今夜もまた彼女にやられる

「寒いし…会社にいてね」

 じゃあ、あとで。と電話を切った瞬間、心臓がうるさい。
 一緒の車に乗るなんて、いつものお迎えで慣れてるはずなのに。

 迎えに来てもらうのと、迎えに行くのとの間には、自分でも気付かない程の隔たりがあるらしい。

 シカマルの会社までの15分。タクシーがやたらに多い繁華街を通り抜けながら、ドキドキと速度を増す鼓動。
 心地良いしずかな昂揚を味わいながら、アクセルをそっと踏み込んだ。




今夜もまた彼女にやられる






【あと少しです。会社の前に着いたら電話するから。】

 信号待ちの間、メールを送信して顔をあげる。まだ赤だ。

 お互い休日の前夜、たまたま二人とも新年会が入ったのは、季節柄よくある話で。
 いつものお迎えのお礼に、今回は私がシカマルを迎えに行く事にした(なのに私の方が遅くなったので、時間潰しで彼は会社に戻る羽目に)。

 ちょうど青に変わった信号に合わせ、ゆるやかに車を発進させる。
 見慣れたビルの手前、交差点を曲がったら、遠くに見える人影。

 細身のコートに身を包み、マフラーを巻いた男性が、煙草を吸いながら夜空を見上げている。
 吐き出す息が白いのは、きっと煙のせいだけではない。

 あれ、もしかして――シカマル?

 街灯を受けて青白く闇に浮かび上がる端正な顔立ちと、スタイルの良い立ち姿。
 明かりの消えた静かなオフィス街に映え、しっくりと馴染むその姿に、思わず見惚れる(もしかしなくても、シカマルだよね)。

 はなれた所から彼をこんな風に見るのは、久しぶり。
 相変わらず何をしていても格好いいな、と 車のなか 独り言が漏れる。


【了解。よろしく。】

 メールの返信が到着するのとほぼ同時に、シカマルの前へ車を停めた。





 ガチャリ。重いドアを開けるとすぐ、聞こえる優しい声。

「お待たせ」
「いや。悪ぃな」

 乗り込んだ瞬間、揺らいだ温かい空気に乗って、車内を漂う彼女の香り。
 その甘さと、いつもとは反対側にお前がいる違和感に、ほろ酔いの脳が刺激され、目眩がする。


「寒いんだから、中で待っててくれて良かったのに」
「いま出て来たトコだから」

 シートベルトを締めている俺の方へ、前触れもなく彼女の細い腕が伸びて来て、ぎゅっと手を握られた。
 温かくやわらかい掌の感触に、胸がどくり、騒ぎ始める。

「嘘つき」

 右に顔を向けると、すこしだけ怒ったような曖昧な笑顔が、俺を見ている。

「手、こんなに冷たいじゃない」

 手の甲のうえ、するりと掌を滑らせて指先が絡み合う。
 撫でられる微妙な感触で、頭がくらくらするのは、アルコールが一因だろうか。

「気のせいだろ?」

 絡んだ指を一度離して、ポケットを探る。
 ことん、ホルダーに買っておいた缶コーヒーを置くと、掌同士が触れ合う形でもう一度指を絡めた。

「ありがと」
「俺が飲みたかったんだよ」
「でも、私の好きなブラック」
「俺も無糖派だっつうの。開ける?」
「ん。お願い」

 頷いて、ギアをパーキングから動かそうと右手を近付けた彼女は、不安定な姿勢。
 手をほどかずにいてくれるのは、俺と繋がっていたいという彼女の意志だろうか。それが、どうしようもない位に嬉しい。
 左手を俺に預けたまま、身をよじるようにこちらを向いた姿に、何故だか妙に煽られて。
 あいていた左手で、彼女の右手を包み込む。


「何…?」
「……」
「シカ、 そんなことされたら運転出来ないんだけど」

 タイトスカートから覗く膝頭の細さと、すこしだけ捲れ上がった裾。
 ストッキング越しの太腿は、触れなくても分かるほど滑らかで。
 困ったように寄せられた眉根が、やけに官能的に見える。


「酔ってるの?」
「いや」

 呼気の匂いを嗅ぐ為に近寄せられた無防備な顔、ちいさく傾げられた首。
 尖らせたくちびるの下で、窪みを浮かばせる鎖骨。

 これが煽りでなくて、何だというんだろう。


「そう、だよね。そんなに酔ってるようには見えないし」
「 だろ?」
「うん。でも、」

 彼女は意味深に、ふわりと微笑んで、甘い吐息が唇にかかる。

「んだよ?」
「いつもよりちょっとだけ目付きが和らいで、なんだか色っぽい」
「……っ!?」

 ったく、急に何言ってんだよ。
 ただでさえアルコールで緩んだ理性を、会社の前だからって理由で抑えてんのに。

 というか
 こんなトコ誰かに見られたら、あとでどんなに冷やかされるか。特に不知火さんなんかだと、マジでやべぇ。

 そう思いながらも、両手を解けなくて。
 できることなら、お前が無理矢理に俺から擦り抜けるまで、こうしていたかった。


「そういえばね」
「ああ」

 相変わらず俺に両手を繋がれたまま、彼女は淡々とした調子で言葉を紡ぐ。

「さっき遠くから見たシカマルの立ち姿、」
「……(頼むからこれ以上変なこと言ってくれるなよ)」

 なにかを思い出すように窓の外へ視線を走らせると、彼女はもう一度微笑んで。

 ――その顔、すげぇ好き。

 どくり、心臓が一際激しく跳ねて、鳩尾がきゅっと詰まる。

「見慣れないからか、すごく格好良かった」

 ――…駄目だ、もう。

 つづく台詞に、ぐらぐらと心の芯が揺らいだ。



「お前さ、」
「なに?」

 かちゃり、締めたばかりのシートベルトを手早く外す。


「それって、わざと?」
「え?」

 不思議そうな顔の彼女を引き寄せて、見開かれた双眸を見つめる。

 ふっ、ため息を吐き出して。
 奪うように一度だけ唇を塞ぐ。


「わざとでも無意識でも、もう関係ねぇけどな」
「シカ…?」

 前髪を掻きあげ、額にそっとキスをして。
 不自然な姿勢のまま華奢な身体を抱き締めると、肩に顔を埋めた。


今夜もまた彼女にやられる
(朝まで寝かせない事に決定)
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