明石国行改造計画
突然のインターホンに多少警戒しながら玄関をあけると、破壊神が立っていた。
正確に言うならば破壊的な美しさをもつ神がかった男性が形良いスーツをきちんと着こなしたパーフェクトかつ品のある立ち姿で月の光を背負ってそこにいたので、自分でも気付かないうちに私は何かとんでもないことをしでかしていて別世界もしくは時空の彼方あたりから神のお迎えが来たのではないかと思った。
明石国行いいます、と名乗る男の声を聞きながら とりあえず最近の己の行いを振り返ってはみたけれど特に悪行の心当たりはないし、第一そんな名前の神様なんて記憶のどこにもない。
まあ 日本の神は八百万というくらいなので単に私が知らないだけで、実は案外 名の知れた神様なのかもしれない。
「聞いてはります?引越しのご挨拶に寄らしてもろたんですけど」
男の言葉をどこか遠くに聞きながら、神様というのは声すらも美しいのかと思っていた。それに彼はとても良い匂いがする。徳の高い神ほど人間を惑わせる芳しい香りを放つものだと何処かで耳にしたことがあるが、それだろうか。
すらりとした長身に細身のかっちりしたスーツをまとい、上から私を見下ろす品のある顔立ちはあまりに端麗すぎるが故に一周回って一人暮らしの女性を巧妙に騙す詐欺師の仮面ではないかと警戒してしまうほどだ。
「都合悪かったら出直しましょか」
押し付けがましさの欠片もなくやわらかにそう言って、男がかすかにほころばせた口元はおそろしく優美な曲線を描いていた。
「い、いえ。大丈夫です。今で大丈夫 わざわざ出直して貰うなんて烏滸がましいですし」
「そうですか」
「はい、神様」
どうせいつか異界だか異次元だかに誘われるのなら、くよくよ悩んだり抵抗をしたところで仕方ない。思い切りよくいますぐ攫われよう。
いま、すぐ。
「は…?」
「…え?」
いますぐ私のことを攫いにきたはずの神様は、ここにきて 何故か躊躇う素振りを見せた。
これも徳の高い神様ゆえの慈悲深さだろうか。
「神様、て なんですか」
「あなたです。貴方、神様ですよね」
「いや、何のことやら」
「今更そんな優しい嘘なんてつかなくてもいいんですよ、神様。理由がなにかはよくわからないけど、悪いことをした罪深い私をさらいに来た破壊神様ですよね。というか私あまり信仰が深くないので神格についてよく分からず破壊神って口にしましたが失礼だったらごめんなさい。あなたが神様ってことだけはわかります。神様」
一息に吐き出した私の長台詞を聞いて、はは、と眦を下げ彼が笑う。
神様ってのは笑い声にすら言いようのない育ちの良さというか尊さがにじむものなんだなあ、などと冷静に観察している前で彼はまだ笑い続けている。
尊い笑顔でひとしきり笑った彼は、呼吸が整うと再び私の言葉をを否定した。
「違いますよ」
「へ?」
「神、ちゃいます」
「うそだ」
「ほんまですて」
「でも。それじゃ、なんで?」
「なんや分からへんのはこっちの方です」
いや、私のほうがもっと分からないですよ。まさか、その神々しいとしか言えないレベルの造形美は「ただの偶然の産物だ」とでもおっしゃるつもりですか。いやいやいやあり得ないでしょうそんな奇跡のバランス。困惑の極みです。
「神様、でしょ?やっぱり本当は神様なんでしょう?だってすごくいい匂いしてますもん、分かってますから大丈夫です。他言してほしくなければ もちろんここだけの話にしますので安心してください」
「余計不安になるわ」
「私こう見えて口はかたい方ですよ」
「いや、そういう不安とちゃうんやけどなあ」
困った表情を見せる男は、笑みを浮かべていたときよりもなお一層美しくみえる。美人の苦悩はおいしい、ってきっとこれだね。
「美人×苦悩=極上」の法則をいままさに私は体感しています。
「うーん、どない言うたら分かってもらえるんやろか。神とかそんな大層なもんやないんやけど」
彼がいくら否定しようと、あまりに美しいからやっぱりどうしても人とは思えない。もし万が一 神ではないとしたら天使?それとも悪魔?でもいかにも東洋系の顔立ちに天使や悪魔はしっくり来ないし、他になにかそれらしき存在といえば 妖怪とか。霊とか。まさか鬼?いずれにせよ人外の存在には違いないよね 多分。
「まだ嘘を?」
「嘘とちゃうねんけどなあ」
困ったように微笑む男は、適度に力のぬけた声で続ける。やっぱりいい声。
「自分はただの人間ですよ」
「ただの、人間…?」
そや、と手許に押し付けられた菓子折らしき四角い箱を受け取ったあとで、箱と彼の顔とを視線で往復する。何度も、何度も。
程よく下がった眦が目に入るたびに美しさが脳に刻みつけられて、頭がくらくらしてきた。それに、やっぱりいい匂いがする。思わず吸い寄せられそうな香りが鼻腔をすべり、胸いっぱいに満ちた。
「たまたま隣の部屋に越してきた、ただの普通の人間です」
「普通の……」
その言葉で、途端に「普通」というのがよく分からなくなる。
この男がもし「普通」だというのならば、世間に溢れているごく普通の人々は一体なんなのだろう、ゴミ虫かなにか?
