迷える子羊ごっこ
巡察に同行して京の町を歩くたび、見慣れぬ光景や聞き慣れぬ言葉の響きについつい気持ちを奪われる。父を探している天涯孤独な身の上を忘れ、新選組に拘束されているという自分の置かれた状況を忘れ、目に映る珍しいものに夢中になっている間は幸せなただの少女でいられる気がするのだ。これは現実逃避の一種だろうか。
「どうしました、そこの若者」
街角に佇んであやしい妖気を垂れ流しているいかにも易者らしい老婆に声をかけられて我に返れば、周囲にほかの隊士の姿はなくひとりぼっち。
キョロキョロと周りを見回すけれど、隣にいたはずの原田さんの姿はなかった。あれだけ「迷うなよ」と言われたくせに、迷子だ。
近くにいれば頭ひとつぶん周りより高い彼の姿はすぐにみつかるはずなのに。浅葱色の羽織は、360゚見回す限りどこにもない。さっきまできらきらしていた周囲のすべては、背の高い彼が見えないことに気付いた途端、心細くて堪らない光景にすり替わっている。
「いえ…あの」
「あなたはなにか探しものをしておられますね」
「……どうしてそれを」
「それも大切なことを隠して」
「………っ!」
父のことだ、と咄嗟に思った。真相を突いた老婆の言葉に心を一瞬で奪われて、鋭い瞳に引き寄せられるように一歩、彼女のほうへ近づいた。
「そのように自らを偽っておられるのが、探しものの見つからぬ一因」
「………あの、」
「大丈夫。私以外の者にはばれてなどおりませんからご安心を」
声を潜めた老婆の言葉の意味は明らかだった。彼女には私の男装がしっかり見抜かれているのだ。けっこう上手く化けたつもりでいるのは私だけなのかもしれない。
得体の知れない妖気を盛大に垂れ流しながら、彼女は言葉を続けた。
「まずは、その恰好をどうにかしなければなりません」
「それはちょっと…」
「そうしなければあなたの探しものを取り戻す好機は決して訪れない」
「でも、これには理由が」
「…男装をおやめなさい」
一際低い声で老婆が囁いた瞬間、後ろから力強く肩を掴まれた。
「なーにやってんだお前」
「…原田さん」
「迷える子羊ごっこか?」
「いえ…」
「ったく、ちょっと眼を離すとこれだ」
「すみません」
「すーぐいなくなっちまう所はガキみてぇだな」
もう薄暗い町に、太陽が再びのぼったようだと思った。楽しげに大きく笑う原田さんは、子供にするみたいにくしゃくしゃと私の髪を掻き交ぜる。武骨なその指はいつもいつも、胸がほどけそうに優しい。
「では、見料を」
「何か見て貰ったのか?」
「……いえ、まだ」
「じゃあさっさと帰るぞ」
老婆に一礼して立ち去ろうとしたら、袖をそっと引かれた。無言の瞳には威圧感が溢れている。
「好機が自ら目の前に現れましたね、お嬢さん」
「……っ!?」
「あの殿方の手を離さぬように」
そう言って差し出された皺だらけのてのひらに慌てて見料を押し付けると、原田さんの方へと走り寄った。
「何喋ってたんだァ?」
「……い、いえ」
「結局、金払っちまったのか」
「え、ええ。探しものが……」
ほかの皆は先に屯所へ帰してしまったのか、ふたりきり。老婆のあの台詞のせいでやけに胸が騒ぐ。
「ったく、ああいう輩は嘘八百が得意なだけのインチキばっかだっつうのに」
「………」
「お前は相変わらず素直なんだな」
そう言って原田さんはまた、子供にするみたいにわしゃわしゃと頭を撫でる。温かいてのひらが心地いい。
「どうせなら次は、恋占いでもして貰ったらいいんじゃねえか」
「いえ!」
「…ん?」
「もう必要ありませんから」
思ったより力強い声が出て、恥ずかしさに眼を伏せた。何を言ってるんだろう、私は。こんなことを言えば鋭いこの人にはなにもかも見抜かれてしまうのに。
沈黙に耐え切れなくなったのを見透かすように原田さんはちいさく笑って。不意に私の手首を掴み、ぐいと広い胸に引き寄せる。
屯所まで程よい距離、周りには人気がない。ふわり、包まれた原田さんの匂いに眼を閉じたら、髪にそっと唇が落ちてくる。
「だな」
突然の温もりにどくんどくんと脈打つ心臓を持て余し、身体を強張らせていたら「お前にはもう俺がいるし?」低くてやわらかい声が耳たぶのすぐそばで聞こえた。
迷える子羊ごっこ(ちょっ!左之さん、屯所の近くでいちゃいちゃすんの止めてくんねぇかな?)(平助はそうやって覗くのをやめろ!)