君だから泣かせたい

 深夜のオフィス街は、控えめなクリスマスのイルミネーションに彩られて、しんと静まり返っていた。
 コツコツと響くヒールの音以外は、なにも聞こえない世界で、肩にかけた荷物を軽く揺らす。
 今日もまた、終電。いくら自分のやりたかった仕事でも、こう毎日午前様続きでは、気力の前に体力が消耗する。せめてもの救いは、明日が休みだってこと(その休みを確保するために一日で二日分働くなんて、本末転倒だろうか)。

 はーっ……。
 身体中に溜まった疲労感を吐き出すように、ちいさくため息をつくと、目の前にほわり、白い靄が広がった。

 駅までの数百メートルが、限りなく遠くて。これから電車に揺られて数十分、それを考えるだけで再びため息が漏れる。
 早く家に帰って、この重たい荷物を降ろしたら、ベッドに飛び込みたい。
 首元から入り込む冷たい空気を追い出すように、ジャケットの襟元を片手で合わせると、もう一度バッグを抱え直す。

 同じ方向へ向かうまばらな人波は、一様に背中に疲弊を滲ませていて。私もあんな風に、闇に溶けるグレーに見えるのかもしれない、そう思いながらビルの角を曲がる。
 と、まさかここで見るとは思ってもみなかった光景が目に映った。

 ハザードを点滅させて停まっている外車に、寄りかかる細い影。
 見間違いではないかと近視の目を凝らした私に向かって、さり気なく差し上げられる腕。

「……シカ?」
「よお、お疲れさん」

 見慣れた車に寄り掛かり、少し猫背で煙草をふかしている男の姿に、微笑みが漏れた。
 このまま暫くその姿を眺めていたい衝動と、体内に重く沈む疲労との狭間で、幸せな葛藤を楽しんでいると、彼がこちらへ近付いてくる。

「どうしたの、こんな時間に」
「ん?偶然だよ」

 言いながら、持っていたコーヒーの缶で煙草を揉み消すと、シカマルはやわらかく表情を崩した。
 偶然?まさか、そんな訳はないでしょう。だって、シカマルの会社はこことは全然違う場所にある。

「嘘つき…」

 くくっ、喉の奥を鳴らして、涼しげに笑む顔が、つめたい冬の空気に溶ける。

「お前…明日、休みだろ?」

 肩に掛けた荷物へ当然のように手を伸ばすシカマルを、そっと見上げた。
 本当に彼は、いつもいつもさり気なく優しくて。そんな些細な仕草に、女がどんな気持ちになるのか、分かっているんだろうか?

「うん、なんとかね」
 お陰でこの時間まで残業になっちゃったけど。

 後部座席へ大きなバッグをばさり、下ろして。ドアを閉める音が、やけに大きく響く。

「多分、今日辺りは終電ぎりぎりまで仕事してんじゃねぇかと思って、」

 迎えに来た。と、言葉を続けながらぽすん、頭を大きな掌が撫でる。
 優しい瞳で見下ろされると、それだけでさっきまでの疲労感が消えていく。

「流石、シカマルだね。ありがと」

 どういたしまして。耳元に注ぎ込まれる低く甘い声は、意図的なものなんだろうけど、彼の思惑通りに肩が揺れて。

「乗れよ、送ってく」

 助手席のドアを開き、誘導するように手を引かれると、バランスを崩しながらシートに座り込む。そのままドアを覆うように身を屈めて、私を覗き込む彼の顔から視線を逸らせない。

「おい」
「なに?」

 ふわっと空気を揺らして、シカマルの香水の香りが私の中にしのびこむ。
 胸が詰まる程の愛おしさに、噎せそうになる。

「あんま、無理すんなよ」

 額に降って来た優しいキスに

 不意に泣きたくなった――







 助手席のドアをそっと閉じて、運転席へ滑り込む。
 なめらかに車を始動させて、ちらりと横目で左側を盗み見ると、膝の上に投げ出されたちいさな手を包み込んだ。

「どうした?」
「なんでも…ない」

 俯いたままの横顔は、微動だにしない。
 さらり、肌を摩擦させながら指を絡めて、ぎゅっと細い指を握り締める。

「んな疲れてんなら、少し寝てろ」
 着いたら起こしてやっから。

「ん…でも、眠いんじゃないよ」

 赤信号で停まった隙に、引き寄せた掌に軽く唇を落とす。
 そんなに疲れてんなら、いつでも俺のこと呼べばいいのに。お前に頼られるんなら、いくらでも無理してやるっつうの。

「じゃ、何だよ」

 ったくお前は、意地っぱりっつうか気が強いっつうか。
 ま、そんなトコにも惚れてんだけど。

「あの、ね…」
 愛しさで泣けることってほんとにあるんだね――

 近付いた綺麗な唇から囁かれた声と、微笑むお前の表情に、押さえていた衝動が身体の中で疼く。
 疲れたお前に、無理させるつもりなんてなかったのに。

 車内を満たすウッドベースとピアノの音は、ふたりを静かに包んで。もう一度掌を引き寄せ、軽くリップ音を響かせながら指にキスを落とす。


「今日、お前ん家泊まるから」
「え、なん…で?」

 青に変わった信号とともに、車を走り出させると

 そっと唇の端を持ち上げた――


だからかせたい
(もっと泣かせてやる、)
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