嘘吐きたちの午后

 部屋を出る前、ちらと鏡を覗きこんだら顔が強張っていたので念入りに頬を揉みほぐそうとして力加減が分からなくなった。自分で思うよりも動揺しているのか、ひどく引っ張りすぎた肌が悲鳴をあげる。

「なにやってんだろ、私」

 自己嫌悪で何もかも放り出して帰りたくなった。これからまた美女たちに囲まれた劉の姿を見るのがそんなに不愉快なのか、と彼の趣向にいい加減慣れない自分に腹がたつのだ。
 ああして取り巻きに囲まれた状態は、彼のただの趣味であり体の良いフェイク。顔が綺麗で女に困っていない男の癖みたいなモンだとわかっているし、マフィア幹部の体面を保つためにもある意味必要なことだろう。気にしても仕方ないと思う。
 でもその一方では、せめて見えないところでやってくれればいいのにと我儘な想いが消せない。
 そんな矛盾した感情に振り回されながら劉の元へ向かう理由は簡単、彼に呼び出されたから。


「別に誰にでも出来る仕事なのに」

 いつだってそう。ご主人様の依頼はたいした内容ではない。注文していた品を店まで受け取りに行けだとか、暇つぶしに最適な本を数冊見繕ってくれだとか、ときには新作のかなり露出の激しいチャイナドレスの試着を頼まれたこともあって勿論丁重にお断りした。
 毎度くだらなさに怒りを通り越して呆れてしまう。頼みごとは二次的なもので、本来は別の目的があるんじゃないかと勘繰りたくもなる。彼がわざわざ私指名で用事を言い渡すのは、享楽に耽る姿を見せ付けるための嫌がらせだろうか、と。

 こつん、こつん。ヒールの音を響かせて地下への階段を降りながら、毎回自分がどこかへ飲み込まれて行く錯覚に陥る。流石に阿片窟(あなぐら)と俗称されるだけのことはあるなと自嘲して。噎せかえる匂いにさらわれそうな意識を引き戻すため、もう一度きゅっと頬を抓った。

「失礼します」
「あー、やっと来たきた」

 どーぞ。ノックに続く間延びした返事。ため息を吐き出すと、目を伏せたままドアに手をかける。開いた向こうには、きっと想像と寸分違わぬ光景が広がっているに決まっているのだ。一度くらいは不謹慎を責めても許されるだろうか。

「……お呼び、でしょうか」
「いらっしゃい」

 またそうして、鷹揚な物言いで出鼻をくじかれる。肌を存分に露出した女に風を送られて眼を閉じる劉の膝には、いつものように藍猫の姿。肩に、腕に、脚にかしづく美女たちは揃ってミニ丈のチャイナドレスで着飾っている。ここはどこぞのハーレムか、まるで別世界だ。
 覚悟していたのに、やっぱり目に映る光景に息が詰まる。苦しいのは煙のせいだとねじ伏せて、なんとか笑顔を作る。その苦労が劉にはバレませんように。祈りながら唾を飲み込んだら渇いた喉の奥がちりり、痛んだ。

「支店長、用件はなんでしょうか」
「その呼び方はあまり好きじゃないんだけどなあ」
「………」
「堅苦しくて。ねぇ、藍猫?」

 言ってやさしく彼女の顎を撫でる劉の指は、神経を逆なでしようとしているのか、素なのか。表情からは真意がまったく読めない。相変わらず胡散臭さたっぷりの緩い空気を漂わせる彼に、苛立ちと呆れの混ざり合う感情で、胸がぐらぐらと揺れた。

 今日仰せ遣ったのは、あるものをファントムハイヴのお屋敷に届けるという、伝書鳩のような単純な仕事。だからつい尋ねてしまった。

「なぜ私に、なのですか」
「そんなことが聞きたいのかい?」
「……言いたくなければ結構です」
「いーや?聞きたければ、いくらでも言ってあげるよ」

 疑問に形を変えて現れる、無意識の攻防。また失敗したことに気が付いたときには、いつももう遅い。劉の得意げなこの顔、きっと歯の浮くような台詞で呆気なく私の力を抜くのだ。

