策士な彼の憂鬱

 週明けのデスクには、案の定決済書類が山積み。

「ゲンマ、早いね」
「おう。今夜は早く帰りてぇからな」

 アオバと短い会話を交わし、手際よく処理を熟す途中で、ふと一枚の書面に目が留まった。

「んだよ、これ」
「見ての通り、休暇願…じゃないの?奈良の」

 そんなことは、アオバに言われなくとも分かっている。
 "What"の"なんだ?"じゃねぇんだよ(って、アオバは分かっててワザと言ってるんだろうけど)。

「ったく……」

 前方に視線をさ迷わせると、既に出社してPCに真剣な眼差しを注ぐ奈良の姿。
 俺達の会話が聞こえているのか否か、微動だにせぬ彼はかなりの集中力で職務に当たっているらしい。
 そんな様子を見せているのが彼の意図的な行動だとしても、その結果として残される仕事振りは認めざるを得ないというのが実際の所で。

 早朝出勤で自己アピールする目的よりも、きっとお前のことだから晩に出来るだけ早く帰るため…って理由の方が先に来んだろ?(彼女の帰社時間にいつでも合わせられるようにってか)。

 普通の状況であれば、希望を叶えてやりたいのは山々なんだが。


「また"水曜日"みたいだね、」
「ああ…」
「あいつも分かり易い奴。若いせいかな、それとも」
 いつもの冷静さを欠くほど、彼女に……ってことか。

 目の前で苦笑しているアオバを見ながら、ため息がもれる。

「両方…だろうな」
「そうだね。仕事にはそれほど支障もないし、まあイイんじゃない?」
「そうも行かねぇ」
「そう?逆に今の方が効率も仕事の精度もアップしてる気がするけど」

 確かに奈良は頭もキレるし、普通の何倍ものスピードで仕事を熟す。処理の正確さも評価に値する。
 だからこそ先週も先々週も目ぇつぶったんだ。
 けどな――

「……わりぃけど、アオバ…」
 仕事のキリの良い所で俺んトコ来るように、奈良に伝言頼むわ。

「了解。様子見て、声かけるよ」
「頼む」

 奈良の書類を一時保留にしたまま、次の書類を手に取った。





 一通り急ぎの書類に目を通し終えたところで、脇に避けておいたさっきの休暇願に目が留まる。

「奈良くんの彼女、最近すごく忙しいみたいだよ」
「へえ……」


 昨日の晩の家での会話が、ふと頭の中をよぎった。

 確か彼女も同じ業界で働いている筈だから、ウチがこんだけ忙しいって事は彼女の状況も似たようなモンなんだろう。

「最近、毎晩彼が迎えに行ってるみたい。昨日も午前様とか言ってたし、寝不足大丈夫かな」
 水曜だけはちゃんとお休み出来てるみたいだけど…

「奈良のヤツ、そういう訳かよ」
「え?」

 胡坐の中に座ったお前は、不思議そうな顔で振り返って俺を見上げる。
 短い髪の生え際に軽く唇を落とすと、ふわふわの髪を掌で乱しながら、ため息をひとつ。

「月末で年度末なのに、あいつ毎週水曜休みで週末に休日出勤してやがるから」
「ああ…なるほど」
 彼女の休みに合わせてるんだ。

 ふうわりとやわらかい表情を作るお前の肩に、こつんと額をぶつける。
 ちいさな掌が髪の毛の間に入り込んで、俺を宥めるように動いていた。

「可愛いトコあるね、」
 よっぽど彼女のこと心配なんだよ――

「気持ちは分からなくもねえけど(お前が同じ状況なら、きっと俺も同じように心配だろうから)」

 まあ、俺はそれでも奈良と同じ行動は取らねえけどな(ただでさえ勘のイイあいつに、心配してんのを気付かれるなんて、弱み握られるみたいで堪んねぇ)。


 彼女の定休日が水曜日だか何だか知らねえが、毎週水曜休みで土日に休日出勤するっつうのはどうなんだ?
 先週まではともかくとして、月末も年度末も近ぇし今週は無理だぞ。

 あいつの顔が浮かんだら、やっぱり今夜は早く帰りたいと思った。


「ゲンマ、これよろしく」
「…ん?ああ」
「ところで、手…止まってるけど」
 どうかした?

「別に何でもねえよ」

 アオバへ返事したのとほぼ同時に、こちらに近づく誰かの気配。

「ゲンマさん、お呼びっすか?遅くなってすんません」
「まあ、座れ」

 隣の椅子に奈良の着座を促すと、問題の書類を机の上で滑らせる。
 一瞬だけ視線が絡んで、無言の攻防は数十秒続いた。



「……別に、無理にって訳じゃねぇっすから」
「ま、無理かどうかは今日明日の仕事の進行次第だな」
「うす」
「月末だし、休めねぇ覚悟はしとけ」

 頭を下げて立ち去る姿に、再びため息が漏れた。





 最初からダメ元で出した休暇願だった(ここ数週続けて受理されていたから調子に乗った所もあるのかも)。
 だから、ゲンマさんの言葉には異論は全くない。
 とはいえ、ただでさえ忙しい彼女との時間を削られるのはやっぱり忍びなくて。

