
「俺の前でくらい、素直になりゃいいでしょ」
「――何なのさっきから!!ほんと生意気…」
歳下のオトコの前で、忍の先輩としては弱味なんて見せられないし。
私はそんな風に、甘える女になんてなりたくない。
それはね、確かに奈良君は私より若いけど優秀だよ。綱手さまも君の事をすごく買ってるし。
勿論私だって、君の頭がいい事も気配りに長けている事も認めてる。
でも、今は強がらせてよ。
私は、こういう時に毅然と胸を張っていられる人間でいたいの。
「俺、そんなに頼りねェっスか…」
え…何?
急に眉を顰めて、そんな苦しそうな顔をされる意味が分からないんだけど。
今、私たちってなんの話をしてた?
“任務の失敗と自由である事との因果関係”とかいう、何がなんだか分からない話じゃなかった?
「奈良く…」
「――見てらんねェんだよ、もう」
目の前が…緑。
って、これは見慣れた奈良君のベストの色だ。
私…いま
奈良君に抱き締められてる?
不可解な想いを抱えて上を見上げたら、これまでに見た中で一番真剣な表情をした奈良君が目に入る。
これが奈良君の自由?
これが奈良君のしたいことなの?
見つめる双眸がゆらりと傾いで、その眼差しから視線が外せない。
奈良君の漆黒の瞳を、いつまでも見つめていたいと思ってしまう。
その瞳に射竦められて、意識を失っても良い気がしてくる。
これは私の意志なんだろうか?
それとも、催眠術か何か……いやいや、まさか。ね?
「好きだ。」
「え…」
な、に…
形の良い薄い唇の隙間から零れるコトバが、脳内で受け入れられずにすり抜ける。
ついさっきまで、小難しい話をしていたはずの彼の唇から、余りに単純で短い言葉が漏れた事が不思議で。
長ったらしくて脳が受け入れを拒否しそうなロジックよりも、今聞いた短い言葉の方がもっと理解不能だ。
「好きなんだよ、お前が。」
「でも、」
眉根を寄せた奈良君の、すこし掠れた声が心地よくて。
この顔も、この声も、嫌いじゃない。
ううん、むしろ好きだ。
私、この生意気な後輩の事が、好きみたい。
「『でも』じゃない!!俺が好きなのはお前だけなんだよっ!!」
「奈良く、」
…あれ?
“お前”なんて言われて、腹が立つはずなのに、反論の言葉を紡げないのは
奈良君の唇が
私のに重なってる、から…――
見開いた瞳いっぱいに、奈良君の精悍な頬のラインが迫っていて。
閉じられた瞳を、綺麗に生えそろった睫毛が縁取っていて。
すこし傾げられた首が、何故か堪らなく色っぽくて。
重なった唇は、思ったより熱い――
なんて、冷静に観察してる場合じゃない。
この状況をまだ理解できない脳が、今私の取るべき行動を弾き出せずに、戸惑っている。
取り敢えず、ここは奈良君に聞いてみるのが得策かも。
何故急にこんな事になったのか、私達のしていた話の意味は何なのか。
そして、私はこの先どうすればイイのか。
「あの、奈良君……」
「シカマル、です。」
「シカマル…君?」
「君じゃないっス。」
君じゃないって、何だろう。もしかして、それは“名前を呼び捨てにしろ”という命令ですか。
ただでさえ飽和状態の脳内は、そんな簡単なコトバすら理解できなくて。
首を傾げたら、にやりと口の端を歪めたシカマル君の顔が、少しずつ近付いてきた。
「ちょ、まっ、」
かすかに濡れた唇が、軽く重なってすぐにはなれる。
何故だかそれが、寂しくて
はなれていく艶やかな唇を、追いかけたくなった。
薄い唇の隙間(お前、結構大胆なのな)
そういうトコも嫌いじゃねェけど――