崩壊アンチテーゼ

「今日も奈良くんの彼女、こんな時間まで残業だったみたい」
「へぇー…なるほどな」

 ニヤリと笑うゲンマは、やけに楽しそうだ。

「どうしたの?」
「いや、奈良のやつ…そんなに切羽詰まってる訳でもねえのに、」
 遅くまで残ってやがったから、な。

 "なるほど"ってのはそういうコトね。

「彼女をお迎えに行くため、ってことか…」
「ああ。多分な」

 違和感の謎が解けたせいか、すっきりした表情のゲンマに微笑みかけると

(相変わらずお前も察しがイイよな)
 そういう女、嫌いじゃねえけど。


 低い掠れ声とともに、口の端を上げる笑みが降ってきた。





「――だってよ、シカ」
「……っ!」

 もうすぐ午前様になろうかという時刻、助手席で携帯を覗き込んでいた彼女が口にした言葉は、俺の動揺を引き出すのに充分で。

不知火さんの奥さんからメールで「は?そんなに切羽詰まってないのに残業してると思ったらやっぱりか、とゲンマが言ってますが…」だってよ。


 ったく、一々報告してんなよと批判する前に、見透かされた羞恥で顔が熱くなる。

「"俺も残業だからちょうど良い"って言ってくれたのは、嘘だったの?」
「ばっ!」
「もしかして、私の終わる時間に合わせてくれた とか」
 ありがとう、シカ。

「違ぇっつうの。月末近ぇから、マジで忙しいんだって」
「ホント?」
「ああ。俺らとゲンマさんじゃポストが違うしな」

 彼が部下の抱えている仕事量を見誤るはずはない(でも、それはお前には分からない話だ)。
 つまりは、ゲンマさんはなにもかもお見通し ってか。

「だったら、良かった」
「余計な心配すんな」
「うん」
 でも、不知火さんの予想がホントだったら、それはそれですごく嬉しい かな。

 ったく、可愛いこと言ってんな。
 駄目だ。俺は今夜もまた、彼女にやられるらしい。

「バーカ、んな訳ねえって」
「 だよね」


 事実はその反対。
 彼の予想は100%正解で、やっぱり俺ではゲンマさんには敵わなかった。


崩壊アンチテーゼ
対抗しようという意志など、簡単に砕かれる。

 そして今日も、彼女に溺れる――
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2009.02.24
アンチテーゼ:特定の肯定的主張に対する特定の否定的主張。反対命題。反定立
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