きっと中毒になるよ

 朝食の準備をはじめるのは、まだ空の薄暗いうちだ。そんな時間にノック音がしたので、彼女だといいなと思っていたらやはりそうだった。
 彼女がドアを鳴らす音は、とてもやさしい。やさしくてやわらかい音で、必ず3回ノックする。そのあとにすこしだけ間をおいて、コンコン と2回 音が続くのだ。
 最初は不思議なノックの仕方をする子だな、と思っていた。いつしかそれが、俺の名前に懸かっているのだと気がついた。サンジ=3、2。実際はただの偶然かもしれないけれど、俺は勝手にそう思い込んでいる。無意味なことに意味付けをして、ひそかに楽しむのは個人の自由なはずだ。

「どうぞ」

 声をかける前に扉がひらくことはない。ドアをあけると、彼女はまずほそい隙間からそっと覗き込む。首だけを傾げるようにして「いま大丈夫かなサンジくん」と問う。毎回。サンジくんと呼ぶときの少し鼻にかかった「ん」の音がすきだ。
 頭を傾けるときに一瞬だけのぞく首筋のいつもは見えていない部分が、細くてとても白い。夏の日差しをあびる季節も、一年中、真冬の雪のように白かった。

「早いね」
「うん。ちょっとね」
「コーヒーでいい?」

 問い掛けるときには、すでにコーヒーを煎れる準備をととのえている。こぽこぽと湯気をたてるサイフォンの傍に、彼女専用のカップ。

「よくおわかりで」と微笑む彼女は、随分と眠たそうだった。

「眠れなかったのかい」
「うん。ちょっとサンジくんのこと考えてたら、ね」

 さらりとそんな意味深なことを言うものだから、煙でゴホゴホと噎せた。俺の、こと?

「それそれ」
「それって、何」
「煙草」

 喉のおくで不愉快に絡む煙を一気に吐き出して、漂いはじめたコーヒーの香りをそっと吸い込んだら、やっとすこし落ち着いた。


「サンジくんが普段、頑ななまでに煙草をくわえつづけているその意味について、必死になって考えてみたの」

 "必死"という言葉にふたたび胸が跳ねて、彼女に背をむける。こっそり深呼吸して鍋の火をゆるめ、彼女の向かいに腰をおろす。ちいさく欠伸をこぼした彼女が、ゴシゴシと眠たそうに目元を擦った。

「聞かせて頂きますよ、レディ」
「うん、聞いてもらうつもりで来た」
「コーヒーの方が、ついでか」
「それも楽しみなんだけど」

 サンジくんのコーヒーすごく美味しいし、と言ってキミはきれいに笑う。

「お褒めにあずかり光栄です、レディ。それで?」
「うん。料理人さんって舌の感覚を大切にするために、その手の嗜好品をとらない人が多いって言うじゃない」
「まあ、一般的にはね」
「だったら、戦闘には手も包丁も絶対使わないくらい徹底してるサンジくんが、四六時中煙草を吸っているのはなんでだろう。なぜヘビースモーカーなの?って。ずいぶん前から不思議には思ってたんだけどね」

 はじめは格好付けるためにカタチから入って、挙げ句のはてに、ただの単純なニコチン中毒に陥りました。ってのが正解なんだけど、もう少し彼女の話を聞いていたくて黙って頷いた。

「サンジくんくらい意志が強い人だったら、中毒とか関係なさそうだし」
「さあ、どうだろ」

 意志が強いと言われれば悪い気はしないが、そんなに格好のいいもんではない。

「それでね、もしかしたらサンジくんは一般的には有害って言われるニコチンで舌に膜を作らなくちゃならないくらい常人離れした味覚の持ち主なんじゃないかなという予想をしてみた」
「大胆な予想だね」
「ほら、見えすぎる人っているじゃない。視覚が異常なほどに発達していて普通ならとても見えないくらい遠くのものが鮮明にみえてしまう目を持つ人、とか。あと聴覚とか嗅覚も。どんな小さな物音も拾い上げてしまう耳に動物並の嗅覚を持つ人、とか」
「まあ、ね」
「サンジくんの場合はその味覚バージョンで、舌の感覚が異常に発達しすぎているがゆえに、常人の味覚レベルまでわざと降りてくるため意図的に煙草を吸って舌の感覚にハンデを付加しているんじゃないか、って。そうやってリスクを背負うことでやっと普通の人が理解できるところまでレベルを下げているんじゃないか、って。そんな考えに辿りついたら、なんだかドキドキしてきて」

