命短し恋せよぼくら | ナノ


触れられたなら死んでもいい

 そっと障子をあければ、まじり気のない澄んだ空気が流れこむ。部屋内の誰よりもはやく起き出して私が身支度をととのえたのは、いつもよりすこし早い時刻。寝付けない夜をすごしたというのに、こんな時間から目が覚めてしまった。太陽が低く、表はずいぶんと薄暗い。

 まだ朝靄のけぶる邸内を散歩していると、眠そうな表情の永倉さんと平助くんがちょうど屯所へ戻ってくるのに鉢合わせた。

「おはようございます」
「随分早起きなんだな」
「寝付けなくて」

 欠伸を連発する永倉さんと言葉を交わしながら、へんな質問をされるのではないかと内心落ちつかない。昨夜は彼らを放置して原田さんと二人で店を抜けだしたのだ。説明を求められたら何と答えればいいのか。
 こっそり思案していると、不機嫌面の平助くんにいきなり袖をひかれ、あっけなくバランスを崩した。

「っ、と」
「危ね!」

 反射的に抱きとめてくれた彼の腕は思ったより力強い。私と同じくらいの背格好で、まだ少年らしい細腕だと思っていたのに、意外だ。

「ありがとうございます。というか何ですか急に」

 袖を掴まないでください。よろめいた決まりの悪さを強い口調でごまかすと、すこしだけ上にある平助くんの瞳を睨みあげる。

「何ですかはこっちの台詞。昨日なんで途中でいなくなっちまったんだよ?」
「それは……」
「おまけにいつもは最後まで飲んでる左之さんもいねぇしさ」
「…あの、」

 正直に話すべきだろうか。でも、まさか「理由もわからないまま急に原田さんに腕を引っつかまれて屯所まで拉致されました」とはとても言えないし。原田さんの真意もさっぱりわからない。
 そもそも、やましいことは何もなかった訳だし。何も。
 手は、繋いだ…けど。

 原田さんと 手を 繋いだ――

 繋がれたてのひらの大きさとぬくもりを思い出すと、いまでも胸がさわぐ。おかげで、昨夜はちっとも寝付けなかった。
 本来ならば男同士の間では不自然なその行いに疑問をもち、先に待つ我が身の処遇にこそ意識をむけるべきだ。男ではないと露見した場合の絶命を心配するべきなのに、まったく別の方向にむねがさわぐなんて自分はどこまで救いようのない馬鹿なのか、と冷静な己が警鐘を鳴らす。でもその理性の声をうち伏せるように、ちっとも感情は言うことをきかなかった。

 手をとられた刹那 男装がバレたか と萎縮した心は、原田さんのてのひらの温かさであっという間に成りをひそめる。始終ひどく難しい顔をした原田さんは、屯所に着くまでひとことも喋らず、ただ、繋いだ手だけは一時も離そうとしなかった。
 まるで男と女のような繋ぎかたで親密に絡んだ指と指。ときどききゅうっと力がこもり、しばらくしたらまた緩む。いったいあれは、なんだったのだろう。

「なにニヤニヤしてるんだよ」
「にやにやなんて!」
「どうせあの後二人で別の店とか行ったんだろ」
「いえ、まっすぐ屯所へ」
「嘘だー」

 左之さんなら有り得ねぇ、とかなんとか言い募る平助くんに言い訳の弁もなく困り果てていたら、いつの間にか隣に原田さんが立っていた。
 寝起きのぼやけた顔をみて、また胸がさわぐ。寝癖のついた赤い乱れ髪のせいで、原田さんがいつもより若く見えた。

「悪ぃな、平助」

 こいつだいぶ酔ってるみてぇだったから先に連れ帰った。そう言って彼は腰をすこし折る。ちょうど私と同じ高さまで屈んで目線を合わせた。
「な?」相槌をもとめる琥珀の瞳が、そういう事にしておけと訴えてくる。やわらかく弧を描くその目にそんなふうに見つめられたらもうだめ。まるで心の内まで覗かれているようで、抵抗する気など失せる。無言で頷いたら、ぽんぽんと肩をなぜられた。

「左之さんがそう言うなら、仕方ねぇから信じるけどさー」
「仕方ないもなにも、それが事実だからなァ」

 言いながら大きな欠伸をした原田さんもずいぶんと眠そうだ。木に寄り掛かって今にも夢の中の永倉さんには負けるけど。巡察で京の町に出ているときに比べれば、まとう空気がやわらかい。

「左之さんも眠れなかったんですか?」
「酒が足りなくて、な」
「何だよそれ。二人して先に帰っておいて、揃って寝付けねぇって変だろ」

 変、だよ。原田さんの寝不足の原因はきっと私とは違うのだろうけど、少なくとも私の方は変だと思う。自分でもわかっているのにわざわざ言葉にされるとさらにそれが際立つ気がするからやめてほしい。
 平助くんは、こうやってごくたまに鋭いから心臓に悪い。


「お前も寝不足か、ちび助」

 そう尋ねる原田さんに頷くと、ふ、と笑って「じゃあ今日は俺と一緒に昼寝でもするかァ」なんて冗談とも本気ともつかないことを口にする。

「腕枕くらいしてやってもいいぜ」
「え、遠慮しておきます」

 彼に他意はないはずなのに、またすこし拍動があがった。もしかしたら原田さんには、その…男色の気がある…とか。昨夜のあれも、そういう意味での誘いだったのだろうか。
 だったら「女誑しの左之さん」というのは沖田さん流に皮肉のきいた冗談なのかもしれない。今度こっそり探りを入れてみよう。

