1秒間の窒息死。

 大事なことはいつも不意撃ちの弾丸みたいに降ってきて、気づいたときには手遅れなのだ――
 などと感慨にふけっている場合ではなくて。その日がサンジくんの誕生日だと知ったのは、ディナーを終えてすっかり薄暗くなったあと。今日も残り数時間のことだった。

「知らなかったのかよ」
「誰も教えてくれないし」
「お前が聞かねえからだろ」
「う…」
「テキトーに祝いの言葉いってやりゃそれだけで大喜びだろうよあの変態眉毛野郎は」

 ゾロの毒舌に「それでは私の気が済まないの」と乱暴にかえせば、ひえた風が頬をなでる。タイムリミットはすぐそこ。
 けれどここは海の上、目の前には果てしない海原が続くばかりでプレゼントを買う店なんてもちろんどこにもない。何かを作ろうにも残り数時間、たいしたものは用意できそうにないし、第一私はサンジくんの欲しいものなんて知らないのだ。
 なんだ、私 彼を好きだ好きだ と思っているだけで、欲しいものも誕生日もなんにも知らないじゃないか。大事な人の大事な日以上に大事なことなんてないはずなのに、なんで今日まで私はそれを誰にも聞こうと思わなかったのだろう。
 ざぶん。船底に荒れた波がぶつかって、甲板がぐらぐらと揺れた。その不安定さが、まるでいまの自分みたいだと思った。今夜はやけに波が高い。

 知っているのは彼の煙草を吸う姿がカッコよくて、彼の作る料理はいつも美味しくて、やさしくて強くて、私がそんな彼を好きってことだけ。
 思えば薄っぺらい恋心だったんだなあ、とため息をついたらナミとロビンが意味深に笑いながら私を手招いた。


 あれよあれよという間に、ふたりの手で化粧をほどこされ髪を巻かれ着せ替え人形にされて、スカートなんてはいたのは何年ぶりだろうと首を傾げているうちに髪にはしっかりリボンが結ばれる。

「なにこれ!」
「うん、バッチリ」

 バッチリってなんなのこの羞恥プレイさながらのガーリースタイル私の柄じゃないよ!ってナミに問い返せば、ただ笑顔だけがかえってきた。

「コックさん喜ぶわよきっと」
「その格好でおめでとうって言えばそれだけでプレゼントになるから」

 ロビンとナミに背中を押されて部屋を追い出されながら、サンジくんってこういう格好すきだったっけ?と首を捻る。自分よりも彼女たちの方が彼のことを良く知っているのだと思い知らされたようで、すこしだけ切なくなった。


 たとえばそれがサンジくんの好みのスタイルだったとしても、それだけでは私の気がすまないからせめて誕生日当日の残り数時間はサンジくんのことだけを考えることにしたの、何の足しにもならないけど。
 日付の変わる間際にキッチンを訪れて、「お誕生日おめでとう」のあとにそう言えば、サンジくんはさりげなく格好を褒めて「それだけで充分」と笑った。煙草の濃い煙がふわりと笑顔をやわらかく縁取っていた。

「それで、何を考えてくれたんだい」
「結局私はサンジくんのことをなんにも知らないんだなあ、って」
「じゃあ、なにも?」
「そういうわけじゃないけど」

 口ごもれば、「聞かせて」と優しい声で言ってサンジくんは頭のリボンを愛おしげに撫でる。

「煙草が、ね。似合うな って」
「ん」
「四六時中煙草をくわえているその意味を、ね」
「またそれ」
「また、って言うな」

 サンジくんの煙草を吸っている姿はカッコイイし大好きだから、愛煙家である理由なんてなんでもいいやって思ってたけど、サンジくんのことを考えようとしたら結局そこからどうしても離れられなくて。


