小悪魔な彼女

(ありゃオメェの手には負えねぇ、諦めんだな――)
(ばっ!そんなんじゃねぇっつうの)




 しんと静まり返った執務室で先輩と向き合っていると、酒の席で親父に言われた言葉が、脳内でコダマする。
 ったく、何だってんだよ。俺の手に負えない?意味分かんねぇって。

 俺が中忍で、彼女が上忍だから。そんな、単純な理由で親父があんな事を言うとは思えねぇし。かと言って、親父を以て「手に負えねぇ」と言わせる、何か別の理由も思い当たらねぇ。

 変わり者でもないし、取り立てて難しい性格でもねぇと思うんだけど。

 目の前で忙しそうに書類の束を捲る先輩をこっそり見つめながら、小さく溜息を吐いた。


「どうしたの、奈良君」
「へ?」

 ちらりと一瞬だけ顔を上げると、彼女は直ぐに手元の書類へと視線を落とす。
 執務室の天井にぶら下がる、安蛍光灯のうすっぺらい明かりに照らされて、形の良い頬に長い睫毛が、綺麗な影を作っている。

「溜息。疲れた?」
「いえ、別に」

 言葉を続ける彼女は、視線を書類に固定したまま、目の前の仕事だけに集中していて。邪魔はしたくないのに、その意識を、もうすこしだけ俺に留めていて欲しい、と思った。


「先輩…」
「何?疲れたんなら、奈良君は先に帰って」

 言葉は冷たいのに、その響きは柔らかい。
 雑用とは言え、こうして密室に二人きりでいられる機会は、それほど多くはない。
 もうすこし近くで、先輩の気配を感じていたかった。


「いえ、もう暗いし。送って行きますよ」
「うーん…でも、まだ全然終わらないし」

 相変わらず手元の資料を捲りながら、書面にすらすらと文章を書き留める指が、やけに悩ましく見える。
 あの指に、触れたい……触れ、たい。

 つうか、終わんねぇくらい忙しいんなら、こっちに仕事振ってくれればいいのに。
 俺には任せらんねぇのかよ?


「でも、女を独りで帰す訳にいかねぇし…」
「ホント、大丈夫だって。仮にも私、上忍なんだし。ね?」

 手を止めて、俺を見上げた表情は、大人の女のそれだった。
 拒絶をする訳でもなく、年下の男をただ単純に気遣っている素振りが、何故かちょっと悔しくて。
 つい、本音が漏れる。


「……俺、そんなに頼りねぇっすか」

 口を突いて出た言葉は、自分でも情けなくなるような不安定な響きを呈して、すこし恥ずかしくなる。
 出来れば、さらりと流して、何事もなかったかのように笑ってくれれば良い。

 そう思っていたのに、先輩の艶やかな唇を通して返って来たのは、全然別の言葉だった。


「えっ?頼ってもいいの…?」
「……はい」
「ホントに、頼っちゃうよ?」
「むしろ、俺としては頼られる方が嬉しいっつうか、」

 頼って下さいよ。

 俺の言葉を聞きながら、突然ばたばたと動き出した彼女の仕草を見守っていると

「じゃあ、それとこれと」
「え (ちょ……待てよ)」

 彼女のちいさな両手いっぱいの書類があっという間にピックアップされ、どさりと目の前に積み上げられた。

「はい、これ。あっ、その机の上の山になってる書類もお願いしていい?」
「……(マジっすか?!)」

 いや、頼りにして欲しいとは言ったけど。んな大量の書類回されても、な。

「今日中でよろしくね」

 にっこり笑う顔に見惚れながら、心の中で青褪めた。

 これって、もしかして
 俺…乗せられた?


「……了解っす」


 あー……。
 親父の言ってたのって、この事かよ。

 完璧、ヤラレタ――


悪魔
(頼られてる事には違いねぇし、まぁいいか)
(……ふふ、)

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2008.09.13
アンケート第3位:忍設定、歳上ヒロイン
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