だって恋もできない

 グラウンドの作り物のような土の上に、次々と降り注ぐ雫は、じわり色を変えて中へ中へと沁み込む。
 水分を含んだ土は次第に色を濃くして、斑点のようだった雫の模様はやがて一面に広がっていく。

 雨が、降っていた――


「おーい。聞いてるかァ?」

 教卓からやる気のない銀八の声が響く。

 聞いてるかって……聞いててもたいして意味のない事しか喋ってないくせに。

 でも、聞いていた。
 視線は窓の外に固定したままだけど、耳だけは先生の声に釘付けだった。
 だるそうなその喋り方が大好きで、本当は一言も聞き洩らしたくなくて。


「おい、お前なぁ…無視は止めてくださーい。先生、結構繊細なんだから」
 そんな風にいかにも興味ありませんっつう態度取られると、傷つくんだよォ?

 少しずつ声が近付いてくる。銀八がいつも引っ掛けている安物のサンダルのだらしない音も。
 ペッタペッタと距離を詰めるその音にひそかに胸を踊らせながら、相変わらず外を眺める。

 グラウンドは降り続く雫ですっかり潤って、もう土の色なんてどこにも見えない。
 広がる水溜まりには、曇り空が映る。
 雨粒で波紋が広がって、ゆらゆらと揺れるその空は、意外にもキレイだ…。


「まあ、俺も雨を見てんのはキライじゃないけどねェ」

 もしかしたら、銀八には全部バレているのかもしれない…と、思うのはこんな時だ。
 決して誰にも気付かれないように、細心の注意を払っているつもりなのに。

 ふわり、ゆらいだ空気に銀八の香りが乗って、鼻腔の奥へと潜り込んだ成分が体中に広がって行く。
 外と同じ位の湿度が、じわじわと粘膜を潤していくような気がした。

 教室は静かだ。
 もしかしたら皆が、私と銀八先生の方を見ているのかな?


「いつまで無視するんですかァ?ずーっとそんな態度取ってんなら、俺にも考えがあるからなー」

 丸めた紙の筒か何かで自分の肩を叩いているらしい、渇いた音がポスポスとリズミカルに響く。
 そんなに近寄らなくても聞こえるってば、というか心臓に悪いから近寄らないで欲しい。


(分かってんだろうな?)

 不意に耳元に注ぎ込まれた低い声。
 少し掠れた響きと、熱い吐息に、思わず肩が揺れる。


「あー。やっとこっち見てくれたなァ」
「……っ、先生?」

 ニタニタと薄笑いを浮かべた銀八が、嬉しそうに私を見下ろしている。


「お前、後で国語科準備室に来ることー。たっぷりお仕置きしてやるから」

 お仕置きって……銀八は先生でしょう?
 物騒なこと、言わないでよね。

「イヤです。何で私が?」
「授業を聞いてなかったからですゥ。それから、俺の事ずーっと無視してたからですー」

(それだけじゃねェけどな…覚悟しろよ)

 再び鼓膜に注がれた低い声に、抵抗する気を失った。





「センセ、居ないの?」

 放課後の国語科準備室には誰もいなかった。
 さっき上がったばかりの雨で、外の世界はまだ濡れていて、カラリ…窓を開けると湿気を帯びた空気が室内に流れ込む。
 水溜りには、少し彩度を落とした青空が浮かんでいる。
 校舎のすぐそばに茂っている樹木は、きらりと雫を乗せて光っていて、顔を出した太陽のオレンジ色がキレイだ。

 先生の椅子をゴロゴロと移動して、窓際に腰を下ろした。
 窓枠に両肘をついて、外を眺める。

 先生の椅子からはすっかり染み着いた煙草の匂いがして、窓から入り込む風でその匂いが漂うたびに切なくなる。


「銀八センセ……」

 窓から手を差し伸べると、ぽたり…どこからか舞い降りた雫が掌を濡らす。

 いつも授業中外を見てるのは、先生を見てるのが苦しいから。
 もっともっと好きになりそうで、それが怖いから。


「銀八先生……」

 こうやって、こっそり名前を呼ぶだけで、先生を好きな気持ちが膨らんでいく。
 ホントは私の気持ちなんてなにもかもお見通しなんでしょう?


「銀八――。銀八の馬鹿……」



「何だァ?いきなり、呼び捨てですかー。しかも馬鹿って…酷ェな、確かに俺は馬鹿だけどねェ」
「……っ、センセ!!」

 すぐ傍で聞こえた銀八の声に振り返ると、ふわふわの銀髪が触れそうなほど近くにあって。
 いつの間にそんなに近くに来てたの?全然気が付かなかった。


「何か悩みでもあるんだろ、お前」
「……っ?!」
「最近、様子がヘンだもんなァ。俺、心配してんだよォ?」

 ぎゅっと背中から抱き締められると、心臓が壊れそうになった。


「ほら、聞いてやるから。話してみ?」
「別に……」

 くたくたの白衣越しに、銀八の体温が伝わる。

 本当は、先生に私の事を気にして欲しくて、外ばかり見てた。
 でも私には勇気がなくて、先生と生徒の恋なんて考えられなくて、押し留めなくちゃって必死で。


「こっち向けよ」
「い、や」

 両肩に手を添えられて、いとも簡単に向きを変えられる。
 キュキュッ…椅子のキャスターは、まるで私の心が軋むように、小さな音を立てた。

 私、案外臆病者なんです。


「何、悩んでんの?」

 銀八の長い指が、唇をゆっくりと辿る。

 なんで、そんな事をするの?踏み越えてもいいの?


「先生…?」

 風に揺れる銀髪が、綿毛のように夕陽に染まる。キレイだ。
 眼鏡の奥で私を見据えている瞳は、いつもみたいに死んだ魚の様相を削ぎ落として、鋭く心を射抜く。


「恋でもしてんのかァ?」

 私が好きなのは、先生。あなたです…なんて、言える訳ない。
 そんな目で見られると、ドキドキする。逃げ出したいのに逃げられなくなる。

 俯いたら、即座に顎を掴まれて、苦しくなるほどに顔を持ち上げられた。
 いつもと違う先生の表情…カッコイイ。
 真顔の先生は私の目を見つめたまま、カチャリ…眼鏡を外した。


「もしかして、俺の事…好き?」

 言いながらそっと唇を塞がれて

 言葉を失った――



「お前、やっぱり可愛いなァ。ホントは卒業するまで我慢するつもりだったんだけど、」
 あんなにつれない態度ばっか取られると、我慢出来なくなんだろー?お前、あれワザと?

「え…?」

 無意識で、先生の事を煽ってた?そんなつもりは全然なかったのに。
 でも、嬉しい。


「もう一回、名前呼んで?」
「ぎん、ぱち……」

 貪るような激しいキスが降ってくると、悩んでいた自分の事がバカみたいに思えるじゃない。


「良かったァ、拒否られたらどうしようかと思った……」
 今時、教師と生徒の恋は禁断だとかそんな堅ェこと言うなよォ。だいたい、タブーとか言われると侵してみたくなんだろー?な、な。お前もそう思わねェ……?


 何だ、

 先生も同じ気持ちだったんだ?



だってもできない

(お前はアレやっちゃいけねー、コレも駄目って…思い込み、強すぎんじゃねェ?)
(先生は、破天荒過ぎです。)
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