少年よ、我に返れ

 普段は他愛ないことで笑ってばかりいる所謂友達ポジションの女が、いつになく真面目な顔をして近づいてきたりすると柄にもなくドキドキする。さっきまで気にならなかった相手が、急に気にかかる。気になって仕方なくなる。だんだん可愛く見えてくる。「あいつ案外可愛かったんだな」などという浮ついたフレーズを一旦思いうかべてしまえば終わりだ。もう、恋におちている。彼女がこちらへ近づいてくるわずか数十秒で。
 男なんて、そんなもん。それくらい単純な生き物なのだ。

「ジャン、ちょっといいかな」

 いつもより潜めたやわらかい声が自分の名を呼ぶから、ジャンは不自然にさわぐ胸を抑えつけた。明らかに何か言いたげなくせに、正面向いて話しかけようとはせず意味深に反らされた瞳。伏し目がちな彼女の横顔がやたらときれいに見える。彼女の顔だちが平均以上に整っていることに今更ながら気付かされて、心臓の真ん中が軋んだ。

「なに」
「ちょっと」

 上目遣いに一瞬だけ投げられた視線は、またすぐに逃げていく。逃げるから捕まえたくなる。そんな人間の本能を上手に掬い上げる視線。ああ、操られているなと思うのはこんな時。

「だから何だよ」
「ここじゃ言えない」
「は?」
「場所を変えよう。良いから来て」

 有無を言わせず腕を引かれて人気のない場所に連れてこられたら、余計に胸がさわぐ。操られているのだとしても構わない、と思う。操られたい。思春期特有の思い込みの激しさを発揮しなくてもドキドキする。これって、まるで、あれじゃないか。噂にきくアレじゃないかもしかして。もしかしなくても、この種の思わせ振りな態度はきっと。
 ドッ、ドッ、ドッ。暴れはじめた心臓を抑えつける俺の前で、彼女はすうっ、と息を吸い込んだ。


「私に、ジャンの時間をください」

 やっぱり。
 大真面目な顔でそんなことを言われたら、誰だって期待するだろ。期待して当然。別に俺が特別おめでたい人間ってワケじゃないはずだ。エレンの野郎に年中脳内快適なお花畑人間扱いされたのはひとまず別の話として記憶の彼方に追いやっておく。

「……」
「ねえ、どうなの」
「お、おう。俺で良ければ」
「ほんとに?」
「ああ」
「良かったーあのね」

 てっきり甘い告白のセリフが続くものとキメ顔で見下ろす視界で彼女の顔がぱあっと明るくなって、ああ、こいつやっぱり可愛かったんだな。まじめな顔と笑顔とのギャップがすばらしすぎるだろ、おい。こんな可愛い奴に告白されるなんて俺も結構捨てたもんじゃねえじゃん。どうだ羨ましいかエレン!などと考えていたジャンの耳は、ぼんやりとぼやけていた。

「ジャン、いや、キルシュタイン先生!」
「ん?」
「あなたを男のなかの男と見込んでお願いがあります。立体起動術にかけては同期一の実力者と見込んでのお願い」

 男のなかの男、なんて言われて、男が悪い気になるはずもない。舞い上がっていたジャンの耳は、後半のセリフを聞きのがした。

「なんでも言えよ」
「私に、教えてください」
「な、なにを」
「実技指導。お願いします」
「は…」

 ああ、はいはい実技指導な。実技。お安いご用だよ。
 なんてのは大嘘で、あっちの実技にかけては正直自信がない。だって、やったことねえから。脳内トレーニングしかしたことねえから。どちらかと言えば指導するというより共同開拓していく感じになりそうなんだが、それでも彼女は大丈夫だろうか。一緒に二人の実技のカタチを作っていく感じでお願いします、っつうか告白の前にいきなり実技指導頼んで来るって、こいつ清純そうに見えんのに案外さばけた女なんだな。そういう所も嫌いじゃないけど。ギャップ万歳だけど。
 というよりこんなこと女から言わせるって、男としてどうなんだ俺。まずいだろ。恥ずかしいことを女性から言わせてしまうなんて男の風上にも置けねえぞ、それで男のなかの男と言えるのかジャン・キルシュタイン。せめてここから先は俺が主導権握るべきだ。そうだ、ジャン・キルシュタイン。いまこそ男を見せろ。

「どうなの?」
「べ、別に…いいけど」
「やった!」

 むしろ「やった!」って言いたいのは俺の方だ、と思いつつジャンは彼女の手首を掴んで引き寄せた。細っせー手首。なんだこれ、同じ人間かよ。

「ジャン?」
「とりあえず黙れ」

 男を見せる。
 こういう時は、まずはアレからだよな。じっと目を見つめて、雰囲気を作って。そのうち彼女が目を閉じるはずだから、そしたら、そっと顔を近づけて。それから。

「黙れってなに」
「できねえだろうが」

 のぼせそうな頭の中では恐ろしいほどの熱がぐるぐると巡る。
 近くで見たらやたらと長い睫毛が、不思議そうに数回瞬く。二人の廻りでかすかに聞こえていた静寂の音が遠のいていく。自分の目の前に彼女がいる。ここにいるのは二人だけ。巨人もエレンも同期の奴らも存在感を失って、二人きりの世界にいるような気がしてくる。
 なのに、
 彼女はまだ、目を閉じない。
 大きく見開かれた瞳が、ばっちり俺を見つめている。どきどきする。

「目ェくらい閉じろバカ」
「なんで」
「雰囲気でねえから」
「雰囲気って、なんの」
「バカ。言わせるな」
「いやいやいや、ジャン。何か勘違いしてませんか雰囲気とか必要ないことないですか」
「じ、実技指導。だろ?」

