命短し恋せよぼくら | ナノ


何かの間違いであってくれ

 今まで普通に生活している上で女性であることを意識した記憶などほとんどなかった。なのに男だらけの集団の中へ放り込まれた途端、嫌でも自分が女であることを意識させられているなんて皮肉なものだ。
 だけど、人生は往々にしてそういう風に出来ている。

「ほんま、考えなしの猪突猛進にもほどがあるわ…私」

 しかもこの環境には放り込まれたのではなく、自分から飛び込んだのだ。
 これまで謙虚に他人の意見に耳を貸すことをしなかったゆえに、私は敢えて歩かないでもかまわない茨道をことさらに選んで歩いているのではないか。男のふりをせずとも、日本を変える方法は他にあったのではないか。そう考えて悔い改めるにはもう遅かった。

 汗、お風呂、裸、男、女――

 巡察から戻った屯所で、飛び交う隊士たちの会話から逃れるようにひっそりと身を隠す。一日の汗を流す湯浴みの相談をしている男たちの群れに見つからないように。彼らの眼に留まれば「お前も一緒に行くか?」と他意もなく爽やかに誘われかねない。

「そんなん絶対無理やし。しかも今日だけのことやないし。あかんわ…これからどないしよ」

 例えそんなことになれば、私の性別なんて呆気なくバレてしまうではないか。聞けば、風呂には毎日入れる訳ではなく組ごとに交代で数日おきに順番が回ってくるらしく、たまたま本日が十番組の湯浴みの日なのだという。またよりによってなぜ今日?
 急に痛みはじめた頭を抱え、壁を背にずるずるとしゃがみ込む。夜気で冷えた地面が私から熱を奪っていく。
 どんなに気をつけていても、いつかはマズい事態に遭遇して慌てねばならないこともあるだろう、と覚悟はしていたけれど。

 汗、お風呂、裸、男、女――

 まさか第一の難関がこんなに早く訪れるとは思わず、大きなため息を吐き出した。


「どうした、ちび助」
「!はら…じゃなかった。左之さん」
「やけに元気ねえじゃねぇか。巡察で疲れちまったのか?」

 立ったまま少しだけ身を屈めて私を見下ろす原田さんの姿に慌てて立ち上がろうとしたら、とん、肩を押された。そのまんま座ってろ、と無言の瞳があたたかく包み込む。

「…いえ。そんなことはありません」

 大きな掌で肩をぽんぽんと叩きながら、原田さんは私の隣にしゃがみ込む。空気が揺れて微かな汗混じりの日なたの匂いが漂った。

「そりゃそうとお前、もともとこっちの人間なんだなァ」
「え?」
「いや、さっき独り言で京言葉使ってるのを聞いちまったからよ」

 よほど切羽詰まっていたのだろう、誰に聞かれているか分からないのに喋り方に気を配れなくなっていたとは不覚だ。

「はい」
「なんだァ?まだ晴れねえ顔だな」
「そんなことないです」
「湯浴みしてすっきりしてきたらどうだ。今日はちょうど十番隊の日だし」
「は!い、いやいやいや…私は」
「何なら一緒に入るか」

 背中くらい流してやるぞォ。と言いながらバシバシと背を叩かれて、少し噎せた。

「いえ…そんな勿体ないこと、ご遠慮いたします。私は新入りですので」
「そんな遠慮しなくてもいいんだぜ?」

 原田さんの背中…。その広い背中を流してあげたいと不意に思った自分に驚いた。まさか、そんなことができる訳ないじゃないか。お風呂と言えば裸と裸なのだから。
 たぶん原田さんは男同士、同隊のよしみで親睦を深めようと単純な善意から誘ってくれたのだろう。けれど、事情が事情だけに、私のほうはとても冷静ではいられない。バレたら命に関わる。

「いえいえ、ほんとに…」
「そうか。お前が釜炊き当番でなけりゃ、裸の付き合いが一番打ち解けんのには早いと思ったんだがなあ」
「釜炊き番?」
「ああ。新入りの奴らには、他にも下足番やら門番やらの雑用を担当してもらってんだが」

 これだ!と反射的に思った。天啓のようにそれは降ってきた。神様はやっぱりいるんだ。毎日釜炊き番を買って出れば、ひとまず誰かと一緒に湯浴みする危機的状況からは逃げられる。

「ちび助、何も聞いてねぇか?」
「はい!私、すぐ行ってきます。一人だけサボる訳にはいきませんから」
「じゃあ、土方さんに聞……」
「浴場はどちらですかっ?」
「そこの角曲がってまっすぐ行った屋敷の裏手だ…けど、」

 何で風呂限定なんだ?と首をかしげている原田さんに一礼すると、私は教えられた方向へ走り急いだ。



 本日の釜炊き当番の隊士に雑用の肩代わりを申し出て「明日からも私がこの役目毎日引き受けます!」と主張すれば、謀らずも皆に大歓迎される。むしろ喜んでいるのはこちらの方だ。あまりにうってつけの雑務がみつかって自分の運の良さに有頂天になっていた。


「お湯加減はいかがでしょうか」
「おう、ちょうどいいぜ。今夜の当番はお前か」
「はい。明日からも毎晩私が」
「それじゃあ、お前の入る暇がねぇじゃねえか」
「う…………」

