だって始まってさえいなかった

「最初はね、なんてそっくりな親子なんだろうって思ったの」

 つめたくなった秋風に、惜し気もなく綺麗な額をさらしながら、窓から身を乗り出した女は、いまにも空気と混ざりあって透けてしまいそうに見えた。

「じゃ、今はどうなんだよ?」
「んー…。全然違う、かな。私に触れるやり方も、指先の温度も」

 どちらが良いのか、なんて聞けない空気を纏って君は独り言のように呟く。
 その頼りない声音が、ますます彼女の透明度を上昇させるのに、まるでそれに反比例するように俺の中で存在感が重く沈む気がした。

 彼女の中に在る答えは、わざわざ聞かなくてもわかる。
 顔色を見れば一目瞭然だ。

「お前さ、」
「ん?」

 振り返りざまに靡いた髪から、ふわりと漂う香りが空気を揺らす。
 華奢な身体をよじる姿勢で半分だけこちらを向いた背中には、薄布越しに形の良い肩甲骨が浮き出していた。

「いつまで……んな事続けんだ?」
「……さあ、」

 ベッドに寝転んだまま、括れた腰に手を回して引き寄せる。
 掌に吸い付くような滑らかな肌。その感触は、俺の中にある種の感慨を齎して、眉間の奥に鈍い痛みが走った。

「シカマルは、迷惑?」
「別に、俺は何も困らねぇけど」

 困らないという言葉が適当なのかは、良くわからない。
 こうして触れ合うたびに多少なりと胸がざわついている時点で、心を乱されているという事になんのか(それは、世間一般で言う所の困惑するという状態と、どう違うんだろう?)。

「どうしても……」
「ん?」
「どうしても、親父じゃねぇとダメなのかよ?」

 それは自然に溢れ出した言葉で。だから"俺にしろ"と誘導する意味合いは、全くなかった(と、思う。こいつにそれ程、心を捕われてるわけじゃねぇし)。
 もっと若くて面倒じゃねぇ奴は幾らでもいんだろ?そういうニュアンスの、ただの一般論に過ぎない。

 じっと俺を見据える双眸は、悲しげに揺らいでいる(親父にはどんな顔を見せてんだ?)。

「うん。シカクさんじゃなきゃ、駄目…なの」
 他には誰も要らない――

 柔らかい髪を片手で梳きながら、色素の薄い小さな顔を覗き込む。
 腕の中で、細い肩が小刻みに震えていた。

 彼女を象る細胞や組織が、このまま段々と空中に融けだして、やがてとろりと溶けて消えてしまう。
 既に融解は始まっていて、肌は触れ合っているのに、彼女の瞳の中に俺はいない。
 思わず抱き締める手に力を込めると、首筋に軽く歯を立てた。

 微かに歪む表情は、すぐ触れられる位置にあるのに、限りなく遠い。

「あんな親父の…」

 何処が良いんだ?と問いを発しかけて、飲み込んだ。
 漏れそうな苦笑いを、必死で噛み殺す。
 まるで嫉妬してるみてぇじゃねぇか(バカなガキかよ、俺は)。


 聞かなくても

 なにもかも

 分かっていた――



「シカクさんの掌に撫でられると……泣きたくなるの」
「…ああ」
「あの目に見つめられると、身体中から気持ちが逆流するみたいに苦しくて」
「……ああ」
「切なくて…気が狂いそうに愛おしくて」
「………」



 俺が親父に敵う訳は…ない。
 少なくともいまは、な。



「だから…」
 彼が振り向いてくれるまで、このどうしようもない茶番劇に付き合って。



だってまってさえいなかった
(覚悟は出来てっから、安心しろ。) 

――死ぬまで付き合ってやるよ…
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