今夜もまた彼女にやられる
「寒いし…会社にいてね」
じゃあ、あとで。と電話を切った瞬間、心臓がうるさい。
一緒の車に乗るなんて、いつものお迎えで慣れてるはずなのに。
迎えに来てもらうのと、迎えに行くのとの間には、自分でも気付かない程の隔たりがあるらしい。
シカマルの会社までの15分。タクシーがやたらに多い繁華街を通り抜けながら、ドキドキと速度を増す鼓動。
心地良いしずかな昂揚を味わいながら、アクセルをそっと踏み込んだ。
今夜もまた彼女にやられる【あと少しです。会社の前に着いたら電話するから。】
信号待ちの間、メールを送信して顔をあげる。まだ赤だ。
お互い休日の前夜、たまたま二人とも新年会が入ったのは、季節柄よくある話で。
いつものお迎えのお礼に、今回は私がシカマルを迎えに行く事にした(なのに私の方が遅くなったので、時間潰しで彼は会社に戻る羽目に)。
ちょうど青に変わった信号に合わせ、ゆるやかに車を発進させる。
見慣れたビルの手前、交差点を曲がったら、遠くに見える人影。
細身のコートに身を包み、マフラーを巻いた男性が、煙草を吸いながら夜空を見上げている。
吐き出す息が白いのは、きっと煙のせいだけではない。
あれ、もしかして――シカマル?
街灯を受けて青白く闇に浮かび上がる端正な顔立ちと、スタイルの良い立ち姿。
明かりの消えた静かなオフィス街に映え、しっくりと馴染むその姿に、思わず見惚れる(もしかしなくても、シカマルだよね)。
はなれた所から彼をこんな風に見るのは、久しぶり。
相変わらず何をしていても格好いいな、と 車のなか 独り言が漏れる。
【了解。よろしく。】
メールの返信が到着するのとほぼ同時に、シカマルの前へ車を停めた。
◆
ガチャリ。重いドアを開けるとすぐ、聞こえる優しい声。
「お待たせ」
「いや。悪ぃな」
乗り込んだ瞬間、揺らいだ温かい空気に乗って、車内を漂う彼女の香り。
その甘さと、いつもとは反対側にお前がいる違和感に、ほろ酔いの脳が刺激され、目眩がする。
「寒いんだから、中で待っててくれて良かったのに」
「いま出て来たトコだから」
シートベルトを締めている俺の方へ、前触れもなく彼女の細い腕が伸びて来て、ぎゅっと手を握られた。
温かくやわらかい掌の感触に、胸がどくり、騒ぎ始める。
「嘘つき」
右に顔を向けると、すこしだけ怒ったような曖昧な笑顔が、俺を見ている。
「手、こんなに冷たいじゃない」
手の甲のうえ、するりと掌を滑らせて指先が絡み合う。
撫でられる微妙な感触で、頭がくらくらするのは、アルコールが一因だろうか。
「気のせいだろ?」
絡んだ指を一度離して、ポケットを探る。
ことん、ホルダーに買っておいた缶コーヒーを置くと、掌同士が触れ合う形でもう一度指を絡めた。
「ありがと」
「俺が飲みたかったんだよ」
「でも、私の好きなブラック」
「俺も無糖派だっつうの。開ける?」
「ん。お願い」
頷いて、ギアをパーキングから動かそうと右手を近付けた彼女は、不安定な姿勢。
手をほどかずにいてくれるのは、俺と繋がっていたいという彼女の意志だろうか。それが、どうしようもない位に嬉しい。
左手を俺に預けたまま、身をよじるようにこちらを向いた姿に、何故だか妙に煽られて。
あいていた左手で、彼女の右手を包み込む。
「何…?」
「……」
「シカ、 そんなことされたら運転出来ないんだけど」
タイトスカートから覗く膝頭の細さと、すこしだけ捲れ上がった裾。
ストッキング越しの太腿は、触れなくても分かるほど滑らかで。
困ったように寄せられた眉根が、やけに官能的に見える。
「酔ってるの?」
「いや」
呼気の匂いを嗅ぐ為に近寄せられた無防備な顔、ちいさく傾げられた首。
尖らせたくちびるの下で、窪みを浮かばせる鎖骨。
これが煽りでなくて、何だというんだろう。
「そう、だよね。そんなに酔ってるようには見えないし」
「 だろ?」
「うん。でも、」
彼女は意味深に、ふわりと微笑んで、甘い吐息が唇にかかる。
「んだよ?」
「いつもよりちょっとだけ目付きが和らいで、なんだか色っぽい」
「……っ!?」
ったく、急に何言ってんだよ。
ただでさえアルコールで緩んだ理性を、会社の前だからって理由で抑えてんのに。
というか
こんなトコ誰かに見られたら、あとでどんなに冷やかされるか。特に不知火さんなんかだと、マジでやべぇ。
そう思いながらも、両手を解けなくて。
できることなら、お前が無理矢理に俺から擦り抜けるまで、こうしていたかった。
「そういえばね」
「ああ」
相変わらず俺に両手を繋がれたまま、彼女は淡々とした調子で言葉を紡ぐ。
「さっき遠くから見たシカマルの立ち姿、」
「……(頼むからこれ以上変なこと言ってくれるなよ)」
なにかを思い出すように窓の外へ視線を走らせると、彼女はもう一度微笑んで。
――その顔、すげぇ好き。
どくり、心臓が一際激しく跳ねて、鳩尾がきゅっと詰まる。
「見慣れないからか、すごく格好良かった」
――…駄目だ、もう。
つづく台詞に、ぐらぐらと心の芯が揺らいだ。
「お前さ、」
「なに?」
かちゃり、締めたばかりのシートベルトを手早く外す。
「それって、わざと?」
「え?」
不思議そうな顔の彼女を引き寄せて、見開かれた双眸を見つめる。
ふっ、ため息を吐き出して。
奪うように一度だけ唇を塞ぐ。
「わざとでも無意識でも、もう関係ねぇけどな」
「シカ…?」
前髪を掻きあげ、額にそっとキスをして。
不自然な姿勢のまま華奢な身体を抱き締めると、肩に顔を埋めた。
今夜もまた彼女にやられる(朝まで寝かせない事に決定)