 風呂場から窓越しにちゃぷん、と水音が響いてそれに土方さんの声が続いた。

「よし、分かった。お前、釜炊き番終えたら最後湯に入れ」
「…いいんですか?」
「そのかわり、しっかり掃除してくれよ。あくまで清掃係っつうことでな」
「はい。ぜひ!」

 初めて聞いた土方さんの笑い声が風呂場に反響してまろやかに耳を撫でる。こんなに思い通りにことが運んでもいいのだろうか。

「毎日釜番してくれるっつうんだ、そんくらいの特例は誰も文句言わねぇだろ」
「ありがとうございます」

 こうやって私は、いつでも自分の好きな日に誰にも見られず入浴する方法を手に入れた。

「上がるぞー。湯、しっかり落としといてくれな」

 土方さんの声を聞きながら、心からホッとする。目の前に残る大きな障害は、朝夕の着替えだけだ。朝は誰よりも早く起きて、皆が目を覚ます前に着替えを済ませればいい。同室の皆に気付かれぬように。


 翌朝、予定通りに誰よりも早く着替えて勝手場へ行けば無人のそこは残飯やら野菜屑でひどい有様だった。

「男所帯ってこういうものなのかも」

 本当は稽古をするつもりだったが、こんな情景を見てしまえば黙って見過ごせない。片付け始めてしばらくした頃、台所当番の斎藤さんがやっと姿を現したので、私は代わりに庭へ向かった。
 新選組のなかには、探さなくても大量に雑務が転がっている。それらが私の性別を隠すために、想像以上に上手く役立ってくれた。



 その日も最後の残り湯に浸かった後、お風呂の清掃を済ませ、私は服を身につける途中でふと手をとめた。屯所のなかは静まり返っている。
 着物の上半身をはだけたまま、湯浴みで温まった肌を夜気にさらす。それだけのことが、こんなに幸せだとは思わなかった。日中はさらしを巻き続けているので、この時間だけが締め付けから開放される至福の時なのだ。

「はあ―…」

 まだ涼しい季節だからいいけど、夏にあんなにぴったりと胸を押し付けたままなんて堪らないなあ。
 決して胸が大きい方ではないつもりだけれど、こうして朝から晩まで潰されているとボリュームを感じる。寝ているときも気を抜けないので、つかの間こうして呼吸を整えたらまたさらしを巻き付けなければならない。だから、もう少しだけ。
 蝋燭の淡い光を見つめながら上半身露わなままぼんやりしていたら、湯殿の外に足音が近づいてきて私は慌てて着物を肩に引き上げた。

「おっかしいなァ、ここか?」
「……っ!」

 ガラガラ。乱暴に扉が開いた途端に叫び声をあげそうな唇を噛み締める。
 肩越しに振り返る前から、低い声でそれが誰なのか気付いていた。原田さんだ。赤い色の髪をいつもとは違って無造作に下ろした彼は、そこにじっと突っ立っている。
 入口にはしっかり背を向けているし、身体を見られたはずはない。なのに、どうしてこんなにドキドキしているんだろう。原田さんが髪を解いた姿をはじめて見たせいだろうか。
 ゆらゆらと波打つ自分の気持ちに戸惑っていたら、ピシャリ。扉が閉まった。



「わりぃっ!」

 ちび助のうなじから肩にかけてのライン、抜けるような白い肌を見た瞬間、原田は反射的に扉を閉じていた。
 何やってんだ、俺――男同士だっつうのに。

「…っ、左之さん?」
「あ…ああ!」

 そうだ。あいつは男、男だ。ちょっと綺麗なだけの男だよな、うん。分かっている。なのに心拍数はばかみたいに上がっていた。

「何か忘れ物しはったんですか?」
「……おう。ちっと、結い紐を…な」

 再び扉に手をかけながら、さっき一瞬眼に飛び込んで焼き付いてしまったちび助の姿に、まだ心臓が騒いでいる。ほんのりと淡い光に照らされた華奢な肩や二の腕のラインは、やけになまめかしくて、衝動的に抱きしめたくなったなんて口が裂けても言えねえが。
 何なんだ、これは…。

「どうぞ」

 大きく息を吸い込みながら扉を開けば、きっちり着物を着込んだちび助は、もういつものちび助で。
 俺はと言えば、さっきこいつが一度だけ京言葉を使っていたことにも、その訛りが現れる理由にも、気付く余裕をなくしていた。

「いったいどうなさったんですか、左之さん?」
「 いや、」

 すっかり涼しい表情のちび助を見下ろしながら、俺ばかりがドキドキしている。濡れた髪の先からぽたり。滴る雫に、思わず手を伸ばしそうになる。

「開いたかと思ったら突然扉を閉じられるんで、驚きましたよ」
「悪いな…つい」
「男同士なんですから遠慮しないで下さい」
「だな。………」
「はい」

 あたふたしているのは俺だけ、か。
 淡泊すぎるちび助の態度にホッとするような、残念なような、不思議な気分だった。



何かの間いであってくれ

一瞬あいつが女に見えちまったのは俺の願望の現れか?
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