「続きをどうぞ、レディ」

 短くなった吸いさしをギュッと灰皿に押し付けて顔を背けると、サンジくんは肺のなかの空気をそっと吐き出した。私を気遣うその横顔が、とてもきれいだった。

「サンジくんにとっての煙草は、なにかの代わりなのかな、って」
「代替品にしてる、ってこと?」
「そう」

 頷けば、サンジくんはまたきれいに笑って頭のリボンから巻髪へするり、てのひらを滑らせた。

「禁煙しようとする人は口寂しさを紛らわすために飴とかガムに頼るっていうじゃない」
「ああ」
「サンジくんの場合それとは逆で、なにかの口寂しさを紛らわすための代替品として煙草をくわえているのではないか、と思いまして」

「なるほど」と言った笑顔のままのサンジくんに、さりげなく顎を掬われた。前髪で隠れた片目が、まっすぐ私を射抜く。

「え」
「じゃあ 今夜はその口寂しさをキミが紛らわしてくれるってわけだ」
「え、え、」

 ドアの隙間から入り込む夜風が絹糸のような金髪をさらさらと揺らす。ざざっ、と鈍い音を立てて船底が揺れたのか、よろけた身体はすっぽりとサンジくんの腕に抱き留められていた。
 なにこの状況。胸がいたい。

「その格好も俺のため?」
「え、あ、うん…」
「よく似合ってるよ」

 最高のプレゼントだね、と気障なセリフをつづけて、サンジくんのきれいな顔が傾きながら近づく。

「もしかしてサンジくんはこういう格好の方がすき?」
「いや。キミならどんな格好でも」

 この人には気障なセリフや仕草がなんて似合うんだろう。すうっと瞳を細めた慈愛顔に、胸がもっと痛くなる。
 いまにもキスをされそうなぎりぎり近くで、ぴたりと止まって見下ろされれば心臓がバカみたいにはねた。
「そろそろ口が寂しいな」飄々と口にするサンジくんの煙草臭い息が頬をなでて、どくんどくんと脈があばれる。

「や、煙草は吸ってて欲し、」

 いんだけど。言い終えるまえにそっと人差し指がくちびるをとめて。熱い指先がりんかくをなぞるから、呼吸がくるしい。指先ひとつでたやすく緩められる。力も警戒心もやわやわと緩まされている。

「寂しい、ってさ。口が」
「……」

 さっきまで私のくちびるに触れていた指で今度はとんとん、と自分のくちびるをつついてサンジくんがにっこりと笑った。
 この状況はつまり、そういうことですか。喋っている途中で自分でもうすうすそんな流れになりそうな予感はしてたけど、“口寂しさを紛らわす煙草のかわりにそのくちびるを頂戴”ってこと?“俺がいつも煙草でごまかしてるのは、レディとのキスだよ”って、そういうことなんですかサンジくん。教えてよ。理由を教えて私をラクにして。

 くちびる同士の触れる寸前で固まったように、彼は少しも動かない。こんな姿勢をいつまでも続けていては、心臓がとてももちそうになくて。ときおりひゅう、と聞こえる風鳴りが自分の泣き声みたいに思えた。それよりも大きく鼓動がひびくから、勝手に緊張が跳ね上がる。緩んだり張ったり忙しい。

「サンジ…くん」

 一度だけ名前を呼んで上目遣いに意図を探れば、底無しの深いブルーアイズに飲み込まれる。

「今日の残りの時間は俺のことだけを考えてくれるんだろ?」

 念を押されなくても、すでにサンジくんのことしか考えられなくなっている。気づいたときにはもう逃げられない、そういう風にできている。止まりそうな呼吸をおして搾り出した二度目の「おめでとう」は、形よいくちびるに掠め取られて途中できえた。

 息継ぎの合間に抵抗の言葉を紡ぐつもりだったのに、このうえなく幸せそうに表情を綻ばせるサンジくんを見てしまったら、ふるえるほど嬉しくて。私は最初からこうしたかったのかもしれない、と思った。


(なあ、知ってる?)
(なに)
(俺、チェーンスモーカーなんだ)


1秒間の窒息死。
キス、キス、キス キス キス。
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