マニアックプレイ

 2月14日、日曜日。聞きかじった英国人の風習に倣い眼鏡をかけてみた。馬鹿げた話だと思う。日ごろからあまり見えていない目に更に物が見えにくくなるフィルターを意図的に付け加えるという馬鹿げた行為は、でもそれだけで、面白いとも思った。
 もちろん、我の目はいつも通り殆ど閉じているので、レンズの有無に意味があるのかどうか、自分でもわからない。
 ただ、その日 我と会った瞬間の彼女の瞳が、いつもより大きく見開かれたのだけは分かった。

「今日はなぜ眼鏡なんですか?」
「おや、姫ともあろう者がそんなことも知らないのかい?」

 倫敦の天気は相変わらず不安定で、先程まで曇っていたかと思えば今はすっかり晴れている。気温は低いが風は少ない、散歩日和だ。

「眼鏡の男性は嫌いじゃないので、理由などどうでもいいんですが」

 わざわざ休日の今日、仕事を理由に呼び出したのは別に眼鏡姿を披露するためではなかったけれど、思わぬ一石二鳥。レンズの有無には、それだけで意味があったってことじゃないか。
 偶然彼女の好みの恰好をすることになるなんて、我の野性の勘も捨てたモンじゃないね。軽く腰に手を回して歩みを促しながら、劉はこっそり唇を歪めた。

「日曜日に眼鏡をかけるのは英国人っぽいと、聞いたこと位あるだろう?」
「いえ、まったく……どういう意味かすらわかりません」
「そりゃあ日曜日に眼鏡をかけていれば、月曜日にかけなくていいからに決まってるじゃないか」
「……余計にわからなくなりました」
「それは困ったねぇ」

 隣で首を傾げる姿に、そっと目を眇める。真剣に考えるところがいかにも彼女らしいと、また口元が綻ぶ。


「わざと負担を強いて、それが取り除かれたときの開放感を満喫しようという、所謂セルフ焦らし的なものなのでしょうか?」
「なるほど!きっとそうだよ」
「………はぁ」
「さすが我の姫だね!」
「なんだか真面目に考えてしまった自分が哀しくなってきました」


 下らない会話をお供に冬の街を並んで歩きながら、今の我と彼女はどこにでもいる恋人同士みたいだ と考えていたら、また道に迷った。
 他人のペースには決して乱されない我も、彼女には調子を狂わされているのだとしたら面白い。乱されないようにムキになる。

「劉………ここは」
「もしかして、知らないのかい?」
「そんなに有名な場所ですか?」
「さあ、どうだろうねぇ」

 今日の君はずいぶん高いヒールを履いているから、少し歩けばすぐに音をあげてどこかで休もうと言うはずだと踏んでいた。なのになかなか弱音を吐かず、ずるずると歩き続けた結果がこれだ。

「知りたいかい?」

 見下ろした彼女はなんとも不思議な表情。我のことを掴もうとして、その掴めなさに困惑しているような顔。

「……ええ、教えて下さい」
「だったら、あのへんの人たちに聞いてみなくちゃダメじゃないか」

 にこにこと笑みを貼付けたまま答えれば、彼女はがっくりと肩を落とした。

「結局………劉も知らないんですね」

 困った表情を可愛いと思うのは相手への愛情の証だと我は思う。だからもっと困らせたい。我が知っていようがいまいが、そんなことはどちらでも良いのだ。

「ははは、バレてしまったのなら仕方ないなァ」
「…………」

 いつまでもそういう顔を見せるから、我の悪戯心が騒ぐのだといつか君も気付くだろうか。
 ぐらぐらと揺れるゆらぎの向こうにちらりと欲が透けて見えるから、可愛くて仕方無い。我がそんなことを考えているなんて、ずっと気付かなければいい。そうすれば、ゆらゆらと揺れる瞳を見続けていられるから。

「今日の本当の用事は、なんだったのですか?」
「えー?何だったかなァ」
「もし何もないのなら、そろそろ戻りたいのですが」

 貴方も藍猫さんの元へ戻ったほうがいいのではないですか?そう、無言の瞳が問い掛ける。
 バレンタインの今日、我が姫と一緒にいると言えば、用事なんて最初から決まっているじゃないか。そう言いたい気持ちを堪えて、似非臭い笑みを貼付けたまま彼女を見下ろせば、ふいと視線を反らされた。

「藍猫がそんなに気になる?」
「…っ、いえ。何故」

 それとも見慣れない眼鏡姿が気になる、のか。何故と問いたいのは我だよ。むしろ、今日我に用事があるのは姫のほうだろう。
 いつチョコレートを渡そうかとタイミングを見計らっているはずなのに、こうして長い距離を歩いている間も、まったくそんな気配を見せない。だから、つい意地悪をしたくなる。

「何か隠し事をしているんじゃないのかい?」
「いいえ。でも、」
「でも、なんだい?」
「いい加減、歩き過ぎて足が」
「おや、ずいぶん辛そうだねぇ」

 やっと音を上げたね、待ちくたびれてしまったよ。だったら、こうしてあげれば君はどんな反応をする?
 有無を言わさず抱え上げれば、小さく肩が揺れる。細い身体が腕のなかで跳ねた。

「劉っ!」
「じっとしててくれるかな」
「……下ろしてください」
「えー?もう歩きたくない、って言ったのは姫だよ」

 それに、藍猫みたいになりたかったんじゃないのかい?付け加えて微笑めば、腕の中で頬が染まる。ああ、やっぱり可愛い。別にチョコレートなんて欲しくないけれど、一緒にいたいだけ。こうして触れ合っていたいだけ。

「どうせ藍猫みたいになってもらうんなら、先にチャイナドレスを着てもらえば良かったかなァ」
「私は………彼女じゃありません」
「当然じゃないか。姫が藍猫だったら我が困るからねぇ」
「………こまる?」
「そう」

 クールぶって興味のないふりをしようとしているのに、隠し切れない期待が透けて見える。我の"困る"というたった一言で顔色を変えるところが可愛くて堪らない。強がりで意地っ張りで素直じゃない、我の可愛い子猫ちゃんをあんまり虐めるのは可哀相かな。
 誤解して苦しんでいる時の切ない表情も、大好きなんだけどね。だから、藍猫の正体をずっと隠したまま、君を観察していたんだけど。

「藍猫はねぇ――…」

 沈黙を続ければ、不安げに我を見つめる瞳が、またゆらゆらと揺れる。そんな顔を見せられたら、また虐めたくなるじゃないか。

「我の、 小妹だよ」
「いもうと…」

 そう呟いた君の顔が一段階明るくなった気がして。鼻に掛かるレンズを、指先でそっと押し上げる。

「だから姫も、隠し事はもうやめてくれないかなァ」
「なんのことですか?」
「まだそういうことを言うのかい」
「………」
「とぼけるのは我の専売特許なんだけどね」

 今日は、恋人たちが愛を交わす日だって知ってるだろう?最後の虐めの代わりに耳元で低く囁いた。



マニアックレイ

我以外の男に何も渡せないように、今日は一日中独占してもいいかな?
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