寝室ストイシズム

(このままここでひとつになるってのはどう?)



 バスルームに立ち込める湯気で視界が曇る。
 湿った肌同士の接触面からは、互いの鼓動に乗せてじわり、感情が伝わる。

「お前が嫌なら、無理にとは言わねぇけど」
「嫌じゃ ない」

 背中に回った細い腕に、ぎゅっと力がこもるのに比例して、ますますぴったりと肌が触れあって。腹筋で感じるやわらかさが、脳内である種の成分を発生させているのだろう。
 身体中、末梢に至るまで感覚神経が研ぎ澄まされていく。
 余りの自分の単純さに、苦笑してしまいそうだ。

「シカマル?」
「………」

 疑念を含んだお前の声。
 バスルームに反響するそれは、いつもより甘く耳に届く。

「どうかしたの?」
「 いや、どうもしねぇけど」

 どうもしない訳がない。こうして寄り添い、触れ合っているだけで、頭が煮えてしまいそうに愛しくて。
 その感覚が俺から言葉も思考も奪い去る。なんて言ったら、お前は笑うだろうか?いや、きっと当然のことだと言わんばかりに微笑むんだろう。

「変、だよ。シカマルも疲れてるんじゃない?」
「お前ほどじゃねぇって」
「それって私の方が"変"ってこと?それとも"疲れてる"って意味?」
「んー 両方、かな」
「馬鹿…」

 顔を見合わせて少し笑ったら、反響する音で空気が変わる。正直、ホッとした。

「さっさと身体洗って上がるか」
「だね。でないと、のぼせそう」
「髪、洗ってやるよ」

 手を取ったまま順番にバスタブを出ると、お前を座らせて後ろへ回る。

「珍しいね」
「そうか?」
「うん…こうして二人でお風呂入ること自体、滅多にないし」

 首を傾げる後ろ姿に、張り付いた後れ毛が艶っぽい。
 脊椎の窪みに止まった水滴に、無性に触れたくなって。

「浴槽で溺れられちゃ困るしな」

 ワザと冗談めかした声を出して、欲情を捩伏せた。

「お疲れみてぇだし、一緒にマッサージはいかがっすか」
「お願いします。嬉しい」

 キュッ、とシャワーを捻ると、溢れる飛沫はまだ冷たい。掌で温度を確かめながら、染み込む低温で身体の熱も少しさめていく。

「温度、どうだ?」

 椅子に座った背中越しに覗き込み、差し出された掌にシャワーを向ける。
 否応なしに飛び込んでくる前肢のラインはなめらかな曲線を描いて。
 いくら何でも、無防備過ぎるんじゃねぇのか?ちっと位、隠すとか。
 それも意識できねぇ位、疲れてるっつうことかもな。

「んー…ちょうど良い」

 すっかりリラックスしたのびやかな声。
 うっすらと桃色に染まる白い肌に、無意識で身体が反応を示しそうで。胸の谷間を伝って流れ落ちる雫から慌てて眼を反らすと、頭頂部へそっとシャワーヘッドを向けた。







 適温のお湯とともに、ちょうどいい強さのシカマルの指が頭皮に触れる。ツボを的確に捉えるやさしい感触は、心と身体、両方の凝りを揉みほぐしてくれるように思えた。
 薄く開いた視界に、シカマルの形良い脚が映る。心地よさに蕩けそうになりながら、その脚に触れたくて、不謹慎な自分を心の中だけで笑う。

「痛くねぇ?」
「うん。すごく気持ちいい」

 慈しまれているという意識が、胸の中をいっぱいに満たしていた。







 互いの髪と身体を洗い終える頃には、ほんの少し体温がさめていて。再び並んでバスタブへ浸かると、ゆらりと揺れる水面の下で細い腰を抱き締める。

「シカ…ありがとう」
「ん、何が?」

 寛いだ様子で首を後ろへ倒し、すっかり力を抜いて、身体を委ねきった仕草。目を細めて俺を見上げるやわらかい表情が、堪らなく愛おしい。
 全体重を俺の方に預けている筈なのに、浮力の影響か、お前の身体はびっくりするほどに軽かった。

「シカに髪洗って貰うの、好きだよ」
 大きな掌に包まれる感じ、すごく安心する。

 そう言いながら、お前は俺の掌をそっと握り締める。

「そりゃ良かった。でも、俺も代わりに洗って貰ったし」
「でも、私…ヘッドマッサージなんてしてない」
「んなコト、しなくていいって」

 薄らと湿った額に滲んでいるのは、汗だろうか?ちゅっ、と口付けると淡い塩分が舌をなめらかに刺激する。

「熱い、か?」
「うーん…ちょっと、」
「のぼせちまう前に、上がんぞ」
「そうだね」

 くたりと力の抜けたままの身体を抱き起こして、立ち上がった姿勢でもう一度抱き締めて。少しだけ身を屈め、そっと触れるだけのキスをすると、サニタリーへの扉を開けた。







 リビングへ戻ると、彼女は鞄の中から書類を取り出して、テーブルの前に座った。

「おい、直ぐに寝るんじゃねぇの?」
「仕事、持ち帰っちゃったから…ね」

 んな事になるんなら、バスルームから抱えあげて寝室に直行すれば良かった。

 ――と、思ってももう後の祭り。

 ソファに腰を下ろした俺の向かい、眼鏡を掛けたお前は、すっかり仕事モードだ。

「そんなに時間はかからないと思うんだけど、よかったら先に寝てて?」
「いや、付き合うって」

 せっかく一緒にいられるのに、先に寝ちまうなんて勿体ねぇ。

「何か手伝えること、あったら言えよ?」
「ん……」

 書類に落としていた視線を、ほんの一瞬だけ持ち上げて微笑む表情は、さっきまでと違って少し鋭い。
 お前、仕事してっとそういう表情になんだな(いつもの顔も好きだけど、その顔もすげえ好き)。
 再び俯いた彼女の頭をくしゃりと撫でて、立ち上がるとキッチンへ向かった。

