だって雨だから

 煙草と適当な食いモンを買って間抜けな電子音とともに店を出れば、さっきまでのきれいな夕空は薄暗く塗り潰されていた。降り出した雨に立ちのぼる湿った土の香りを嗅ぎながら、笹塚は手慣れた仕草で煙草のパッケージを開く。
 通り雨だろうか。歩いて3分の自宅まで不本意だけど走るしかなさそうだから、まずは一服。口にくわえた一本に火をつけ、深く息を吸い込みつつ空を仰ぐ。雨足は強いが、1分以内で部屋に着けるはずだ とビニール袋を抱え直した。

「笹塚さん?」

 不意に呼ばれて振り返れば、コンビニの軒先へ駆け込んできた彼女は、もうすっかりずぶ濡れだ。ずいぶん突然降り始めた雨らしい。

「…よく 会うなぁ」
「そうですね」

 湿気を含みぺったりと肌に張り付いた髪は、いつもの無邪気さをすっかり奪い去っているのか。見慣れた彼女が、どこか知らない女に見えた。
 近づく彼女の顔のなか、長い睫毛に止まる雫と濡れた唇が目に入れば、勝手に心臓が活動を早める。きっと表情には現れていないけど、と自分のポーカーフェイスにこっそり感謝した。

「いま帰り?」
「はい。笹塚さんは非番ですか?」
「ああ」

 声のトーンもいつも通り。どくん、どくん、騒いでいる胸を彼女に気付かれるはずはない。
 煙を吐き出しながら眇めた視界で、濡れた髪の先から雫がぽたり、滴り落ちて彼女の首筋を伝う。白い肌をすべる液体から目をはなせなかった。

「ビニール傘買おうと思ったんですけど、ここまで濡れたら一緒かな」

 独り言のように呟く唇は、色が失せて小さく震えている。見れば身につけたものも水を含んで、重たい色に変わっていた。雨に打たれるにはまだ寒い季節、風邪をひかれてはかなわない。

「うち、来る?」
「…え?」
「一応…徒歩3分、走れば1分かな」
「いいんですか?」
「君が……構わなければ」

 途端にキラキラと目を輝かせはじめた君にうっかり見惚れた。下心ではなくて、これは善意だ。ただの純粋な善意。
 でも雨に思い切り感謝したいとも思っている自分は、いまもまだポーカーフェイスを保てているんだろうか。不安を感じながら煙を吐き出して、吸い差しを灰皿に押し付ける。
 突然家に誘っても彼女が警戒しなかったのは、男として意識はしてませんという彼女なりの意志表示なのか、それとも、それくらい信用してくれているということ?もしくは、彼女も俺に興味が?まさか、な…――


「……ん」
「…手?」

 彼女の小さな声で我に返れば、頼りなく彼女に向かう自分の腕が目に入る。開いた手の平に雨粒の当たる冷たい感触、ごまかしようのない不自然な姿勢。
 無意識で彼女の方へ手を差し出したことに気が付いた時には、とっくに引っ込めるのが不自然な空気が出来上がっていた。

「あ……」
「えっと、笹塚さん?」

 なにやってんだ、俺は。
 きっと備え付けの灰皿で煙草を揉み消しながら、馬鹿なことを考えていたせいだ。己の軽率な行動に頭を抱えたくなった。
 自分でも不思議だけれど、思考の速度と身体の反応が噛み合わないことが時々ある。頭が動くより先に手が出るというのは、職業柄勝手に研ぎ澄まされてしまった反射神経の為せる技なのかもしれない。などと冷静な分析をしてみても、いまさら妙に気恥ずかしいこの空気は拭えないのに。

「……、ごめん」

 引っ込めることも出来ず不自然に空中で止まった手の平を、降り続く雨が濡らす。

「なぜ"ごめん"なんですか?」
「いや……つい」

 口ごもる俺にやわらかく微笑むと、驚くほどの純粋さで、君は俺の手を取った。

「こういうこと、ですよね?」
「………その」
「あれ?もしかして鞄持ってあげるとかそういう意味でした?」

 すみません早とちりして。と言葉を続けながら離れて行きそうな彼女の手の平を、ぎゅうっと握り直す。同じように握り返してくれる細い指を、このままずっと離さずにいられればいいのに、と思った。

 参ったな。頬のゆるみを止められそうにない――俺はいくつのガキだ?



だってだから

(笹塚センパーイ、あのコンビニ前でいちゃついてた超絶・美少女 誰なんっすかァ?隠さないで俺にも紹介してくださいよォォォーーー!!!) (…断る。)
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