男性恐怖症くそくらえ

 おそるおそる開く眼に、金色の波。

男性恐怖症くそくらえ



 正直にいえば私だって別にサンジくんのことが嫌いとか生理的に受けつけないワケじゃない。
 むしろ、無言で煙草を吸うときのてのひらの形とか、さらさらと風になびく金色の髪とか、私の名を呼ぶ低くやさしい声とか、長くすんなり伸びた脚とか、いつも美味しい料理とか、きれいにスーツを着こなす背中とか、ときどき垣間見せる切ない横顔とか、とか、とか、好………きらいじゃない。嫌い、じゃない、かもしれない。
 けど。
 だけどね。

 これは、なに?なんなのこれは。

「レディ、今日こそは覚悟を」
「む、むり!」

 いきなり、何の脈絡もなくサンジくんが壁に背中を押し付けたりするから、訳がわからなくて、ほんとにちっとも訳がわからなくて、息が止まるかと思った。
 近すぎる距離に驚いてぎゅっと目を閉じたまま、反射的にすねを蹴りあげる。

「ゴフッ…」
「なんでこんな、」

 だって私、一応男性恐怖症気味ってことで通ってるのに。一応、ね。
 痛そうに息を吸い込みながら、サンジくんが眉をひそめる。でも、それもたった一瞬でまたすぐ眦が下がった。

「そりゃ決まってるじゃないか」

 まるで蹴られた痛みすら嬉しいというように、瞳には分かりやすいほどくっきりハートマークを浮かべて、大きな手が頬に伸びてくる。サンジくんの手。ほんのりと煙草の香りが鼻先を掠める。

「分から、ないっ」
「随分鈍感なんだね、レディ」

 ひどく低い声。瞳のハートマークはあっさり消えて、髪の毛で隠れた片方の目が私を縫い付ける。
 ちょっと待って。サンジくんってそもそもこんなに強引な人だっただろうか、おかしい。なにかおかしい、絶対。
 いつもいつも甘ったるい言葉できれいな女性たちを口説きまくっているけど、かならず相手に逃げ道を残しておく人じゃない。ふざけた口調と表情で。女好きで惚れっぽいけど超一級のフェミニストで、あくまでも紳士だったじゃない。いつもナイトだった。いつも。

「どうして」
「つかまえた」

 こんな真摯な表情をしたサンジくんなんて、知らない。知らない。
 だって、ほら、真剣になるのは仲間が命の危機に晒されてるときくらいで、いわば私もいま別の意味で危険の真っ只中にいると言えなくもないけど、いや、そういうことじゃなくて。なにか、なにかがいつもと違うはず。なに、なんなの。この違和感の正体は。

「逃げんなよ」

 こつん。小さな音を立てて耳の横を腕がかすめる。壁と腕の作り出す四角い檻のなかに、あっさりとまた囚われている。前髪で隠れた片方の目がまっすぐに私を見下ろす。

「あ、わ…わ……」

 息が詰まりそうな苦しさを堪えてサンジくんを見上げる。いつもと、違う…ところ。どこが、違う?
 きゅっと眉間に力をいれたら、眩しそうに眼を細めてサンジくんがずれた眼鏡を直して…メガネを、なおし…メガネ、を。
 眼 鏡 ッ!

 今日のサンジくん眼鏡かけてる。細いシルバーフレームのシャープなメガネ。

 気付いた瞬間、有無を言わさぬ双眸に見下ろされて、身動きが取れなくなる。見慣れないレンズ越しの視線が重たい。
 一センチ、また一センチ、じりじりとサンジくんが近付くたびに悲鳴に似たちいさな吐息が漏れる。
 怖いワケじゃない。いやなワケでもない。ただ、こんなに切なげで1ミクロンもコミカルな要素のないサンジくんの顔は、知らない。視線が重たい空気となって向かってくる。月の光で髪がきらきらしている。つめたい夜風が頬をなでた。

「分から…ない、よ」
「なんで?」

 冷静な声をだすつもりだった。なのに、かすれた弱々しい声しか出なかった。手負いの猫みたいな。助けてって懇願するみたいな。たぶん私の目にはもう、たっぷりと膜が張っている。
 本当はね、男性恐怖症ってのはナミさんが大袈裟にいってるだけだし、サンジくんを怖いと思ってたわけじゃない。なのに、いまにも涙が溢れそうで、くちびるを噛み締める。
 その眼鏡、なに。その余裕たっぷりの表情は、なに。すべてを見透かすような視線が私をとらえる。

「い い…やだ、」
「しぃっ」

 サンジくんの長い指がそっとくちびるに触れる。「黙って」と耳元で囁かれたら膝から力が抜けた。だめだ、むりだ。いやじゃないのに、眼鏡姿のサンジくんの破壊力がデカすぎて抵抗できない。すこしも動けない。いつものラブハリケーンとは明らかに違う。

「……っ」
「全くなんなんだいこれは。男性恐怖症のお姫様に惚れ込んでしまった色男ってか。このクソおそろしく悲劇的で難解な状況は。ああ、そうか神様が俺に課した乗りこえるべき苦難ってやつだな、そうなんだな。なるほど燃えてきたー」

 わざとらしくふざけた口調とは不釣り合いすぎる真剣な表情。眼鏡をかけているせいなのか、サンジくんがいつもよりずっと知的に見える。
 たった一つのオプションのせいで彼がいつもより強気に見えるのか、それとも私のガードが緩んでいるのか。分からない。どちらなのか分からない。あるいは、両方。

「………」
「あれだな、これはシェイクスピア悲劇の定番ロミオとジュリエット設定を力ずくで克服してみろっつうアムールの神様からの挑戦に違いねぇ。分かった、受けて立つぜ。男サンジ、男性恐怖症の一つや二つや三つ、こわくて恋が出来るかっての。クソふざけろよ!この足で海の底まで沈めてやるから覚悟しろ」

 真面目に、見える。いつもよりずっと真面目でスマートで知的に見え、

「…え?恋?」
「ああ、恋だ」
「こい」
「恋の障壁破壊作戦第一弾、」
「……」
「眼鏡紳士!」

 あまりにも、余りにも得意げな顔で彼が私を見つめるものだから。その目が愛おしげに私を見据えるものだから。
 精一杯背伸びをして、つめたくなった両手をそっと伸ばすと、さらさらの前髪に指をからめた。



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第二弾は両目をご所望ですかレディ
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