「コーヒーでも入れるわ」
「ん。ありがとう」

 忙しそうにペンを走らせる手元を横目に見ながら、フィルターに粉をセットし、コーヒーメーカーのスイッチを入れる。
 やがて香り立つこうばしい匂い。
 お前の傍で煙草を吸いながら、ぼんやりと待っているこの時間は、案外心地よくて。

 カチリ、抽出の終わる音に煙草を揉み消して、立ち上がりざまに再び彼女の頭を撫でた。
 笑顔で俺を見上げる額に、そっとキスをすると、俺も微笑み返して。キッチンへ向かう背中に、感じる視線がくすぐったい。


 取り出したカップ2つにコーヒーを注ぎ、両手に持って彼女の傍へ戻る。

 ありがとう。と、両方の手で受け取ってすぐに、ふーふーと息を吹きかける仕草は、まるで子供みたいだ。そういうトコも可愛くて仕方がない。

「熱ぃから、気ぃつけろよ」
「…っつ!!」

 だから、気を付けろって言ったのに。
 ったく…お前、猫舌だろうが。

「少し冷ましとけ」
「ん…そうします」

 あつつつ。と呟きながら、ちらりと舌を出すその所作、きっと無意識なんだろ。でも、俺には充分刺激的なんだけど(今すぐに絡め取って吸い上げたくなる)。

「あとどれ位かかりそう?」
「うーん…二、三十分かな」

 まだ濡れたままの髪も、ほんのり上気した頬も、見慣れない眼鏡姿も魅力的で。
 ここにいたら、邪魔しちまいそう。

「じゃあ、俺…寝室で本でも読んでるわ」
「そう…」
「ああ、その方が集中出来んだろ?」

 カップを持ったまま立ち上がった俺を、見上げるその目は何だ?
 んな、寂しそうに見つめんなって。

「さっさと終わらせちまえよ」
「ん……」

 空いた掌を、ぎゅっと掴まれて引き寄せられる。

「寝ないで、待ってて…ね」
「トーゼンだろ?」

 カップを気にしながら、そっと屈んで。まだ物言いたげに薄く開いた唇を軽く塞いだ。







 ベッドサイドのランプだけを点けて、コーヒーを片手に読みかけの文庫本を開く。字面を追っていても、気になるのは隣室から漏れてくる物音ばかり。
 ここへ移動してから、約10分…お前の予測が正しければ、待ち時間は半分弱経過したことになる。

 コトリ、小さな音がリビングから聞こえる。彼女がコーヒーカップをテーブルに置いた音だろうか。
 すっかりぬるくなった液体は、彼女の舌にもちょうどいい温度で滑り落ちるのだろう。

 姿が見えないと尚更、お前に意識を囚われているなんて、滑稽だ。ごくり、残りのコーヒーを飲み干して、声を立てないように自嘲的に笑った。


 と、小さな音をたてて二室を隔てていた扉が開き、遠慮がちに彼女が顔を覗かせる。

「シカマル、歯磨きは?」
「お前、もう寝れんの?」
「うん。ちょっとだけ残ってるけど、明日やっちゃおうかと思って」

 そうしろよ…。言葉を続けながら、全く頭に入らない本を閉じて、サイドテーブルへ戻す。
 空になったカップを手に立ち上がると、お前の手が伸びて来て。

「洗っとくよ」
「いいって、俺がやる」

 触れた指先を捕まえると、後ろから思い切り抱き締めた。
 首筋に軽く唇を押し当てたまま、口を開く。

「先に歯、磨いて来いよ」
 その間に、洗っとくから。

 くすぐったそうに揺れる肩を、一層強く抱き締める。
 洗いたての髪の匂いを吸いこんだら、抑えていた欲情が騒ぎだす。

 触れ合えるまで

 もう、あと少し――



 彼女をサニタリーへと促して、手早くカップを洗う。
 追いかけた先、歯ブラシを片手に鏡を覗き込むお前と、間接的に視線が絡んで。そんな些細なことが、更に俺を煽った。
 手を繋いだまま歯磨きを終え、鏡越しに見つめ合って、髪にキス。小さく漏れる吐息は、既に甘く潤んでいる。

 鏡の前で向き合って、一度唇を塞いだら、余りにやわらかい感触がずん、と重く全身に響く。止まらなくなる。
 背中をそっと壁に押し付け、貪るように何度もキスをして、頭の中はお前でいっぱいになって。ざらつく粘膜で咥内を辿れば、細く零れる吐息はますます熱を帯びる。
 ねっとりと舌を絡め、口の端から零れる唾液を啜る。箍がはずれたふたりは、夢中で互いの存在を味わって。少しずつゆるやかに溶けはじめる。

 やがて、お前の身体からは、崩れ落ちるように力が抜ける。腕に感じる慣れた重みが愛おしい。


 華奢な身体を抱え上げて

 ベッドに潜り込んだのは

 それから5分後。


 身に着けているものを剥がすのももどかしく、重なり合う。薄暗い明りの中で、組み敷いた身体を見つめる。
 視線が交わるだけで、呼吸は浅くなり、切ない吐息が漏れて。両手の指をそっと絡めたら、全身の細胞がふるえる。その感覚は、欲情というよりももっと純粋な何か。
 鳩尾の辺りで想いと欲が飽和する。むせ返りそうな愛おしさに、身体の最奥が疼いた。


 待ち侘びた肌の感触に

 ふたりがとけつづけるのは

 いったいいつまで――?



(寝かせてやれねぇかも)
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