「我の姫の顔が見たいから。それだけさ」

 ほら、やっぱり。たった一言で心臓を掴まれる。本気かどうかも分からないやわらかい声に勝手にゆさぶられる。
 だったら私も崑崙社員ではなく、貴方の周りにかしづく女たちの一人にしてしまえばよかったじゃない。そうすれば昼間でも飽きるほどこうして、劉の傍にいられたのに。なにも考えず劉にまとわりついて、享楽を共有して笑顔で。
 俯いて唇を噛み、そっと息を吐く。隠した片手をそっと握りしめなければ、声を整えられなかった。

「冗談は顔だけにしてください」
「アハハ、我の顔は冗談なのかい?」

 どんなにとぼけて見せても彼が裏社会の顔を持っていることは事実だ。なのに暗い影を微塵も気取らせないのは、それだけ上手に演じている、ということ。つまり彼はかなり嘘がうまいうえに、物事をはぐらかすのも天才的だ。

「まあ、いいです。それで、品物はどちらですか」
「随分せっかちなんだねぇ」
「社の方にも、まだ仕事がたっぷり残っておりますから」
「ここにはないんだよねぇ。我が案内するよ」

 すとん。膝から藍猫が降りるのと同時に立ち上がった劉は、さらりと上着を羽織る。手の込んだ刺繍の施されたそれを身に着けると、彼はいつもより少し近寄りがたく見える。
 着ているもので心が動くなんて安易だけれど、普段はただの怪しい東洋人にしか見えない彼が、そうしていれば立派な崑崙英国支店長にも不気味な青幇幹部にも見えるのだ。

「さあ、行こうか」
「………」

 一瞬怯んだ気持ちを見透かすように、さり気なく手を取られて咄嗟にほどけなかった。絡む指を避けられず、歩きながらドアを出る頃にはなめらかな動作で背中に腕が回っている。地下からの階段をのぼりながらすっかり密着した腰を避ける気にもなれなかった。
 それから下らない話をしながら、どれくらい歩いただろうか。人気もだんだん疎らになり、商店らしき建物もみえず、ましてやファントムハイヴのタウンハウスともまったく別の方角にずいぶん進んでから、私は、はたと足をとめた。


「……劉、もしかして」
「ついに姫も気付いたようだね」

 きっとファントムハイブの屋敷へ届け物をするなんて最初から嘘なんだ。何か別の目的で私はここに連れて来られたのに違いない。だったら、なぜ?

「ええ。残念ながら…」
「さすが我の姫」
「……どうして」
「なぜだろうねぇ」

 見上げた劉は、目を閉じたまま似非臭い笑顔。唇の描く歪んだりんかくは、適当に相槌を打っているようにも何もかも知っているようにも見える。嘘吐き――

「私が聞いてるんです」
「我にも分からないんだよ」
「え……………」
「迷ってしまったらしい」

 大の大人が夕暮れの倫敦で、ふたり揃って迷子?そんな馬鹿なことがあるだろうか。早く本当の目的を明かせばいい。私が貴方の部下である以上、命令でもなんでもしてくれれば、好きなように動かせるはず。たとえ部下でなくても、劉に命じられれば私はなにも拒むことはないのに。

「劉……最初から、そのつもりで」
「そのつもりって、なにが?」
「迷子のふりをするのか、と」

 だけど今の私たちの姿は、迷子というよりは、ただの睦まじい恋人同士が夕暮れの街を散策しているようにしか見えない。

「我がなんでそんなことを?」
「劉は変だから」
「アハハ。でも、この世に"正常な"人間なんているのかい?」

 腰を抱く腕に力がこもって、身体がぴったりと密着する。こんな時に、藍猫のようにキレイに劉に触れることが出来たら何かが変わるのだろうか。そう思っていたらさり気なく取られた手を操られ、彼の首筋に誘導された。

「……そう、ですね」
「それに、そのほうがずっと面白いじゃないか」

 そう言って、頭頂部に降って来たキスひとつで、やっぱりどうしようもなく心臓を掴まれるのだ。ただ誤魔化されているだけだとしても。

「用事は?」
「なんだっけ、それ」
「もう、いいです…」

 見つめられれば呼吸がせり上がる。息が苦しくて、縋りついた彼の胸では刺繍の虎が醜く歪む。せめて私の顔は強張っていなければいい。



吐きたちの午后

本当はこうしてただ並んで歩きたかっただけなのさ。
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