金糸雀色に光る、

 その男の姿を見た瞬間、物陰に隠れ息を潜めた。とある城主の妾として囚われた屋敷のなか、いつもいつも外へ飛び出す機会を窺っていた私の初逃走決行日。
 そんな夜に遭遇した相手は、すべて敵である可能性が高いのだから。

「……っ」

 彼の金糸雀色の髪が鈍く闇に光る。さらさらと風に流され、繊細な前髪の隙間から覗く双眸に見据えられたら鳩尾の奥がちくりと傷んだ。

「お前は、そこで何をしている?」

 印象的な低い声。今まで見たこともない男だ。城の家臣たちとは明らかに異なる、質のよい着流し姿。空気に溶け込む涼やかな立ち姿をもっと見ていたいと思った。動けずに息を飲む。

「隠れていないで、さっさと出て来い」

 誰かに見咎められる、すなわち、この屋敷に否応なく繋ぎとめられることを意味する。男の言葉に従うのは危険な行為だ。分かっているけれど、低い声に操られ竦んだ足は勝手に一歩をふみだす。
 爪先も膝もばかみたいに震える。足元が覚束ず、硬い床の上へ崩れ落ちそうになって――すんでのところを、強い腕に抱き留められた。

「すみませ…ん」
「構わん。気にするな」

 呆れ果てたようなため息混じりの冷たい声なのに、男の私を支えるやり方はおそろしく優しい。

「……でも、」
「俺は気にするな、と言っている」
「はい」

 なぜだろう。見ず知らずの男の腕に収まって不思議と安らいでいる。胸元から漂う微かな香りで心がじんわりとゆるむ。泣きたいと思った。安堵を感じるにはまだ早い。なのに泣きそうだった。

「逃走準備中、といった所か」
「………はい」
「何故、俺にしがみつく?敵とも味方とも知れぬのに」

 男に言われて初めて、自分が彼に縋り付いていることに気が付き、恥ずかしくて広い胸を押す。少し出来た距離にホッとしたのもつかの間、また強く抱き寄せられて。その理由を探るように顎をのけ反らせると、男の顔を見上げた。

「遊んでほしいなら相手をしてやるが、生憎今日は用事を済ませにきただけだ」
「いえ。そんなことは…」
「それにしては、やけに物欲しげな目をしているではないか」
「そんなはずありません」

 くつくつとさも愉快そうに笑い、俺には大切な用事があるのだと言いながら、男は少しも腕を緩めようとしない。

「はやく用事を済まされてはいかがですか?」
「ふん……それは、もしやこの腕を解けという命令ではあるまいな」
「お好きにお取り下さい」

 精一杯男を睨みながらそう言えば、すんなり顎を掬われる。至近距離のその顔は見たこともないくらい整っていて、ぎしぎしと心臓が軋んだ。

「面白い女だ。俺が怖くはないのか?」
「………」
「人間ではない、鬼の俺が」

 鬼――?
 不気味に透き通る紅色の瞳。深いその色に、吸い込まれそうになる。なるほど鬼と聞いて、彼の際立つ美しさの理由が少しわかった気がした。
 それにしても、昔語りに聞く鬼の姿とはなんと違うのだろう。色素の薄いなめらかな肌に、艶めく黄金色の髪は、どこかこことは別世界のもののようだ。

「まだ、分かり…ません」
「ほう……まだ?」
「ええ。まだ……」

 彼を怖いとも、怖くないとも言い切れない。敵か味方かも分からない。ただ、見つめられれば心がふるえだす。彼の髪に眼に指先に、何かが絡め取られる。その姿をもっと見ていたい、と思う。
 この感情は何だろう――



「気が変わった」

 男は私を見下ろすと、綺麗な指でさらりと頬を撫であげる。なめらかなその感触に肌は毛羽立ち、背筋がぞくりと震えた。

「用事は次の機会だ。今宵はお前をここから逃がしてやろう」
「………っ!?」
「但し、」

 言葉を切ってじっと双眸を見据えたまま、鬼は私の身体を軽々と抱き上げる。次の瞬間、二人の影は重なって、鮮やかに宙を舞っていた。

「たった今この瞬間から、俺に…風間千景様に囚われるがいい」
「……な…ぜ?」
「鬼という存在が怖いものか否か、俺の近くでゆっくり見極めるのだな」

 まあ、怖いと言われてももう離してやるつもりはないが――淡い月の下、低く掠れた声に鼓膜は甘く溶けだして。抵抗の術を失った、そんなはじまりの夜。



金糸雀色光る、

美しい鬼に心ごとすべて奪われた――
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