holy time

 ――やっぱり失敗だったかな。

 噂のスポットなんて、全く興味のない私なのに、今夜ここへ来たいと思ったのは職務意識の延長。
 とは言いながら、せっかくの夜だから楽しみたいという気持ちも何処かにあった。

「イヴイヴにオープンなんですよ」

 嬉しそうに語るクライアントの声が、脳裏をふわりと過ぎる。
 自分の手がけた物件のグランドオープンと聞けば、確かめに行きたくなるのも人情と言うもので。
 そこが所謂デートスポットと呼ばれる場所故に、この時期はきっとかなりの人出で空気が薄くなりそうな程だと分かっていても、それを理由に諦める気にはならなかった。







「23日の晩って、空いてる?」

 そう一言告げただけで、シカマルは私の意図に簡単に気付いてくれる。
 流石、だ。

「ああ、あそこ行きてぇんだろ?」
「…分かった?」

 別に一人で行っても構わないのだけれど。
 イヴもクリスマス当日も年内完工引き渡し物件が目白押しの私たちは、このまま年末までゆっくり会う時間すら取れそうになくて。本当に建築業界ってのは、因果な商売だと思う…なんて、今更言っても始まらない。
 だったら一石二鳥だという気持ちの奥には、微かな不安もあった(なぜなら、私は人ごみが苦手だから)。

「じゃあ、23日の19時頃にお前の会社まで行くわ」
「迎えに来てくれるの?」
「通り道だしな。多分俺、その日車だし乗せてってやるよ」
 お前、電車苦手だろ?

 電話口から聞こえるシカマルの声を、じっくり聞くのすら久し振りの日々。
 仕事を口実(という訳でもないけど)に、シカマルに会えるのは願ってもないことで。

「じゃ、19時に会社の前で」
「おう。寒ぃだろうから、しっかり着込んどけよ」

 電話を切った後も、シカマルの低い声が鼓膜の奥で甘やかに反響していた。







「お待たせ」

 コートの胸を合わせながらシカマルの車へ走り寄ると、眼鏡をかけたままの彼がふっ、と笑みを漏らす。
 無造作に鞄を受け取る際、触れた指が、ふわりと心を穏やかにする。

「別に、んな待ってねぇよ」

 助手席のドアを開きながら差し延べられる腕に、さっき着たばかりのコートを手渡して、やわらかいシートに滑り込んだ。

 カーラジオから流れる声が、行く先の混雑を告げる。続いて聞こえて来たのは、定番のクリスマスソング。記念日やイベントにはこだわらない私たちでも、聴けば何となく気分が高揚するのだから不思議だ。

「シカマルも忙しかったんじゃないの?」
「まあな。でも、あの物件には俺も関わってるし」

 外車特有の小気味よいエンジン音を響かせて、車が走り出す。
 目の前に広がる夜の街は、クリスマスのイルミネーションに彩られ、昼間とは別世界。頭を空っぽにして視線を泳がせる。

「そうだったね」
「それに、」
 お前に会えるんなら、特別。

 言いながら、掌をぎゅっと包まれて、口元が緩んだ。

「何にやけてんだよ」
「ん…、何でもない」

 他愛ない会話すら、楽しかった。

「綺麗にマニキュア塗ってんのな」
「それ位はね。せめてもの心のゆとり…よく気付いたね?」
「あんま会えねぇから、こんな時くれぇ記憶に焼き付けてぇだろ」
「ん…」

 そう言う私も、今日のシカマルの靴が、見たことのないデザイン(おろしたてなのかな?)ってことや、眼鏡の横顔が少しシャープになったことに、無意識で目が行く。

「シカ…ちょっと痩せた?」
「そうか?お前こそ」

 信号待ちの間に、こっそり見つめ合えば、車内の空気が密度を上げる。
 痛いほどに絡まる指が、久しぶりの肌の感触を知覚して、小さくふるえた。



「近付き過ぎると、車停められないかもね」
「この辺に停めて歩くか」

 目的のショップへは、徒歩10分足らずで到着するはずだ。
 最低限の荷物を手に車から降りると、シカマルの着せてくれるコートに袖を通す。
 運転席側に戻る彼を横目に見ながら、普段とはすっかり様相を変えた街を眺め、ほっと息を吐いた。

