止まる時間

 既に日付が変わろうかという時刻なのに、執務室の窓からはまだ明かりが漏れていた。
 墨を零したような真っ黒な闇の中に、安っぽい乳白色の明かり。
 消し忘れか?

 消灯時刻を過ぎたせいで真っ暗な廊下を、足音を潜めながら進む。
 ひたひたと聞こえる小さな音は、深夜の静けさをより一層ふかめる気がした。

 カチャリ、小さな音を立てて扉を開くと、大きなテーブルを陣取っていた主が驚いたように細い肩を揺らす。

「まだ残ってたのか?」

 俺の声で弾かれたように顔をあげたお前は、ふわり、笑顔を浮かべた。

「あ、シカマル。お疲れ様」
「お疲れさん」

 決まりの挨拶を交わしながらそっと顔を観察する。
 きっと疲れているのだろう、薄い頬の皮膚を透かして、うっすらと隈が滲んでいる。

「シカマルはもう上がり?」
「ああ、ちょっと忘れ物」

 まさか、まだ人が残ってるとは思わなくて。
 目的の部屋へ行くよりも先に、ここへ足を向けてしまった(フリをした。本当は忘れ物なんてしちゃいない)。

「珍しいね」
「るせー」
 俺だって忘れ物くれぇすることあるっつうの。

 くすりと笑い声を洩らした表情が、眩しい。
 白々しい蛍光灯の明かりの下でなお、その姿は輝いて見えた。

「お前はまた残業かよ?」
「なかなか進まなくてね。でも、もう帰るよ」
 あんまり遅くなると、怖いし。

 そう言って立ち上がると、目の前の書類の束をトントンと机の上で揃えて、次々に鞄に入れ始める。

「…で、なんで鞄に書類入れてんだ?」
「え?家でやるのよ」

 この時間まで残業して、さらに持ち帰りかよ?
 マジで身体壊すぞ…

「は?」

 お前に倒れられちゃ、俺が困んだけど。

「明日中に提出しろってさ。綱手様も人使い荒いよね〜」

 まるで、逆らえないと決めてかかるような明るい口調で呟きながら、俺を見上げてお前はもう一度笑った。
 その様子はどこか、楽しんでいる風でもある(って、まさか仕事すんのがそんなに楽しい訳でもねぇだろ?)。

「ほら、貸せよ」
「…?」

 鞄の方へ、手を差し出す。

「んな重てぇ物、目の前で女に持たせらんねぇだろ」
「ありがと。でも大丈夫だよ?」

 こうやって、遠慮する所が結構好きだったりする(きっといのなら、俺が気を回すより先に全部押しつけてくんだろうしな)。

「いいから貸せって」
「あっ…」

 かなり重たい鞄を、細い腕から無理やり奪い取る。
 本当はこのまま、仕事も半分引き受けたいとすら思った(欲を言えば、一緒に並んで時間を過ごしたいと)。

「もう遅ぇし、送ってってやるよ」
「…ありがと」

 先を促すように背中を押して、後ろ手にパチリ、執務室の明かりを消した。
 ふたりの周りが急に闇に覆われると、時間の流れが止まる。

 身じろぎするたびに衣服が擦れる微かな音しか響かないその空間は、まるでたったふたりだけで残された世界のすべてに思えた。
 互いの浅い呼気が空中で交錯する。


「おい…」
「ん、なに?」

 慣れない視界を抱え、動きだせないお前の頭に手を乗せると、やわらかい髪を二三度くしゃくしゃと撫でる。
 ぼんやりとしか見えない表情の中で仄かな月明かりに反射する双眸は、それでもちゃんと俺の瞳を見据えていて。
 闇にとける視線の中に俺がいることが、何よりも嬉しかった。


「…あんま、無理すんなよ?」

 手探りで腕を引き寄せ、もう一度髪を撫でる。


 掌の中で

 小さな頭が揺れた――





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2008.10.26その時初めて知ったのは、どうやらこの手が君を慈しみたかっただけらしいという事だ。
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