 仕方ねえか、月末だしな。

 ふっ……小さくため息を吐き出して、外していた眼鏡を掛けると、PCの画面を注視した。

 カチカチとマウスを動かして、図面の続きに集中し始めた頃、アオバさんの穏やかな声が耳に滑り込む。

「あんなこと言ってて、最終的にはハンコ押すんじゃない?」
「……そうっすかねぇ」
「多分、ね。ゲンマも俺も鬼じゃないし」
「それは分かってるんすけど」
 確かに、けっこうタイトなスケジュールっすからねぇ。

「ま、やるだけやるしかないね」

 立ち去るアオバさんを見送って、ふたたび目の前の仕事に集中する。
 可能性があるのだとしたら、それを自ら潰すのは馬鹿げているから。



 その翌日。
 俺のひそやかな決意を簡単に突き崩したのは、ゲンマさんでもアオバさんでもなくて。
 "休暇願"の理由の張本人…彼女だった。


「明日仕事になっちゃった」
「まじ?」
「正確には、とても今夜では終わりそうにないから明日休日出勤することにした…ってことなんだけど」
「2週間ぶっ通しで仕事って、大丈夫なのかよ?」
「うーん 分からないけど、でも、仕方無いし」
 だから、今日はいつもよりちょっと早めに帰ろうかと思って。


「じゃ、迎え行くわ。待ってろ」
「シカマルは?仕事大丈夫なの?」

 明日休むつもりで必死にやってたけど、その理由がなくなれば寧ろいますぐ帰っても良い位だ。

「全然忙しくねぇし。何時がいい?」
「19時以降だったら、何時でも。ホントに、甘えちゃっていいの?」
「ああ。じゃあ、着く前にメールする」

 煙草休憩中の電話を切って、俄かにそわそわしはじめる。
 会う時間が早まっただけで、こんなにも感情を左右されている自分が不思議だった。


「ゲンマさん」
「ん?」
「明日の休暇願、取り下げます。その代わり、」
 今夜はもう失礼させて貰っていいっすか?

 返事が何であれ、もうそうすることに決めていた。


「おい、奈良…」
「それぞれの案件の期日は、きっちり守りますんで」
 ほぼ終わってますし、明日の午前中には目途たちます。

「そういう事じゃなくて、まじで良いのかよ?」
「何がっすか」
「休み……」
「いいんっす。諦めてましたし」
 じゃ、お先に失礼します。

 不審げに眉を顰めるゲンマさんの追及を避けるため、手早くデスクを片付けると慌てて事務所を後にした。






「んだよ、奈良のやつ」
「さあ?さっき誰かと電話してたけど、そのせいじゃない」
「はぁ?」

 ったく、逃げやがった。

 もしかしたら、彼女が忙しくて明日休めねぇとか…。代わりに今日は早く帰るってか。多分(というか、確実に)、その類の理由だろ?

 奈良をあんなに焦らせる人間なんて、俺は一人しか知らない。

 同じ理由に思い至ったらしいアオバと顔を見合わせたら、笑いが込み上げる。
 明日、どんな顔して出社してきやがるんだろ。
 どうやって突っ込んでやろうか(もちろん、ツッコミ入れる為の裏はきっちり取るつもりだ)。
 そう思ったら、幾パターンものからかいの台詞が浮かんできて、無意識に口元が緩んだ。





「今日は久しぶりに早く寝れそうだね」
「……ああ」
「シカマルも明日仕事なんでしょう?」
 日頃の睡眠不足、補わないと。

 枕に頭を預けた私の隣で、片肘をついてこちらを見下ろしている彼にこっそり見惚れる。
 結い髪を解いた姿は、いつも犯罪級だ(その上、濡れ髪は尚更艶っぽい)。

「なに、お前…牽制してんの?」
「違う、け…ど……」

 くく。私を見据えたまま、シカマルは低く笑って。

「バーカ、んなこと言われなくても無理させる気ねえっつうの」

 こつん。額をかるく小突かれただけで、胸がどくりと騒ぎ始める。
 するり、首の後ろに差し込まれた腕が心地良くて。

 胸に頭を擦り寄せると、そっと目を閉じた――





 柔らかく閉じられた瞼にキスをすれば、唇の下で微動する眼球。

「無理はさせねぇ」
「……ん」

 ホントに疲れているんだろう、色素の薄い皮膚に透ける隈を指先でそっと辿って。

「無理は…させねぇ、から」
「シカ……?」

 頬に唇を落としたら、擽ったそうに身じろぎしたあとに訪れた何とも言えない笑顔。
 そんな顔見せられたら、目眩がする(今夜も無意識で煽る気か?)。

(でも、少しだけ…ならイイだろ?)




 返事の代わりに聞こえてきたのは、健やかな寝息。

 "少しだけ"なんて珍しく甘えた台詞を吐いてみたのに、数秒後…眠りに落ちてしまった彼女を前に、俺はどうすれば良かったんだろう。
 寝顔の余りの愛おしさに、途方に暮れる火曜日の夜。
 

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