ということは、鏡で毎日見ているいたって普通で十人並みの私の容姿もゴミ虫同然ってことになるわけで、ごめんなさいゴミです。些末なゴミはいま、普通ってなんなのスパイラルの真っ只中です。できることなら空気を読んでそろそろお暇していただけないでしょうか、神様 あらため 普通の人の明石さん、ゴミ虫からのお願いです。
「よう分からんけど、これからお隣りさん同士 よろしゅうな」
そう言い残して去って行くしなやかな背中を無言で見送ると、押しつけられた菓子折を手にしばらく呆然と立ち尽くす。
空気を読んでくれたんだと気付いたのは、彼が姿を消してから数分後のことだった。
当然神様だから空気くらい読めるに違いない。私の考えていることなんて、一目瞭然ってことだよねその反応は。さすが神。
それにしても、
なにあのパーフェクトガイ!?
きちんと着こなされたスーツも、整えられた髪にも一切の乱れはなく、まろやかな西方の訛りだけが僅かな隙をみせていた。
「あかし、くにゆき…ね」
本当に彼は人間なのだろうか。鼻の奥には、まだ芳しさの名残がのこっている。
あかし、くにゆき。
なにも引越しの挨拶でフルネームを名乗ることはなかろうに、人間だとしたらそれだけ育ちが良くてきちんとした人なのだろう。見た目の通り。
自分より少し歳上にみえた男の面影と香りは、忘れようとしても脳の中枢に刷り込まれたようにしばらく消えなかった。
「人間じゃないみたいに綺麗な人だったなあ」
浮かんだ思いを言葉にしてみれば、やはりそれが真実のように思える。
人外の美しさ、ってまさにアレ。
人か神か。どちらにせよただのお隣さん以上の関係にはなり得ないし、人とゴミ虫の距離は縮まらない。つまり、近寄りがたい存在でしかない。
そう、思っていた。
思っていたのに。
翌日も、その翌日も、決まって同じくらいの時刻にインターホンが鳴り、扉を開ければ彼がいる。
「明石さん?」
「連日すいまっせん」
彼がこの部屋を訪ねてくる理由はどれもこれも些細なものだ。
調味料を貸してくれないか、知り合いがいないので近くを案内してくれ、シャンプーが切れたので少し分けてもらえないだろうか、観葉植物を買ったはいいが育て方がわからないので教えて欲しい、近所を徘徊している猫には餌をあげてもよいものだろうか、シュークリームを作りすぎたのでお裾分け、お気に入りの歯磨き粉談義に花を咲かせよう、エトセトラetc.
