天然と作為と偶然と

 時刻は22時少し過ぎ、俺らにとってはまだ宵の口ってトコだ(仕事してたら、こんな時間に帰れるのなんて稀だから)。
 当然二次会になだれ込むのだろうという空気を裂いて

「お疲れさまっス」

 やたらときっぱりした声が、近くで響いた。




天然と作為と偶然と





「帰んのか」
「はい。まずいっスか?」

 別に、無理に引き止める気はねぇし。好きにすればいい。
 酔っぱらいどもは、離れた場所で盛り上がっていて、誰もこちらに気付かない(気付かれると厄介だから、こういう時はそっと抜け出すに限る)。

「いや。お疲れ」
「うす」

 小声でやり取りをし、背を向けた奈良を横目で見送る。
 俺も帰るかな。アイツ、きっと帰るまで起きて待ってんだろうし。

 頭に浮かんだ顔にちょっとだけ微笑んで、星のない夜空を見上げる。

 抜け出すんなら早い方がいい。

 酔っぱらい集団を離れた所から眺めているアオバに耳打ちして、ふたりでその場を離れた。

「奈良のやつも帰ったの?」
「ああ」
「へえ…。駅、逆方向なのにな」
「そういや、そうだな」

 会社へでも戻ったのか?
 たしかに彼の歩いて行った方向は不自然なのに、直ぐに気が付かなかった所を見ると、俺も少しは酔いが回っているのかもしれない。
 別に、そんなことはどうでも良いけど。



「あれ?あの車…」

 駅までの道の途中、アオバが指差した方向へ顔を向ける。
 横断歩道の手前、信号待ちしている車の中で携帯の画面を見つめている女。

 あれって、確か…――

「奈良の彼女じゃない?」
「そうみてぇだな」
「お迎えってやつか」

 顔を見合せてニヤリ、笑う。考えている事は一緒のようだ。
 彼女の向かう方向にはウチの会社、まさか偶然だなんてあり得ない。

「ゲンマ、ネタが出来たって思ってるんだろ?」
「まあな」
「ま、ほどほどにね」

 改札を潜り、"お疲れ"と互いを労って、各々の方向へと別れた。


 ホームの端。
 喫煙コーナーで一服しながら頭に浮かぶのは、休み明けの奈良の慌てた顔。
 くくっ、と小さく笑って煙草を揉み消すと、ホームに滑り込んだ電車へ乗り込む。

 奈良も、俺やアオバに見付かっちまう辺りが、まだまだ青いっつうか。運がわりぃっつうか。
 偶然のいたずらってヤツも、捨てたモンじゃねえな。

 流れ始めた窓の外、淡い夜景の棚引く様子に、再び家で待っている女の顔が浮かんだ。







「おかえり」
「おう。ただいま」

 待っていた素振りなんてすこしも見せずに、ぱらぱらと手元の活字を追う彼女は、まだ髪が濡れている。
 本と向き合っている彼女の邪魔をすれば碌な事はない。
 分かっているのに、ついちょっかいを出したくなったのは、もしかしたらさっき見た光景を無意識で羨ましがっているんだろうか。
 俺に背を向けた彼女の後ろに回って、そっと肩に手を掛けた。
 ふわりと漂う甘い香りに誘われて、濡れた髪の隙間に鼻先を押し付ける。

「なに、ゲンマ。酔ってるの?」
「いや」
「酔い覚ましに、濃いコーヒーでも淹れようか」
「じゃあ風呂入ってくるわ」
「ごゆっくり」

 踵を返した背中に向けられる彼女の視線。
 すこし諦めたようにやわらかく微笑んでいるのが、手に取るように分かる。

 ぱたりと本を閉じる音。
 俺の脱いだコートを掛けるために立ち上がる気配。

 彼女のいるその空間は、彼女が居るというそのことだけで満たされていて。
 そんなことは伝えるつもりもないけど、きっと彼女には伝わっている。
 彼女もわざわざ言葉にはしないけれど、間違いなく同じ感覚を抱いているのは自明の理。

 なにもかも分かって貰えている、分かり合えているという安心感。
 そのちょうど良い距離が、堪らなく心地いい。付かず離れずってのはこんな感じだろうか。

 こういう所が、俺がこいつから離れられない理由。



(さて、どうやって奈良のヤツを弄ってやるかな…)

 熱いシャワーを浴びながら、少しずつ抜けていく酔いで、思考はクリアになる。

 信号待ちの車中の彼女の、やけに幸せそうな表情がフラッシュバックして。
 他人の幸せを羨むつもりなんて毛頭ないけれど、やっぱりあんな顔にさせられる関係はちょっと羨ましいと思った。

 そろそろコーヒーの抽出も終わった頃だろう。
 きゅっとカランを捻って飛沫を止める。
 ぽたり、髪の先から落ちる雫が足元で跳ねるのを目で追っていたら、急にアイツの顔を見たくなる。

 どんな顔で俺を待ってんだろ。
 想像の中の表情で、つい緩んでしまう口許を意識的に引き締めながらリビングへ戻った。



「お疲れさま。コーヒーちょうど入ったとこ」
「 ああ」

 立ち上がった彼女が俺に向けたのは、奈良の彼女が見せていたよりも、もっとやわらかくて淡い笑み。
 甘くはないのにふわりと溶けてほどけるような、予想以上の表情で。
 じっとしていられなくなりそうだ。

 彼女が席に着くのを待って、もう一度後ろから抱き締める。
 短い髪が頬に当たる感触が擽ったくて、なんとなく笑みが零れた。

「なに?今日のゲンマはやけにご機嫌なんだね」
「ちょっと、イイもん見ちまってな」
「へえ」

 さして興味も無さそうに一瞬だけ俺の方を振り返ると、唇だけで笑うお前。
 その表情も、結構好きなんだよな(お前には言ったことねぇけど。いつもそれにヤられる)。

「偶然なんだけどな」
「また、何かネタでも掴んだ?」
「奈良の、な」

 耳朶にかかる息がくすぐったいのだろう。
 すこしだけ肩を揺らすと、柔らかく緩んだ小さな顔が俺の方へ向き直る。

「面白がるのもほどほどにね」
「おう」
「奈良くん結構賢いんだから、その内仕返しされるかもよ?」
「アオバと同じようなこと言うなっつうの」

 俺の気に入りのマグカップを近くへ引き寄せる彼女の指を、片手で制止する。

「ほら。コーヒー冷めるよ?」
「ああ」

 掴んだままの右手を持ち上げて、かぷり。指を銜える。こいつは、こうされると抵抗しなくなるから。

「ゲンマ 」
「でも、今は」

 口内で小さく震える指を舌先で辿る。
 撫でるように丁寧に、ゆっくり。
 丸めた舌で吸い上げて、上目遣いで盗み見た顔は潤み始めていて。勝手に煽られる。

「 ゲン、マ?」

 呼ばれる名前がほんの少し糖度を増す。

 その声に速まる鼓動を隠し、双眸に視点を定めたまま、ニヤリと表情を歪める。
 呼応するように、お前の眉根が顰められるのは、予想通り(その顔に俺が弱ぇって、知ってんのか?)。


「今は、」

 低い声を放ちながら、ぎゅっと腕に力を入れて。
 あらわな首筋に唇を這わせると、温かい肌の匂いを思い切り吸い込んだ。


天然と作為と偶然と
(コーヒーより、お前に夢中…)
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