幻覚トワイライトゾーン
「暫くお別れっス」
まるで世間話の延長のように、さらりと紡がれた言葉には、なんの感情も読み取れない。
だから、喜助さんにそう言われても、特別何の反応もしなかった。
元から捕え所のない彼だから、何を考えているのか、何故お別れなのか、知ることにあまり意味はない。
問い掛けたとしても、ヘラッと笑ってきっと上手くはぐらかされるのがオチだ。そして、そんなときの彼の表情にすら、私は見惚れてしまうのだろうけど。
「そう…気をつけてね」
「聞かないんスか?」
温かい居間で、並んでお茶を啜っているにしては、やけに尖った声が耳の奥を甘く刺す。
障子を開け放った窓の向こう、沈み始めた太陽は、幻想的な光景を作り出している。
「なにを?」
「理由とか、期間…とか」
アナタは気にならないって事っスか。
のんびりとした声のトーンに反して、空気が微かにぴりぴりと張り詰めるのは、喜助さんの気が立っているせいだろうか。
それは、会えない理由がそれほどまでに危険を伴うものだという証拠に思えて、背筋がぞくりとふるえた。
「聞いた方が良かったですか?」
本当は聞きたいに決まっている。
でも、本人の語りたがらない事まで無理に知ろうとは思わないし。
彼のふわふわとしているのに影のある、捉えどころのなさすらも魅力だと想って傍に居るのだから。
「いえ…そうじゃないんスけどね」
冬の夕暮れは早い。先程までは外からの明かりだけで充分だった視界も、沈む陽とともに淡く滲んでいる。
照明のスイッチを入れようと立ち上がりかけたら、喜助さんに強く腕を引かれてバランスを崩した。
「な……」
「まだ、このままでいいっスよ」
喜助さんの膝に仰向けで横たわり、至近距離で感じる体臭に、鼓動が早まる。
そっと覗きあげた顔は、僅かに歪んでいる。
"このままでいい"というのは、明かりの事だろうか、それともこの体勢のこと?
回らない頭で考え込んでいる私の頬を、彼はさらりと撫でる。
その小さな指の動きに、息があがる。
「興味がない訳ではなくて、」
「ええ…なんスか?」
「本当に言わなくちゃならないことなら、きっと喜助さんは自分から話してくれると思うから」
一気に言葉を紡ぎ終えると、肩から滑りおりた大きな手に、そっと掌を包まれた。
「……」
「それにね、」
喜助さんには、私の考えてる事なんてきっとみんな見抜かれてるんでしょう?
「……そっスね」
「だから、今は何も聞きません」
温かい指が、絡まり合う。長い前髪の奥で、綺麗な目が優しくゆるんでいる。
薄暗くなった部屋の中でもわかる、喜助さんの端正な顔立ちが、胸の奥を締め付けて。
瞬きする際に小さく揺れる睫毛の動きでさえも、見逃すのが惜しいと思った。
「でも…ひとつだけ、聞いても良いですか?」
「ええ、アタシに答えられる事なら何でも」
綺麗なラインを描く頬を撫でながら、掌に感じるちくちくとする髭の感触を味わう。
心地良さそうに目を細める表情は堪らなく色っぽい(ハンサムエロ商人ってのは、ホントだ…とひそかに確信したのは内緒)。
「出立は、いつ?」
何気なく聞こえるように意識した質問は、薄闇に溶けそうにか細くて。
急に引き寄せられた胸の中、聞こえた低い声は、ひどく甘ったるく私の中に響いた。
「明日の早朝です。だから、」
幻覚トワイライトゾーン(今夜は帰しませんよ)