歯磨き粉談義って一体なんですか。凡人には理解不能な用事で訪ねてくる彼は、相変わらず神がかった端正さと香りをまとっているので毎回拒めなかった。
そんな日々がどれくらい続いた頃だろうか、唐突に彼から想いを告げられて心臓が飛び出るかと思った。答えは勿論ノーだ。
「何でですのん?」
「なんで、って」
断わられるとは微塵も思っていなさそうなその言葉に正直なところ少しだけ苛立った。人間離れした美人サンだからって誰も彼もが自分を受け入れてくれるはずだと思う傲慢さが気に食わない。というか、やっぱり恐れ多い。
「近寄りがたいからですよ」
「なんやそれ」
「明石さんが美しすぎて、近寄り難いです。人って完璧な端正さを敬遠するものじゃないですか」
納得いかなさそうに首を傾げつつ帰っていった彼が、それからどんな思考に至ったのかはわからない。
だけど、同じように翌日鳴ったインターホンにこたえてドアを開けると、なぜか昨日までとは違って不自然に髪形をくずした彼がいた。紫がかった黒髪を部分的に乱したヘアスタイルは、それでも彼の神々しさをすこしも損なっていない。損なうどころか、乱れたゆえに素材の美をさらに際立たせているようにも見える。
だいたい不自然さが自然に さま になるってどういうことなの神様不公平じゃないですかちょっと。
「どないです?」
「なにが?」
「なるほど。やっぱりこの程度ではあかんか」
あかん、っていったい何がどうあかんのですかと聞きたい私を置き去りに、一人で納得した様子の彼はそれ以上食い下がることもなく自宅へ戻っていった。
次の日、見慣れない眼鏡をかけて現れた彼はまた同じセリフを繰り返す。
「どないですか?」
「案外眼鏡もお似合いですが」
お似合いというか、似合いすぎててなんなのこのインテリ系イケメン。ほどよい垂れ目+眼鏡ってなんなの。もしや私がかなり重度の眼鏡男子フェチだと知っての所業か。一体あなたは神々しさをどれだけ積み重ねる気なんですかと問いたい。問いたいよ私は。
「ほな、ええですやろか」
「なにが?」
「まだまだ、ってことやな」
そしてまた謎の言葉とともに、一人納得した様子で立ち去った。取り残された私はますます困惑するばかり。
彼は一体何がしたいのだろう、何を目論んでいるのだろう。
わからない、さっぱりわからない。神々の思考は凡人には理解不能だ。
さらに翌日、明石国行はこれまできちんと着込んでいたジャケットを脱ぎ、シャツの裾を半端にはみ出させた姿で現れた。
彼がこうして毎夜日参するようになってから数ヶ月の日々がすぎていたので、上着を脱いだのは思惑あってのことというより単に季節のせいかもしれない。それにしても白いシャツから透ける肌が眩しい。
「まだあきまへんか」
「まだ、って何がまだ?」
ほなこれは?と問いながら、彼は首元のネクタイをするする解く。ほどく際ネクタイにふれた指先が、やけにきれいだった。
「これはと言われても何のことやら」
「まあ、もう少し頑張りますわ」
よく分からないながら、頑張ってくださいと声をかけたら後ろ手に手を振りつつ彼は自分の部屋へときえる。
ジャケット着用時から細身なのはわかっていたけれど、素肌にシャツの姿はよりパーフェクトな身体のラインを浮き上がらせるのか、きれいなカーブを描く背中に一瞬手を伸ばしそうになった。
それからの数日は、訪れるたび彼のシャツのボタンが1つずつ開いていった。
「だいぶ遠ざかったやろか」
「遠ざかる?」
「完璧からだいぶ遠ざかったんちゃうかな、って聞いてますねん」
「いや、いやいや」
完璧から遠ざかるというか、なんといえばいいのだろう。確かにソツのない美しさからは少し外れている。いや、だいぶと外れていた。「ソツ=無駄または隙」と言い換えれば、いまの彼はソツだらけである。
完璧とは言い難い。それは確かだ。
ただし、この場合は単にだらしなく見えたのなら問題ないのだけれど、むしろまぶしい胸板を乙女の脳裡にやきつけるあざとい演出にしか見えないから大問題なのであって、いまの彼の姿は完璧よりよほどタチが悪い。
「まだあかんか」
少し肩を落として去る背中に、まだアカンどころか余計アカンわ!と叫びたい私の気持ちを誰か分かってほしい。
翌日は、乱れた髪にそれ男の人がつけますかと問いたくなるような赤いピンをさして現れた。それがまた、少しやわらかくなった彼の雰囲気にとても似合っているのだ。罪深いくらいに似合っている。絶妙すぎて胸がいたい。
そのまた翌日は首にチョーカーをつけた姿で私の心臓を握り潰しにかかってくる。目線を誘導する黒い帯状物体のそばには、完璧なラインの喉仏。トータルの美しさにまぎれて気づいていなかった新たな魅力ポイントを発見してしまい、頭を抱えたい気分だ。あのまろやかな西訛りを生み出しているのはこの器官か、って声を聞くたび目が喉元を追いそうになる。
翌日には、腰によくわからない赤い紐が巻きついていた。ベルトとしては役割を果たさない緩く垂れた赤い紐に視線が引き摺られて、骨張った腰のラインについ目がいく。昨日まで気付かなかった男っぽい腰骨のバランスに、胸が騒いで仕方ない。またか、と言いたい。もうやめて、と言ってもいいかな。だんだんとソツだらけに改造されていく彼の姿は、ほんと目の毒だ。
