数式とラブレター

「天才と凡人の違い…っスか?」
「うん」
「さあ、アタシは考えたことないっスねー」


 彼女は、時々脈絡もなく不思議な言葉を発する。
 昨夜見た夢の話だったり、10年前の思い出だったり、前後の会話とはまったく関係のないことばかりで、最初は戸惑っていたけれど、一緒に居る時間が長くなればなるほどに慣れた。
 慣れたとは言っても、それは、彼女の言葉を全て理解できるという意味ではない。
 予測を試みた時期もあったけれど、それが上手くいかないと悟った今では、いったい彼女が次はどんなことを喋るのだろうと、逆に楽しみにしていたりする。


「喜助さんを見てるとね、天才ってこういう人の事なんだろうなと思うの」
「そっスか?」

 向かい合っているのに、そんな時の彼女は何処か遠くを見るように焦点の合わない瞳をしている。
 斜視とまではいかないけれど、何を見ているのか、その目に自分が映っているのかも分からない。

 そんな視線に、毎回不安になってるなんて言ったらアナタはきっと笑うんでしょうね。
 まあ、虚ろな瞳じゃないことは確かなんで、アナタにしか見えない何かを見てるってことなんでしょ。
 杞憂ってやつには違いないと思いながらも気になるんスよ、これも惚れた弱みっスかね。


「うん。さっきの返事を聞いてますますそう思った」
「さっきの返事っスか?」
「そう!喜助さん"考えない"って言ったでしょう?」

 テーブル越しにほんの少し身を 乗り出した彼女の瞳が、しっかりとこちらに向いて、網膜に映った自分の姿を確認するだけで、訳もなく気持ちが高揚する。

「言ったっスよ。正確には"考えない"じゃなくて"考えたことがない"って…」
「どっちでも同じことだよ」

 とにかく、喜助さんは天才だと私は思うの。と、呟いた彼女の視線が再び浮遊して、空中をさまよう。

 その可愛い目でもう少しアタシのことを見ていて欲しかったんですけど。
 アナタの思考はまた、どこか予測のつかない所へ飛んでるんですかねぇ。

 目を細めて、ちょっとだけ眉を顰めた表情に見惚れる。
 何かを考え込むように首を傾げる仕草を眺めながら、自分までつい同じように首を傾げてしまいそうになるのは、やっぱり無意識で彼女の事を理解したいと思っているからだろうか。
 つんと突き出された唇は艶やかに潤んで、そこに今すぐ唇を重ねたいとの欲が、鳩尾で熱く焦げる。
 ゆるやかに傾いた首筋に浮かぶ鎖骨の窪みに、視線が吸い寄せられる。

 アナタのその顔、めちゃめちゃ好きっスよ。



「あーあ。頭の中に数式があれば良いのに」
「え?」
「喜助さんは持ってるんでしょう?数式」

 またもや予想外の言葉が飛び出して、脳内を困惑が満たしていく。
 でも、その感覚は不快ではなくて。むしろ、快かった。

 天才と凡人の話の次は数式っスか、やっぱりアナタはアタシには理解不能っス。
 でも、その曖昧でふんわりした所も、堪らなく魅力的なんですけどね。

「や、何の事か分かんないんスけど」
「嘘ばっかり」

 鮮やかに笑顔を作って、再び彼女がこちらを見つめる。
 帽子に伸びて来る細い腕は、何の遠慮もなく被りモノを外して。
 髪の毛の隙間に入り込む指は、自分よりも少しだけ低い体温をじわりと沁み込ませる。

「ほんとっスよ?」
「ううん、喜助さんは何もかも分かってるんだよ」
 だって考えないんでしょ?

 心から楽しそうなその表情に、愛おしさが溢れだす。

 アナタが楽しいのなら、アタシはそれだけで幸せっス。

「単純に、何にも考えてないだけなんスけどね…」
「それが、天才ってことだよ。凡人はついつい答えを求めて考えようとするから」
「……」
「でも、喜助さんは考えない」
 それは、きっと考える必要のない数式が、喜助さんの中に最初からあるからだよ。

 ふにゃり、表情を崩してアタシを見つめる表情は、計算ですか?
 アタシから見れば、アナタの方がよっぽど"天才"的っスよ。

「そんな喜助さんだから、大好きなの」

 ほら。
 またそうやって、深く考えもしない言葉でアタシを翻弄して。

 テーブルを回り込んで、優しく髪を撫でていた手首を掴むと、華奢な上半身を引き寄せる。
 胸同士が触れ合うと、小さく伝わる鼓動と布越しの肌のやわらかさに、身体の奥が疼いて。
 無防備に突き出されたままの唇を素早く一度塞ぐと、抱き締めたまま細い肩に顔を埋めた。

「そうかもしれないっスね、でも」


数式
(アナタはそれ以上に天才っスよ…)

 やっぱりアナタは、アタシに身を焦がさせる天才で。
 お陰で、アタシはアナタから一生離れられそうにないっス――
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