春の目眩
きっと春のせいだ。胸の焦げそうな欲情も、バカみたいに騒ぐ心臓も。
早く。 急かされて、繋いだ手から、じわりと染み込む体温。その先に待っている行為が、嫌でも頭の中を占領しはじめている。
後ろから見ても分かる、うっすら染まった耳たぶ。そこに光る金属が、やけに白く見えるのは、皮膚が彩度をあげているせい。
今夜は手加減しねえから。 なんの返事も返ってこなかったけれど、指先にきゅっと籠った力はきっと肯定の合図。だよな?
「湯、溜めてくるわ」
「ん。お願い」
バスタブに湯を張る音がしずかに響く。立ち上る湯気がやわらかく辺りを包めば、焦れた気持ちが勝手に煽られていく。
サニタリーの扉を開くと、鏡に向かってピアスと格闘中の彼女の背中。後ろに並んで同じくピアスに手をかけながら、鏡の中で視線が重なれば、自然に浮かぶ微笑み。
首を傾げて、あらわになったうなじにすらぞくりと肌がふるえて。装飾品のなくなった無垢な耳たぶに、かるく唇を押し当てた。耳たぶはお前の性感帯だから。
服を脱がせ合う手がもどかしく皮膚を掠める。今すぐに絡み合いたい気持ちを必死で抑えつけて、わざとゆっくり手を動かす。
そうしないと、その場で押し倒してしまいそう。壁に押し付けて貪ってしまいそうだなんて、どこまで発情してんだか。
「待って、眼鏡。外さなきゃ」
一糸まとわぬ姿に、眼鏡だけ。その姿もかなりソソる。
彼女の背後には鏡。浮きだした肩甲骨と、綺麗に反った背中のカーブが堪らない。それを見つめる自分の顔は、異常なほどに厭らしく歪んでいた。
くるり。背中を向けて鏡に向き直った彼女が、眼鏡に手をかける。
服を脱ぐ際に乱れてしまった結い髪を解いて、鏡の中を覗きこめば、不自然に静止したままの彼女。ぼーっと見惚れてるなんて、俺の髪下ろした姿、んなに珍しい?
無防備に晒された胸は、鏡越しに見るとさっきとは異質に見える。正面から当たるライトの所為で、ふくらみの形に添ってやわらかい影。
誘われるように手を伸ばして、脇の下から腕を潜らせる。陰影に沿って両方の掌をそっと添えると、彼女の肩がちいさく揺れる。
「…つめた、い」
「わりぃ」
ちっとも悪いなんて思っていないくせに、条件反射で漏れる台詞。
「……っ!」
息を飲む音。彼女の視線を追えば、鏡の中で自分の肌の上を這う指先を凝視していた。白い肌の上、ほんの少しだけ明度の違う別の肌色。俺の指なのに、なんかすげえヤらしく見えるのは気のせいだろうか。
さらさらと表面だけをなぞるように、かるく膨らみを包む。面白いほど顕著に浮かび上がる泡立ちは、きっと寒いせいではない。
「寒ぃの?鳥肌出てるけど」
「………」
ちがうとわかっていて聞く俺は、意地が悪いのかもしれない。でも、切なげに歪み始めた表情は嗜虐心を刺激するのだからしかたない。
困った顔に煽られて、さらに虐めたくなるような、そんな男だと諦めろ。
わざと肝心な部分を避けて撫で回す指に、ねだるような視線が絡みつく。
「シカ…」
「ん?」
焦らされれば感度があがるというけれど、それは本当らしい。指先が危うい所を通過するたびに、鏡のなかではお前の顔が物欲しげに歪んで。
ふ、と漏れる吐息と艶っぽい表情に、理性がぐらぐらと揺れている。
臍の裏側で沸き立つ熱は、ますます温度をあげて。早く啼かせたい気持ちと、もっと焦らしたい気持ちがせめぎあう。
でも、もうすこし。
せめて、バスルームに移動するまでは。思い切りお前を焦らしてやるから。
つうことは、必然的に自分自身も焦らされる訳なんだけど。どっちにしろ、すっかり煽られてるんだから、これ以上焦らされたところで大差ない(はず)。
――愉しみってのは、ゆっくり味わうもんだろ?
そう自分に言い聞かせては、境界を突破しそうな情動をねじ伏せていた………のに。
「シ…カ……っ」
んな色っぽい声で名前なんて呼ばれたら、
もう限界。
彼女のたった一言で、俺の理性なんて簡単に崩れ去る。呆気ないモンだ。
俺だって本当は欲しくて堪らないんだから、無理もねえけど。
かりっ、爪の先で胸の中心を軽く引っ掻くと、あふれた甘ったるい嬌声。鼻にかかる吐息を吐きながら、背中がすこし反りかえる。力の抜けた身体を支える細い腕は、洗面ボウルの縁を掴んだままちいさく震えている。
竦めた肩のせいで鎖骨の窪みがくっきり見える姿は、ひどく淫靡に俺の目に映って、儚い抑制力を翻弄する。網膜までイカれ始めたらしい。
眉を顰めたいやらしい顔に手をかけて、甘い声を飲み込むように唇を塞ぐ。呼吸を食い尽くすほどに深いふかいキス。
舌先のからまりあう感触と、狭い空間を満たす水音が合わさると、一気に空気は卑猥さを増す。
頭の中がぼーっとするのに、快楽を感じる感覚だけは研ぎ澄まされて、じわじわとおかしくなっていく感じ。多分お前も、だろ。
ほそい身体を片手で支えて、無意識で腰を擦りつける。触れ合った粘膜が、ぬる、滑らかに絡みつけば、痛いほどに疼く腰。
鏡の向こう、お前の泣きそうな表情と揺れる胸。誘ってるようにしか見えねえんだけど。それもやっぱり、無意識なワケ?
「……なあ」
「な、に」
「
此処でってのは、どう?」
耳たぶに触れる位置で低く囁けば、眦を染めた顔で頷くお前。そんな顔を見せられたら、本気で抑えられそうにない。もう、抑える気もねえけど。
ごくり。興奮の成分でどろどろになった唾液。それを、嚥下する咽奥の音がやけにおおきく脳内で響いている。
完璧なバランスの肢体が、もうすぐ俺の腕で色付いて。甘くかすれた声を噛み殺すように、ゆらゆらと乱れて。熱い息を吐きながら、啼いて懇願する姿が見える。
ほら、お前の眼。もう潤んでんじゃねえか。
目の前にある現実と確実な未来への、あまりの愛おしさに目眩がした。
春の目眩我慢出来そうにねえんだけど 気が付けば、髪も呼吸もぐちゃぐちゃに乱れるほど、必死に腰を振っている俺。