そのうちシャツの隙間からわざとらしく縛り紐めいた黒いベルト状のバッテンを覗かせるので、それは一体なんという名の代物でどんな役目を果たしているのか問いただしたいのはやまやまながら、正面から向き合うのが恥ずかしいほどのなめらかな胸筋に目を逸らさざるを得ない。
初めて出会ったときは芯の通ったまっすぐな姿勢だったものが、だんだん猫背気味になっているせいで無駄にシャツの隙間から肌がちらちらするのはどうしてくれよう。公然猥褻罪で警察に電話でもしてやろうか。
いくら鈍い私でももう分かっていた。彼の意図は理解している。
「端正すぎて敬遠する」という私の言葉をうけて、彼が「端正さ」から遠ざかろうとしているのだと。
分かってはいるけれど、これでは逆の方向から強烈に攻められているようにしか思えない。「端正」とは別ベクトルの暴力だ。
やがて片側だけアシンメトリーに袖を捲り 前腕の素晴らしい細マッチョぶりをチラ見せしたかと思えば、手の甲には手袋だかカバーだか意図不明の黒い物体が追加される。
いつの間にか手首にバングルが増え、腰からはゆらゆらと黒い紐が何本か揺れている。
よくわからないオプションが追加されていく一方で、日を追うごとに性質も顔つきもだらしなくなり、「やる気がないのが売り」などと妄言を吐きはじめたかと思えば違わず有言実行。それでも私の部屋を毎夜訪ねてくる日課だけは欠かさないのはどういうことだろう。
いまや赤黒金白を絶妙なバランスで全身に散りばめた、軽くていい加減なチャラ男にしか見えない風貌のくせに、日々訪問の日課だけはきちんと守るなんて律儀な一面を見せられたらギャップにやられるのが人間ってものだと私は思うのです。これが計算だとしたら狡い。
私は人間だから、やっぱり神々の手管には最初から敵うわけがなかったのかな、などと永久降伏宣言について真剣に検討しはじめた頃。
「そろそろ色良い返事くれはってもええんと違いますか?」
そう言って玄関先で一歩、いつもより距離を詰めた明石国行の顔を見上げて、私はそっとためいきを吐き出す。声は出なかった。
彼のブーツの先が、私の部屋へ進入している。
「止めへん言うことは」
期待してもええ言うことですよね、と言いながら彼がまた一歩近づいて、彼の背中でドアが閉まる。
進入されてしまった。そして心の中には、もう、とっくに進入されていたのだと気付いてしまった。認めざるを得ない、完敗だ。
だって、
なにを隠そう彼が端正さを崩すために選んできた1つ1つの方法が、まるで読心術でも駆使したのではないかと疑ってしまうほど、ことごとく どれ1つの例外もなく 私の好みドストライクだったから。
やっぱり本当は神様で、私の脳内を覗き見たんじゃないかな、ありとあらゆる趣味趣向がすっかりバレバレなのでは。つまり明石国行は神なんじゃないかな。
これなら、単に端正なだけのほうがまだ良かった。まだ傷は浅かった。
「どうですやろ」
また一歩、彼が近づけば 頭の芯がぼんやりしそうな匂いに包まれた。
視線を下ろすと、筋の浮いた前腕が理想の造形物のように美しい。半端に片袖だけめくった左腕で、すんなりと腰を抱かれる。
抵抗は、できない。
「観念、しはりました?」
額が触れそうなほどの至近距離から、とどめの一声。
「う…はい」
「よう出来ました」
気がつけば両腕にすっぽりと包まれていた。
いい匂いの温もりのなか、頭上から柔らかい声が降ってくる。頬にあたる胸肌がなめらかすぎてちょっとくやしい。おまけに心臓が張り裂けそうに痛い。身体が、彼の腕のなかで震えた。
「それにしてもなかなか長い道のりやったわ。これでアカンかったら次は何すればええか本気で悩んでたんやで」
あとは爪に色差すくらいしか思いつかへんかったし、と呟く彼の胡散臭い端正さはなんなの。気怠さでカムフラージュした無駄なやる気とか、勘弁してほしい。ほんともう勘弁して。観念するから。
今さらだけど、私なんで「端正すぎて敬遠する」なんて言ってしまったんだろう。こんなことになるくらいなら、近寄り難い神々しさを放ってくれてる方がまだマシだった。
いまや私好みの絶妙オプション盛り盛りすぎて、まったく逃げられる気がしない。まさか私のたった一言で、こんなに属性付加しすぎたキャラクターが出来あがるなんて思わなかった。
「散々待たされたんや、容赦はしまへんで」
覚悟してや、と耳元で低い声。だめだイケボに殺される。身を捩れば、より強く懐に抱き込まれて息があがる。このまま早い鼓動が続いたら、私の寿命って縮むのかな。
もし私が早死にするようなことがあったとしたら、理由は明石国行のせい。死因はたぶん萌死。
明石国行改造計画ああ、私はとんでもない化物を生み出してしまったようだ。
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2017.11.13
明石さんはネイルも似合いそう。