絶望する愚民

 ジャンの視線の端っこで、少女たちが語り合っている。語り合うと言ってもミカサは聞き役で、主に喋っているのは彼女の方だ。やわらかいのに良く通る声。そんな彼女の声が、俺はけっこう好きらしい。いつまでも聞いていたくなる声なんだよなあ、と思いながらジャンは立ち上がる。
 たまたま自室への通り道に座っていた少女たちの傍へ差し掛かったまさにその瞬間、まるで狙い澄ましたように自分の名前が聞こえて来て反射的にジャンは聴覚を研ぎ澄ました。

「ジャンほど絶望の表情が似合う人っていないと思うんだよね」
「そう?」

 相変わらず、ミカサの反応はそっけない。
 それとは対照的に彼女の声はひとつトーンを上げた。かすかに紅潮した頬で、もう一度俺の名を口走っている。形よい唇が俺の名前の綴りをなぞってなめらかに動いた。聞き間違いではないようだ。

「そうなの!ジャンはね、言わば絶望キングというか」

 絶望キングってなんだよそれ。
 一瞬で膨れ上がった気持ちが、しゅるしゅるとわずかに萎む。萎む途中で思い付いた考えに、ジャンの足は止まった。
 何かと言えば彼女が俺をネタにしようとするのは、たとえばガキが好きな奴を虐める構図と似てるんじゃないだろうか。つまり、彼女は俺のことを好きなんじゃね?なんて自惚れた勘違いをしそうになるけれど、まあ、彼女のことだ。たぶん深い意味はないのだろう。

「私にはよく分からない」
「え、まじですかミカサさん。それはそうと私、前からずっと思ってたことがあるんだけど聞いてくれる?この際分からなくてもいいから聞いて!」

 それにしてもすげえ勢いだなと半ばジャンが呆れていたら、立ち上がったミカサにさりげなく肩を叩かれた。
 なんだそれ、タッチ交代ってか。ちょっと待てミカサ。

「ちょうど本人が来たから、続きは彼に聞いてもらえばいい」

 言いたいことだけ言って立ち去るミカサの背中を見送って、ため息をひとつつくとジャンは彼女のむかいに腰をおろした。どうにもこの流れ、逃げられそうにない。

「ジャン、聞いてくれるの」
「つうか、なに気ィ悪い話してんだよ」
「え?褒めてるんだけど」

 日頃から艶やかな目をいつも以上にキラキラさせて、期待たっぷりに見上げられると調子が狂う。

「嘘つけバカ。本人が気ィ悪いって思ったら、悪口なんだよ」
「そんなのどうでもいいからちょっと聞いてくれる?聞いてくれる気があるからここに座ったんでしょう?そうでしょう?」
「んだよ」

 めんどくせーな、という言葉を噛み殺して相槌を打てば、彼女が何度が咳払いをした。どうも、よほど重要な話をするつもりらしい。

「えー、私様には絶望に関して一家言ありましてですね。聞いてくれるよね。というか聞けジャン」
「聞きたくねえけど聞いてやろうかと思った俺って優しいよな。つうか、その前にひとつだけ質問」
「手短にどうぞ」
「その“私様”ってなんだよ」
「俺様の女性形、みたいな」
「は?」

 時折彼女は理解不能な言葉を使う。それに困惑させられるのも俺はたぶんけっこう好きなのだ。
 困惑している俺の顔を見上げて、彼女が薄く目を眇めた。

「俺様という言葉はごく当たり前のものとして存在しているのになぜ女性向けの俺様的表現はないのかと常々疑問に思っていたので思いきって今日初めて使ってみました。おめでとう第一号ワタクシサマにひれ伏す愚民役ジャン」
「誰が愚民だ」
「ジャン、だよ。というかどうでもいいからそろそろ聞いてよ。ひとつ質問に答えたじゃない」
「あー、なんか聞くのいやになってきたわ」
「ジャンのケチ。この絶望野郎!」
「その呼び方やめろ」
「自分だってエレンに死に急ぎ野郎ってアダ名つけたくせに」
「ありゃ、事実だろうが」
「ジャンの絶望野郎だって事実じゃん」
「どこが」
「だからそこのところを詳しく説明するためにまず私様の絶望の定義を聞けって言ってるんです覚悟しなさい」

 はあ、とデカいため息をこぼして高揚した彼女の表情に見入る。ため息とは裏腹に、ジャンの心臓がどくり、ひとつ鳴った。

「絶望とは簡単に言えば希望や期待が失われること、でしょう?望みがない、つまり幸せじゃないってことで。世の中には薄幸の美少女だとか美人薄命っていう言葉があるように、幸せじゃない人ほど美しくみえるものなの。そうなの。美形には絶望がぴったりくるというか」
「なんだその偏見」
「偏見かもしれないけど、この際偏見かどうかはひとまず置いといて私的には絶望の表情が似合いすぎるのは美形の証、だと思うわけなのですよ」
「・・・」
「絶望の表情が似合いすぎるのは美形の証」
「いや、聞こえてるって」
「ジャンの絶望している表情はいくら眺めていても飽きないのです それが何故なのかわかりますか」
「分かりたくねえな」
「わかってよ」
「なにを」
「ジャンほど絶望の表情が似合う人っていない」
「つまり?」
「ジャンは美形、ってこと」
「・・・」
「ジャンは美形!」
「いや、だから聞こえてる」
「聞こえてるならちゃんと反応してよね」
「反応って言われても」
「ね、ちゃんと褒めてたでしょう。納得した?それともまだ気ィ悪いとか言う?」

 嬉しそうに微笑む彼女の目をまともに見られない。反応しようにも動揺しすぎているというか、なんというか。うぬぼれすぎというか。でも、これは、いや待て俺。勘違いだったらただのバカだ。鼻で笑われて終わり。言い聞かせてそっぽを向いたまま深く息を吸う。
 なんとか気持ちを落ち着かせようと見えない努力を重ねているジャンの耳に、さらに心地よい声が滑り込む。

「もしかしたらあれかなあ。ジャンがいい声だからなんか勝手に私のなかで美形方向に補正が働いてるのかもしれない。そうかもしれない。うん、きっとそうだ 私いい声には滅法弱いから」
「ば、」
「というかジャン聞いてる?聞こえなかったんならもう一回最初から言おうか」

 続けて繰り出される彼女の言葉を、それ以上真顔では聞いていられなくて。美形で、いい声で、いくら眺めていても飽きなくて、しかも彼女はいい声に弱いって。だって、それって、普通に考えたらつまり。やっぱり。

「なあ」
「なに?絶望キングくん」
「お前って、さ」
「ん?」
「じつは俺のこと、好きなんじゃね」

 意を決して言ってみたら自分が爆発した。

- - - - - - - - -
20131023
絶望野郎ジャンかわいいジャン
「#学園」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -