崩壊アンチテーゼ
「今日も奈良くんの彼女、こんな時間まで残業だったみたい」
「へぇー…なるほどな」
ニヤリと笑うゲンマは、やけに楽しそうだ。
「どうしたの?」
「いや、奈良のやつ…そんなに切羽詰まってる訳でもねえのに、」
遅くまで残ってやがったから、な。
"なるほど"ってのはそういうコトね。
「彼女をお迎えに行くため、ってことか…」
「ああ。多分な」
違和感の謎が解けたせいか、すっきりした表情のゲンマに微笑みかけると
(相変わらずお前も察しがイイよな)
そういう女、嫌いじゃねえけど。 低い掠れ声とともに、口の端を上げる笑みが降ってきた。
◆
「――だってよ、シカ」
「……っ!」
もうすぐ午前様になろうかという時刻、助手席で携帯を覗き込んでいた彼女が口にした言葉は、俺の動揺を引き出すのに充分で。
不知火さんの奥さんからメールで「は?そんなに切羽詰まってないのに残業してると思ったらやっぱりか、とゲンマが言ってますが…」だってよ。
ったく、一々報告してんなよと批判する前に、見透かされた羞恥で顔が熱くなる。
「"俺も残業だからちょうど良い"って言ってくれたのは、嘘だったの?」
「ばっ!」
「もしかして、私の終わる時間に合わせてくれた とか」
ありがとう、シカ。
「違ぇっつうの。月末近ぇから、マジで忙しいんだって」
「ホント?」
「ああ。俺らとゲンマさんじゃポストが違うしな」
彼が部下の抱えている仕事量を見誤るはずはない(でも、それはお前には分からない話だ)。
つまりは、ゲンマさんはなにもかもお見通し ってか。
「だったら、良かった」
「余計な心配すんな」
「うん」
でも、不知火さんの予想がホントだったら、それはそれですごく嬉しい かな。
ったく、可愛いこと言ってんな。
駄目だ。俺は今夜もまた、彼女にやられるらしい。
「バーカ、んな訳ねえって」
「 だよね」
事実はその反対。
彼の予想は100%正解で、やっぱり俺ではゲンマさんには敵わなかった。
崩壊アンチテーゼ対抗しようという意志など、簡単に砕かれる。
そして今日も、彼女に溺れる――
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2009.02.24
アンチテーゼ:特定の肯定的主張に対する特定の否定的主張。反対命題。反定立