 もうすぐ落ちきるコーヒーを注ぐため、席を立つ。彼女は一人で喋りつづけている。言葉を放つたびにころころと変わる表情に、微笑みがもれた。

「持って生まれた類い稀なる能力を隠した上にわざと劣化させて一般的な日常生活に馴染もうとする超人、っていう設定にはなんだかロマンチシズムを擽られるというか、堪らないものがあるじゃない」
「そんなもんかな」
「そんなもんです!いまでも充分すぎるくらいサンジくんの料理は美味しいし一級品のさらに数ランク上の特級品って感じで毎日食べられるなんて超贅沢レベルのスペシャルクオリティなんだけど、もし、もしもだよ、万が一ニコチンのバリアを解除してサンジくんがキッチンに立ったらどんなに繊細でうつくしくて素晴らしい料理ができるんだろう、美味しすぎて一口食べただけで恋に落ちるような味なんじゃないかな、とか、そんなことを考えていたらますますドキドキして眠れなくなったんだよねー。おかげで寝不足ってワケです」

 一口食べただけで、恋に落ちるような……だと!?

「俺、煙草やめます。いますぐやめます。だから恋におちて下さい」
「こらこら、そんな簡単にポリシー曲げなくても」

 吸っていた煙草をそそくさと灰皿に押し付けたら、彼女が笑った。

「まだ続きあるんですけど」
「聞きます、聞きます」
「吸いながら、どうぞ」

 そう言ってまだ笑っている彼女の言葉に甘えて、再び煙草に火をつける。
 やっぱり俺は、意志が弱い。

「そこまで考えたあとに、以前どこかで聞いた話を思い出したの。煙草を四六時中くわえている人には、割合言葉数が少なくて想いを溜め込むタイプの人が多い、って話。サンジくんは聞いたことない?」
「いいや」
「胸のおくに秘めた想いを、煙と一緒に吐き出してるんだって。言葉にできないたくさんの想いを、煙に交ぜてこっそり吐き出す無口な男。それって、なんかものすごくストイックでカッコイイよね」
「やっぱり俺、煙草やめるのをやめます。煙草やめません」
「どっちなの」

 テーブルに肘をついて顎をささえた彼女が、可笑しそうにまた笑う。取り出したカップにコーヒーを注ぎながら、先を促した。

「で、結局のところね。サンジくんが煙草を吸う姿はカッコイイし、甲板で風をよけるために翳す手もそのとき軽く首を傾げる姿勢もカッコイイし、私はそもそもサンジくん+煙草の組合せが大好きなので、サンジくんが四六時中煙草を吸う理由なんてなんでもいいやって そう思いました、まる」
「………」

 大好き、って。いま大好きって聞こえたような気がするんだけど空耳だろうか。それとも俺の妄想だろうか。

「…あの」
「………」
「寝ぼけて変なこと言ったかな」

 くわえ煙草の先端から、伸びた灰がぽとりと落ちる。妄想でも夢でも空耳でもないらしい。

「わわわ!サンジくんサンジくんコーヒーこぼれてる!ソーサーからあふれそうになってる!!」
「…おわ!」

 どんな告白劇だこれは。彼女があまりにさりげない調子で続けるから、うっかり聞き流しそうになったじゃねえか勿体ない。

「ついでに鼻血。鼻血もでてる。大丈夫?サンジくん」

 やっぱり彼女の「ん」の発音がすきだ。心配げに伸びてきた手首を掴んで、まっすぐに見下ろした。どうかいまだけ、鼻血はスルーしてください。

「きめた!」
「なにを?」
「俺、一生煙草やめません。死んでもやめません。やめないから、」

「死んだらやめようよ」って笑うキミも、こぼれっぱなしのコーヒーも、口からすべり落ちた煙草もいまはぜんぶスルーして。

「サンジくん?」って首を傾げるキミの最後の「ん」を、煙草臭いくちびるで飲み込んだ。



きっと中になるよ

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