 こうなりゃ実力行使だ、とばかりに相変わらずまっすぐ注がれた視線から目をそらして勢いよく腰を抱き寄せたら、思い切り足を踏まれて涙出た。
 なんで俺、足踏まれてんの。痛い。

「実技指導。立体機動術の、ね」
「分かってるって、立体機動術…だろ。リッタイ、キドウ?」

 リッタイキドウって、立体機動?
 ちょっと待て なんだそれ、さっきのは告白の前振りじゃなかったのかよ。実技指導お願いっていわゆるアレのことじゃなくて、立体起動のことで。つまりは至極健全なお願いだったってことで。健全じゃなかったのは俺だけか。勘違いバカは俺か。ぎゃあああ恥ずかしい恥ずかしすぎる殺してくれ。

「そう。立体機動、だよ」
「あ、ああ…立体機動、な」
「教えてくれるの」
「教える教える。いくらでも教えてやるよ手取り足取り」
「手取り足取り教えてくれるにしてもこんなに密着する必要はないと思うんだけど」
「……」
 
 密着。ぴったりとくっつくこと。
 言われてみて改めて、二人の近すぎる距離を認識したら再び心臓が暴れだした。腕の中に彼女。ぴったりとくっついている腰のラインがてのひらから伝わってきて、何をしようとしていたのか思い出す。勘違いして変な方向に突っ走ろうとして、もうあとひといきで俺は。俺は。
 変な具合に感極まって、彼女の身体を突き放した。あたたかい人肌が遠ざかったのに、一度高まった熱はなかなか抜けてくれない。記憶されてしまった手触りが消えない。
 勘違いなのに、ただの勘違い。
 思い込みの激しすぎる自分を殴りたい。いますぐ渾身の力で殴って気絶したい。意識を失ってしまいたい。願わくば意識を失うついでに彼女の胸の中に倒れこみたい。

「指導、よろしくお願いします」
「…お、おう 」

 という紆余曲折を経てジャンとしては微妙に不本意ながら何とか気を取り直して真面目な行為に移ったわけだが。
 二人が立体起動術の模擬動作訓練を始めて一時間とすこしたった頃、彼女が全身の力を抜いて、ぺたりと地べたに崩れ落ちた。

「もう無理」

 力なく投げ出された両腕を掴み、力任せに引き起こす。重力に従って彼女は再び倒れこむ。また引き起こす。倒れこむ。そんな非建設的な動作を数回繰り返して、ジャンはため息をついた。

「弱音吐くの早すぎだろ」
「ほんと無理」
「もうちょい頑張れって」
「いやだ。ジャンの鬼!鬼畜!無理ムリむりー」
「自分から頼んで来たんだろお前」
「でも無理です」
「やれ」

 強気で言えば、上目遣いの彼女が俺を見上げる。縋るような意味深な視線に、胸がグっと詰まった。

「無理やり しないで」
「……」
「無理やり、しないで。先生」

 無理やりする、ってなんだそれ。誰かに聞かれたら間違いなく誤解されるぞ。
 つうか、いまこいつ絶対わざと言いやがった。わざと言った上で、俺の反応見て面白がってやがる。

「へ、変な言い方すんな」
「変な言い方、ってなに?」
「変な言い方は変な言い方だ」
「えー、全然分かんない。もっと具体的にお願いしますキルシュタイン先生」
「誤解されてえのか」
「誤解ってどんな誤解ですかー」
「……」

 からかわれるくらいなら、いっそ、逆に誤解されるような実力行使に出てやろうか。さっきまでの恥ずかしい勘違いをすっかり上塗りして消し去ってしまえるくらいのこと、しちまうのもいいんじゃねえか。それでなくても実技指導ってのは腰に触れたり手に触れたり、若い男なら変な気持ちになってもおかしくない距離で接触するポージングだらけなので非常に心臓に悪い。なんでそんな簡単なことに今まで俺は気づかなかったんだろう。
 とにかく、相手に対して特別な感情を持っているとなかなかに自制するのが難しい動作の連続だったというのに、それを一時間もぎりぎり抑えつけて健全な指導をしてきた俺へのご褒美的なものがなにかあってもいいんじゃねえか。いや待て。それではせっかく必死こいて我慢した一時間が無駄になる。だめだ。だめ、絶対!
 黙り込んだまま、ジャンの脳内ではあちこちへ思考が飛ぶ。

「ジャン?」

 名前を呼ばれて意識を現実に引き戻されれば、軽く首を傾けた彼女が俺を見上げていた。
 首を傾げるな首を、かわいいじゃねえかやめろ。頼むから。

「っ、」
「ジャーン?」
「んなっ、なんだよ」
「顔が赤いようですが」
「気のせいだ」
「いやいや確実に赤いです。超大型巨人並に赤い」
「んなワケねーだろ」
「皮膚の向こう側透けそうな勢いで赤い」
「嘘つけ」
「うそ、つきました」
「……」
「ごめんね、でもほんとに赤いよ」

 ふわっとほどけるように微笑む彼女がきれいで。無防備に自分に注がれたまなざしがきれいで。造作なく頬に伸びてきた指先の感触がたまらなくて。たまらなく好きで。好きで。
 咽喉元まで出かかった言葉をため息にすりかえると、ジャンは頭を抱えて座り込んだ。


少年よ、我に返れ
(本気で襲うぞコノヤロー)
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2013.06.05 
苦悩する少年ジャンかわいいよジャン
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