 それにしても、本当に腕枕をされたらどういう感じなのだろう。こっそり二の腕を盗みみて目をそらす。
 にわかに顔の内側が熱をあげて焦っていたら、平助くんのおおきな目が私と原田さんを交互に見つめていた。

「な、なに…」
「んー。何か俺、むかむかする」
「平助くん、二日酔い?」
「違うよ馬鹿!朝飯まで寝る」

 そう言い残すと、寝ぼけ眼の永倉さんを引きずりながら平助くんは去って行く。その姿がおかしくて笑う私をみて、原田さんは満足げに目を細めていた。





 昨夜、いったんは「男でも女でも関係ない」と思った原田だったが、無理やり外へと連れ出せば嫌でも夜気で頭が冷える。焦ってなにをしてるんだ俺は、と衝動的な行動をとった自分を責める一方で、繋いだてのひらは小さく心地よくて、とても離せなかった。
 やっぱり女のモンじゃねぇかこれ、いや今さらもう女とか男とか関係ねぇんだ。どっちでも、どうでもいい。…いい、のか?良くはねえだろ。そうやって葛藤している折に名を呼ばれて、無言でみおろせばすがるような目が俺を映す。

「左之…さん」

 酒でぼんやりした耳には、声の響きまでもが女人のそれに聞こえた。バカバカしい。どこまで酔っ払ってんだ、どこまで都合がいいんだ俺は。
 呼びかけには応えず目を反らし、指の力をつよめながら、男だ女だと反芻しているうちに屯所についていた。
 そのあとは思春期のガキよろしくてのひらの感触をなんども思い出して、自問自答をくり返す。答えなど簡単にでるはずもないのに。
 半時ほどうつらうつらした頃合いで空がぼんやり白みはじめ、外に人の気配を感じたので起きだしたら三人がいた。という訳だ。

 平助に詰め寄られたちび助は、こんな早朝だというのにすでに着替えを済ませていた。きっちり結われた髪、一分の隙もない着こなしに昨夜の酔いの影は微塵もない。それを少し残念に思った。

「お前は大丈夫なのか」
「なにが、ですか」
「二日酔い」
「全然です。左之さんは?」
「足りねぇな」

 ちび助の無表情をみていると、それを乱したくなるのはなぜだろう。酒に酔ってとろんと緩んだ瞳をもう一度見たかった。鼻にかかった声を聞きたかった。手を、繋ぎたかった。いまそんなことをしては、昨日の一件も“ただの酔った勢い”ではごまかせなくなるのに。

「じゃあ、また連れて行ってください」
「そう、だな」

 従順にこちらを見上げる瞳をみつめたまま、頭をぽんぽん、と強めになでる。
「わ、結った髪が崩れ…」そう言って睨みあげる目が本気では怒っていなかったから、わしゃわしゃとなでまわした。

「なんなんですか、左之さん!」

 もう!怒りながらちび助が髪を解く。長い髪がさらりと重力にしたがってばらけた瞬間、ぐっ、と胸が詰まった。頬にかかる髪に指を絡めとりたくなった。自分の手で、もっとその髪を乱したいと思ってしまった。
 いよいよ俺は病気らしい。


「俺ももう少し寝てくるかな」

 ごまかすようにそれだけ言って、背をむける。これ以上見ていては目の毒だ。ひとまずここは逃げろ、心の声が聞こえる。
 おやすみなさい、の声を背に自室へむかいながら振り返れば、ちび助はすでに箒を手に庭を掃いていた。手櫛でかんたんにまとめられた髪型が、いつもと違う。それだけで心臓がばかみたいにうるさくなる。なのに、やっぱりそこにあるのは無表情のいつものちび助の顔。

 昨夜の一件に動揺しているのは俺だけ、か。そっとため息をもらしたのと同時に、思わぬ声が傍で聞こえた。

「またおちびちゃん観察?」
「総司…!」
「朝早くからご苦労様」

 そんなんじゃねえよ。返す言葉に息がまざる。足音消して、気配まで殺して近づくなんて総司もなかなか人が悪い。いったいいつから見られてたんだ。

「昨日、二人で抜けだしたんだってね」

 おおかた平助のやつがぽろっとこぼしたのだろう。悪気もなく。あの馬鹿。あとで覚えてやがれ。

「まあ、な」
「ついに覚悟できたの?」
「なんの話だ」

 こいつにはとぼけても無駄だと分かっていて、それでも尚とぼけたのは、たぶん自分のなかでまだ整理がついていないから。新たな性癖に目覚めたなんて、そんなにかんたんに認められるものじゃない。

「まあ、どっちでもいいけど」

 明らかに楽しんでいる。これではまるで総司の玩具だ。

「ところで随分早起きなんだなァ」
「見たいものがあったからね」
「………」
「早起きは三文の得って言うでしょ」

 にやりと笑ってちび助のほうへむかう総司に、言葉をかえす余裕もなかった。



触れられたならんでもいい

覚悟するって、いったいどうすればいいんだ。具体的に説明してください。
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