大人になれない
憂鬱な午後の授業中、教室には相変わらず気怠い空気が漂っていた。
雨滴が、ぽつぽつと窓ガラスに当たり、小さな音を立てる。
どんよりと曇った空の向こうで、うっすらと空が白いのは、あの雲の上では太陽が輝いているからだろうか。
雨が、降っていた――
「おーい。聞いてるかァ?」
我ながら、いつ聞いてもやる気ねェ声だな。雨の音にまぎれて、ぼんやりと霞んで聞こえる。
たいして意味のない事しか喋ってねェんだし、聞いていようがいまいがホントは全然構わないんだけどさ。
でも、お前が全然俺の方を見てくれないと、俺が面倒臭いのに教室にいる意味なくなんだろ?
だって俺、授業をする為に教室に居るんじゃなくて、お前を見るためにココに来てるんだから(その時点で教師失格だけどねェ)。
こんなんだったら、ジャンプ持ち込んでお前ら自習にさせた方がマシだったかも(って、こらこら!!その方がもっと教師失格だろうが…)。
相変わらず、お前は視線を窓の外に固定したまま。
何か切ないんですけどォ、ちょっとでも先生の顔を見てやろうとか思わねェの?
というより、寧ろお前のその可愛い顔を銀さんに見せてくれねェかなー。授業中の唯一の楽しみなんですけど…
「おい、お前なぁ…無視は止めてくださーい。先生、結構繊細なんだから」
そんな風にいかにも興味ありませんっつう態度取られると、傷つくんだよォ?
少しずつ近付く。安物のサンダルがペッタペッタとだらしない音を立てる。
お前の視線はそれでもまだ動かない。
そんなに一生懸命、何を見てんだァ?
その微かに憂いを帯びた横顔も堪らなく好きだけど、その目に俺のことも映して欲しい(…なんて、授業中に何考えてるんだろうねー)。
「まあ、俺も雨を見てんのはキライじゃないけどねェ」
いつもは騒がしい連中も、今日は何故か静かだ。
ああ、昼飯食ったばっかでちょうど眠たくなる時間帯だもんなァ。いいよ、いいよ…みんなそのまま眠り続けてくれた方が嬉しい位だよ。
何だったら、俺とこいつだけ残して、みんな帰っちゃってもいいから。銀八先生が特別に許可しまーす。
「いつまで無視するんですかァ?ずーっとそんな態度取ってんなら、俺にも考えがあるからなー」
丸めた紙の筒でポスポスと肩を叩きながら、触れそうな所まで近付く。
俺の声が好き、とか前に言ってたっけ…(それって、俺の事が好きってイミなんじゃないかと勝手に思っちゃってるんだけど、発想が自分の都合のいいように飛躍しすぎ?)。
だったら。
思い切り低くて甘い声を耳元に注ぎ込めばどうなる?
(分かってんだろうな?)
少し掠れた響きにあわせて、熱い吐息を吹きかけると、お前の肩が揺れた。
って、そんな仕草見せられると、ある種のスイッチ入っちゃいそうなんだけど(ここ教室だから、俺は教師だから、今はダメだ…)。
「あー。やっとこっち見てくれたなァ」
「……っ、先生?」
やっと俺を映してくれたのが嬉しくて、ニタニタと薄笑いが浮かぶ。
「お前、後で国語科準備室に来ることー。たっぷりお仕置きしてやるから」
お仕置きって……おいおい、俺。何言ってんのォォォ。
自分で自分のスイッチ(勿論ドSスイッチってヤツです)入れちゃうような発言してない?
「イヤです。何で私が?」
「授業を聞いてなかったからですゥ。それから、俺の事ずーっと無視してたからですー」
でも、反抗されるとますます煽られちゃうんだよなァ。
俺ってやっぱり真性のサディストってヤツなのかもしれない。というか、お前の反応が俺の悪戯心を擽るんだよねェ。
だから、全部お前のせい――
(それだけじゃねェけどな…覚悟しろよ)
再び鼓膜に低い声を注ぐと、ニヤリ。もう一度笑って教卓へ戻った。
◆
「銀八先生……」
誰も居ない国語科準備室の窓際から、小さな声が聞こえて、苦しくなる。
何でそんな切なそうな声出してんの?俺、勘違いしちゃうよ。お前が俺に惚れてるんだって、勘違いしちゃうから。
俺がここに居るって、全然気付いてないんだろ。
「銀八――。銀八の馬鹿……」
相変わらず濡れた世界を見つめているお前の横顔はキレイだ。
頼りなげな背中の方へ、足音を忍ばせてそっと近付く。
今日は俺、何だかこんなことばっかしてるなァ。
お前に一歩近づくたびに、大の大人がバカみたいにドキドキしてるなんて…笑っちゃうけど、自分では嬉しかったりして。
「何だァ?いきなり、呼び捨てですかー。しかも馬鹿って…酷ェな、確かに俺は馬鹿だけどねェ」
「……っ、センセ!!」
やっぱり、全然気付いてなかったんだ。もう少し、黙って観察してても良かったかもなァ。
「何か悩みでもあるんだろ、お前」
「……っ?!」
「最近、様子がヘンだもんなァ。俺、心配してんだよォ?」
華奢な身体をぎゅっと背中から抱き締めると、伝わる鼓動で愛おしさがこみ上げる。
ガラにもなく心臓が壊れそうなんですけどォ、俺って幾つだっけ?
