コンキスタドール

 生ぬるい風の吹く八月の夜、くわえ煙草を揺らしながらゲンマは雑踏に目を泳がせる。
 街灯に鈍い金髪が光っては、風に靡いていた。しつこく絡みついてくる視線は、昔から馴染みのもの。そんな媚びは、気にするまでもない。
 ゆるめていたネクタイをするり、抜き取った瞬間。

「ごめんなさい」

 掠れた高い声に振り返る。息を浅くした彼女が、いた。

「いや」

 最初から怒る気なんて全くない。俺たちの業界に、不測の事態はつきものだし、故意に約束の時間を違えるようなこいつではないから。それでも謝ってしまうのが彼女なんだけど。

「にしても、珍しいな。お前がうっかりするなんて」
「一日が日曜日だと、頭のカレンダーが狂うの」

 風変わりな主張をする彼女は、いつになく語気が頼りない。冷静で滅多に乱れない声の調子が、ゲンマには、ほんの少しだけ上擦って聞こえた。
 月が変われば少しは仕事も落ち着くから、お誕生日祝いのやり直しを。そんな約束に遅れた言い訳だから、だろうかと一瞬思ったけど。そもそも言い訳をするような彼女ではないと、ゲンマは知っている。

「ま、いいんじゃねえ」
「ホントだから」
「ああわかってるって」

 いつものように飄々と語るゲンマの声に、彼女の言葉が重なる。日付の感覚が狂う、とこいつが言うのなら本当にそうなんだろう。疑うつもりは微塵もない。
 むしろ、その理由が面白いと思った。こいつはやっぱり、俺を飽きさせない女だ。

「でも…」

 言い淀むその声の細さ。必要以上に申し訳なさそうな上目遣い。
 彼女が相手だったら、待つことは苦にならない俺なのに、とゲンマは小さく笑う。

「別に、んなの全然」

 返事をかえしながら、小さな頭を両手で包み込む。やわらかくて細い髪の感触。
 驚いたように見つめ返す瞳に、俺が映っている。

「たいしたことじゃねえし」
「ありがと」
「ああ」
「ホント、ごめんね」
「たまには」

 訝るように振り返る彼女の視線に、にやりと口の端を歪めて。

「焦ってるお前を観察すんのも悪くねえから…な」

 わしゃわしゃと髪を乱しながら頭をふる。この頭は空っぽかとバカにするように。そんなこと、ホントは全然思ってないけど。
 手の平に伝わる肌の熱。ぱちぱちと音がしそうに瞬く大きな瞳。

「やめて」

 言葉とは裏腹の、微かに嬉しそうな声。へえ、そんな顔することもあるんだ。じゃれあう俺の気持ちはつつぬけってワケな。ったく素直、というか、意外といった方が適当?
 珍しいことは続くもんだ。

「確か…三月もそうだったもんな、お前」

 あの時は雛祭りを一日間違えていて、ツッコミに慌てる顔がやけに可愛かった。いつもは表情を崩さないお前だから、なおさら。

「言わないで」

 遮るその言葉も、ゲンマの耳にはほんの少しだけ切迫して聞こえる。きっと、慌てて遮ったのは続くゲンマの言葉に彼女も気付いているから。

「じゃあ、先月俺の誕生日忘れてたのも」
「三月からずーっと日付の感覚が狂ってたから、じゃないです」
 言わないでって言ったのに。

 顔を背ける仕草には、後悔の色が滲んでいた。ちょっとからかいすぎちまった、か。
 もともと記念日だとか、誕生日だとか、普通の女がやたら気にすることには興味のないお前だし。俺自身もそんなモンは取るに足らないことだと思う。ふたりでいる意味はそんなトコにはないから。
 たぶん俺の言葉が本気じゃねえって、彼女にはわかってるんだろうけど。ごめんな、の代わりにもっと頭を揺すって、くしゃり、髪を撫でた。

「そんなに振られたら、頭くらくらする」
「最初から空っぽだろ」
「せっかくセットした髪、ぐちゃぐちゃになる」
「どうせ走ってきたから、ぐちゃぐちゃだったのに?」
「……」

 もう少しだけ、いつもと違うお前の顔を見ていたい、なんて思った。むずむずと心を擦られるこの感じが、心地よかったから。
 細い指先がゲンマの唇を塞ぐ。直接ふれた肌は、ひんやりと冷たい。
 今月の一日は、日曜日じゃなくて土曜日なんだけど、とか、暑い外で待たされてじんわり汗ばんでるんだけど、とか。周りの視線がうっとうしい、とか。
 そんなのはどうでもいいから、自分よりも低いその体温をもっと近くで感じたい、と思う。

「お店は?」
「キャンセル済み」
「じゃあ、帰ろうか」

 ああ。頷きながら手を繋げば、さらに驚いた顔。小さく肩が揺れる。
 一瞬。ほんの一瞬だけ、こんなトコをアオバとか奈良に見られたらめんどくせえな、と思ったけど。繋いだ掌を放す気にはなれなくて。染み込む肌を味わうように、きゅうっと指先を絡める。

「たまには、な」
「ゲンマが外でこんなことするなんて、珍しい」

 ふ、ゆるむ表情にやられた。


ンキスタドール
<征服されてるのは、どっち?
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2009.08.04
コンキスタドール=征服者
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