 ピッ。短い電子音を伴って鍵がカチャリ、ロックされる。

「行くぞ」

 そっと背中を押され、反射的に振り返る。

「眼鏡、外したんだ?」
「ああ…かけたままの方が良かった?」

 ニヤリ、口の端を僅かに歪める彼には、いつも私の頭の中などつつ抜け。
 短めのコートを羽織り、マフラーを巻いた姿に、こっそり見惚れる。

 ――やっぱり、カッコイイ。

「なに、ボーッとしてんだよ」
「え…ああ、久しぶりのシカにちょっと見惚れてた」
「バーカ、」

 じろじろ見んな。と、顔を反らしたシカマルが可愛い。
 夜景の中、ほんのり染まる耳に、思わず小さく笑ったら、こつんと額を小突かれた。


 人波を掻き分けるように先へ進む背中を、見失わないように追いかける。

「ほら」

 差し出された手と、シカマルの顔を交互に眺める。
 人前では滅多に手を繋いだりしないのに、珍しい。

「こんだけ人多いと、はぐれそうだろ?」

 視線の動きだけで、また頭の中を読み取られる。
 温かい手に、しっかり指を絡めてシカマルの方に近付くと、嗅ぎ慣れた香水の香りがした。

「デートみたいだね」
「違うのか?」
「違わ…ない」

 くくっ。喉元で笑いながら繋いだ手をコートのポケットに誘導される。
 ただ、並んで街を歩くだけで、ため息が出そうな位、幸せだった。


 歩き始めて10分。なかなか途切れない人波で、思うように先に進めなくて、目的地が限りなく遠く思えてくる。
 何処にこんな沢山の人たちが潜んでいたのだろうと、驚くほどの混雑ぶりの中で、皆一様に幸せそうに微笑んでいる。
 周りからは、私たちも同じように見えるんだろうか。

 あまりの人口密度で、酸欠になりそう。
 シカマルに気付かれないように、そっと深呼吸をすると、繋いだ手にほんの少しだけ力を込めた。


「寒くねぇ?」
「大丈夫」

 ふわりと巻かれたシカマルのマフラーで、首筋が温かい。

「顔色わりぃぞ」

 先程から、亀のような進みだった人の波はぱたりと動きを止めていた。自分に与えられた僅かなスペースは、周囲から漂う色んなものの混じり合った匂いに満ちていて。
 寒くはない。でも、噎せるような人いきれに、足元が覚束なくなるほどに気分が悪かった。
 こんな風に簡単に吐き気まで感じるのは、最近寝不足が続いているせいかもしれない(そんな事がバレたら、シカマルに怒られるから秘密だけど)。

「人酔いしてんだろ」

 顔に出さないようにしてたのに、なんでシカマルは気付くんだろう?
 左右に首を振りながら笑って見せたら、ぐいと肩を抱かれた。

「ほら、俺にもたれてろ」
「ありがと」

 右肩に感じる温もりが心地いい。

「あんま無理すんなっつってんだろ?」
「別に、無理なんて…」

 斜め上にある端正な顔の中で、眉間の皺がきゅっと深くなる。

「してねぇとは言わせねえ。頼むから、倒れるまで我慢すんな」
「……ごめん」

 素直に謝ったら、シカマルの表情がふっとやわらかく緩んで、反対に私の胸の奥はぎゅっと詰まる。


 肩を抱いたまま、来た道を戻るシカマルに戸惑っていたら、歩きながら綺麗な指先が器用に携帯を操作し始めて。
 お店、反対方向…だよ?


「奈良っす。わりぃ、店まであと100メーターなんだけど」
 大事な女が倒れそうだから、出直すわ――

 電話での会話を続けながら、シカマルの掌がさらりと髪を撫でる。
 少し高い体温が髪の隙間から私の中に染み込む。


「つうことで、予約はキャンセルしといて」
 ああ、必ず一緒に連れて行くから――

 マジでわりぃな。と電話を切ったシカマルを見上げる。

「え…あの、シカ?」
「今から俺ん家、な」
「なんで…」
「帰って、ソッコー風呂入って寝てくれ」

 一人にすると、寝てるかどうか分かんねぇから。

 ああ…やっぱりシカマルは何もかもお見通しだ。
 私が仕事を口実にデートをしたいと思っていたのも(だから店に予約まで入れておいてくれた)、今夜の時間を空ける為に数日無理をしたのも、いつもより少しだけ気合いを入れてマニキュアを塗ったのも、全部ぜんぶ。


「シカマル…」

 名前を呼んで顔を見上げると、くしゃり、前髪を乱して額に降ってくる優しいキス。
 それだけで、心も身体もとろけそうになる。

 車に戻り、溢れるクリスマスソングから隔絶されたら、今度は唇に触れるだけのキス。
 感じる互いの呼吸に泣きそうになった。

「今夜は手ぇ繋いでてやるから、おとなしく寝ろよ」
「ん…」


holy time
(それとも…別の事してえ、とか?)
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