「ほら、聞いてやるから。話してみ?」
「別に……」
雨の匂いをたっぷり吸った制服越しに、お前の体温が伝わる。
本当は、俺に気にして欲しくて、授業中外ばっかり見てんだろ?
俺はそんなお前の事ばっかり見てるよ。お前の瞳に少しでも俺を映そうと必死だよ。
「こっち向けよ」
「い、や」
また抵抗するんですかァ?そうやって俺のこと、煽ってる?
つうか、伝わってくる鼓動、かなり早いんですけど。これってお前がドキドキしてるってことだよねェ?
それに、その椅子キャスターついてるから、簡単に向きなんて変えられるんだけどォ。抵抗してもムダ…
「何、悩んでんの?」
指先で艶やかな唇をゆっくりと辿ると、すぐにでもキスしたくなる。
って、こらこら銀さん。まだ性急だから。もう少しじっくり時間を掛けねェと、勘違いだったら完璧嫌われちゃうからァ!!
「先生…?」
小さな声は潤んでいて、俺を見上げる頬は確かにほんのりと染まっていた。
そんな声聞かされて、そんな顔見せられると、平常心なんて保てそうにないんですけどォ。
今すぐその甘そうな唇を味わいたくて、ムラムラします(…こんな事、誰か最近言ってたよな。ま、誰でも良いけど)。
「恋でもしてんのかァ?」
探りを入れるように問いかけたら、恥ずかしそうに俯く…って、コレ!!やっぱ俺の事好きなんじゃない?好きでしょ、好きだよねェェェ!!?
頭の中ぐるぐるするんだけどー。このままここで押し倒しちゃいたいくらいなんですけどォォォ!!!
いやいやいや、銀さんは大人のオトコだから。そんな、発情期のガキみたいな行動とんのは恥ずかしいから。
ここはちょっと落ち着いて…
顎を掴んで顔を持ち上げると、視線を絡めたまま、カチャリ…眼鏡を外した。
そんな風に視線を泳がせたら、俺を好きだって言ってるようなもんだよ?
もう、俺勘違いしちゃったからね。勘違いでもなんでもお前を襲う事に決定しちゃったからね!?我慢なんてしねェよ?
「もしかして、俺の事…好き?」
問いかけながら、
そっと唇を塞いだ――
「お前、やっぱり可愛いなァ。ホントは卒業するまで我慢するつもりだったんだけど、」
あんなにつれない態度ばっか取られると、我慢出来なくなんだろー?お前、あれワザと?
「え…?」
その返事、無意識ですか?もしかして、無意識であんなに俺の事を煽ってくれちゃってたんですかァ?
ある意味天才だね、小悪魔を地で行ってるよ。でも、そんな所も好きだけどね。
「もう一回、名前呼んで?」
「ぎん、ぱち……」
チクショー!!!声も唇も甘過ぎだっつうの!!!
貪るような激しいキスを降らせると、腕の中の細い身体からは力が抜けて。
「良かったァ、拒否られたらどうしようかと思った……」
今時、教師と生徒の恋は禁断だとかそんな堅ェこと言うなよォ。だいたい、タブーとか言われると侵してみたくなんだろー?な、な。お前もそう思わねェ……?
もっと早く、こうしてればよかったかも。
つうか、ホントはこのままもっと先まで(……ってのは、流石にヤりすぎ?)。
「早く大人んなれよー、それまで待っててやるから」
「嫌だ。そんなの」
大人になってしまったら、無邪気に我が儘も言えなくなるでしょう?先生に、無防備に愛を囁くことも出来ないから。
続く理由に、お前をぐちゃぐちゃに壊したくなった。
愛しすぎるっつうの。コレって絶対ワザとだよね?俺のツボ擽ろうとしてワザと言ってるんだよね?
俺、もう
我慢しなくてイイですか――
大人になれない
(大人になりたくないと密やかに泣くその泣き方は、大人のそれでしかなくて)