窓越しに重なる視線

 今日もまた、ある意味拷問のような一日が始まった。
 9月とはいえまだまだ汗ばむこの季節、薄い布地を透かしてちらちらと柔肌が視界を横切る。

 見たい。穴があくほどに見つめて、いっそマジで穴が空いちまえばいいのにと思う。
 白いブラウスの背中にくっきり下着のラインを浮き立たせ、何気なく笑うクラスメイトが、何故か憎らしくなる。

 思春期の俺らにとっては、美味しいんだか苦しいんだか分かんねー環境だっての。

「な、シカマル」

 同意を求めて振り返った席では、うつ伏せのシカマルが寝息を立てていた。

「んだよ、聞いてなかったのかよ」

 パシリ、頭を叩くと面倒臭そうに少しだけ動かした顔のなかでシカマルの鋭い片眼が細く開く。

「ったく、キバ…めんどくせぇことすんなって」
「だってよー」

 いつもいつも世を達観したみたいな顔しやがって。ちょっとムカつく。
 でも、コイツは昔からずっとこんな感じで。
 男達が可愛い女子の話で盛り上がってる時も、彼女が出来た話してる時も、聞いてんだかどうか分かんねぇ。多分、興味もねーんだろうけど…。ある意味、この囚われなさって羨ましいよな。
 俺もシカちゃんみたいになりてぇ――

「キバ、センコー来たら起こして」

 呟くようにそう言うと、開けてるかどうか分からない位だった片眼は、再び静かに閉じられた。





 キバのやつも、下らねえこと聞くなっての。
 どんなにポーカーフェイスを気取ってたって、俺だって何処にでも居る思春期真っ只中のオトコなんだからよ。
 そりゃ、薄着の異性が近くに居れば気にならねぇ訳ねーだろ。
 それが惚れてる女なら尚更だ。
 でも、いちいちそれを口に出して言えるかっつうの。

 無理やりキバとの会話を遮って、目を閉じると顔を左に背けた。
 窓際の一番後ろ、それが俺の定位置で、左を向けば目の前には空が広がっている。
 今日は快晴。
 多分外に出て寝転がったら気持ちイイんだろうな。サボっちまいてぇ…

 どうせ授業中も殆ど寝てるだけの俺が、何で教室に居る事に固執してんのか。
 去年までだったら、間違いなく週の半分はサボリで屋上か保健室に居たっつうのに。
 朝起きんのが面倒なら遅刻すんのが当然で、毎日定時に教室に居るなんて有り得なかったし。
 でも今は、ここに居ることに意味があって。
 そう。意味がある。だからここにいる。

 その理由――

 HR前のざわめきの中、ぱたぱたと小さな足音が近付いてくる。
 片目を開けて手首の時計を見ると、HR開始5分前。

 今日も遅刻ギリギリかよ――

 ちょうどいつもと同じ時間、隣の席に腰を下ろした彼女からふわりと甘い香りが漂った。


「おはよ」
「おーっす」

 ちいさな声でキバと挨拶を交わしている顔を見たいのに、頭を動かせない。
 眠ぃ…。なのに、一言も君の声を聞き洩らしたくなくて、必死で眠気と戦っているなんて。
 ぜってぇ気付かれたくねぇ。

 秋の空をバックに、ぼんやりガラスに映る君の姿は、確かに外を(すなわち俺の方を)見ていた。
 いや、もしかしたら今会話を交わしているキバの方を向いてるだけかもしんねぇけど。


「シカマル君、また寝てるんだね」
「マジで自由人だよなー。これで成績だけは良いっつうのがムカつく」

 あはは、と笑う君の声が俺の胸を締め付ける。

 クソー…キバの奴、俺のどこが「自由」なんだよ。
 むしろ、今でもお前らの会話に聴覚は引き摺られちまってるし。
 彼女が俺以外のオトコと喋ってるだけで妙に苛立って、腕掴んで教室飛び出したい衝動に駆られる。

 案外、俺って嫉妬深いのかもな。

 オマケに、一体どうすればこんなイイ匂いになるんだって位の甘い香り。
 君の存在を示す香りが、目を閉じているせいでダイレクトに頭の芯を刺激する。
 後ろから抱き締めて、首筋に顔を埋めて、鼻頭を白い肌に押し付けて、思い切りその匂いを吸い込みてぇ――

 ――彼女の気付かない所で、煩悩と理性が不毛な戦いを繰り広げる。

 自分でもバカみてぇだと思う程、君に縛られてんだけど。
 これの何処が「自由」?



「俺、トイレ行ってくるわ。もう少ししたら、シカちゃん起こしてやって」
「え…私が?」
「ああ。何か問題あんのかー?」
「う、ううん。分かった」

 キバの席を立つ気配に、正直ホッとした。
 これで嫉妬の種はひとつ減った訳だ。
 問題と言えば、彼女が俺を起こす時にポーカーフェイスを保てるかどうか…それだけ。

 寝たフリを続けながら、薄目を開けて窓ガラスを覗く。
 空を眺めているらしい彼女は、身体ごとこちらを向いていて。
 頬杖を突いた掌の傍で、艶やかな唇が僅かに歪んでいる。

 やっぱ、キレイな顔してるよな。
 こんな風に俺に見られてるなんて、思ってねぇんだろうけど。

 寝息に見せかけた溜息が漏れる。
 ガラスの中で君が小さく身じろぎをして、細い腕がこちらへ伸びて来る。
 教室の喧噪が遠のいて、世界に俺と君だけになったような不思議な空気が流れる(って、俺の頭の中だけの話な)。

 そろそろ時間か。

「シカマル君、起きて…」

 俺の肩にそっと掌の熱が触れるのと同時に、小さく肩が揺れた。
 シャツ一枚を隔てて感じるその熱が、緩やかに手足の抹消まで伝わって、微かに鳥肌が立つ。

「シカマル君、そろそろ先生来るよ?」
「……」

 多分、今の俺は顔が赤い。
 ただ君が何気なく肩に触れている、それだけで全身が総毛立って
 もしかしたら、耳まで染まっちまってるかもしんねぇ。

 ガラガラと音を立てて、教室の扉が開く。
 ふわり、揺らいだ空気に乗って君の香りをさっきより近くで感じる。

(シカマル君、ね…HR始まるよ)

 耳朶に吐息がかかる位近くで、君の囁きが聞こえる。

 って、ワザとかよ?
 煩悩と理性が脳内で更に鬩ぎ合う、心臓がうるせぇ。こんな状態で、顔なんて上げらんねぇっつうの。俺、どうしたらイイ?

(起きて……)

 再び鼓膜を震わせた君の声で、体中の血液が滾り始める。
 って、ここ教室。バカなこと考えんな、俺。落ち着け俺。


「シカちゃん、まだ寝てんのー?」

 能天気なキバの声と共に、かなりの力で頭を叩かれて、反射的に身を起こした。

「おはよ、シカマル君」
「ああ…おはようさん」
「あれっ?シカちゃん、何か顔赤くね?」

 るせー、バカ犬!!余計なこと喋んなっつうの。
 ゆるみそうになる口元を押さえて、横眼で盗み見た君の笑顔は相変わらず眩しくて。

「ホント、顔赤いよ…熱でもあるんじゃ」

 心配そうに覗き込まれると、ヤベェって。
 心臓が壊れそう――

 目を閉じた瞬間に、ひやり。冷たい皮膚が額に触れる。

「うーん、微熱かな。キバ君、私一緒に保健室行ってくるから」

 先生に言っといて、と有無を言わさず立ち上がる君に、釣られるように席を立つ。

「「じゃ、よろしく」」
「あ。ズリィぜ、シカちゃん。サボる気だろー?」

 キバの煩い声を聞きながら、並んで教室を飛び出した。




「俺、別に熱なんてねぇけど」
「うん。知ってる」

 は?じゃあ、なんで教室から抜け出したんだよ。
 何か意味あんの?

「2人で喋りたくて、ね」

 かるく俯く君の白いうなじに、瞳が釘付けになる。
 そのコトバに、どんな意味がある?

「じゃ、保健室じゃねぇトコ行くか」

 頷く君の手を取って、屋上への階段を昇った――





 はじめは、私の気のせいかと思っていた。
 いつも隣の席で机にうつ伏せているシカマル君から、時々感じる視線。
 ほんの一瞬だけ目が合って、直ぐに逸らされる視線。

 眠ってると安心して、綺麗な項や耳朶で光るピアスを観察している私の方へ、時折鋭い瞳が向けられる。
 その漆黒の艶やかな双眸を感じると、周りの音が聞こえなくなって、身動きも出来なくなって。
 呼吸することすら忘れそうになる。

 伏せた腕の隙間からちらりと思わせぶりに投げられる視線に、私がどんなに鼓動を速めているかなんて。
 きっとシカマル君は知らない。

 でも、あの視線…

 偶然じゃなくて、ワザと。でしょ?


窓越しになる視線
(授業中、俺の視線感じたことねぇ?)
(……私の視線は?)

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2008.09.11
証拠などこれだけで、へ続きます
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