命短し恋せよぼくら | ナノ


恋の病、発病しました

 誰もいない平隊士の部屋で、乱れた髪を手早く結い直す。汗を拭い着替えた私は、浅葱の羽織を引っ掛け慌てて原田さんの元へと向かった。
 たまたま今は一人きりだったけれど、入隊したばかりの新入りにまさか個室が与えられる訳もなく、今日から私はこの部屋で数名の隊士たちと四六時中ともに過ごすのだ――男として。

「私、やっぱりアホだ……」

 本当に大丈夫だろうか?
 堂々と背筋を伸ばして京の町を闊歩する浅葱羽織の男たちに見劣りせぬよう胸を張る。原田さんの後を出来るだけ無表情で追いかけてはいるけれど、心の内はかなり複雑だ。

「ん……?どうした、ちび助。浮かねえ顔して」

 ほら、こんなにもあっさり動揺を見抜かれている。

「何でもありません、原田組長」
「あ―…総司にやられたばっかでへばってんのか。そりゃ無理もねえな」

 今更だけれど、私はなんて考えなしにとんでもない場所へ飛び込んでしまったのだろう。跳んで火に入る夏の虫よりも数段浅はかな自分の行動に頭を抱えたい気分になっていた。

「いえ。大丈夫です、原田組長」

 その言葉を聞きながら原田さんはふっと柔らかく破顔して、大きな身体を少しだけ屈めると私と視線を合わせる。もともと整った顔立ちだとは一目見たときから感じていたけれど、近くで見れば見るほどきれいな顔だ、と思った。

「無理すんなよ。俺らだって総司くらいの奴と立ち合えば精魂抜かれちまう気ィすんだ。ちび助ならなおのこと」
「いえ。本当に大丈夫ですから、組長」

 よほど眉間に皺が寄っていたのか、原田さんはますます私の方へ顔を近付けると、額をぴんと弾いた。いつもは鋭い瞳がすうっとやわらいで、その瞬間に何故か、弾かれた額よりも胸の奥のほうがぐっと痛む。
 なんだろう、この感覚。

「その"組長"っつうの、やめねえか。えらくヤクザ者みてえで」

 ちょっとなァ…。呟く原田さんに向かって誰かが「ヤクザ者には違いないですけどね」と揶揄する声が聞こえ、周囲の皆がどっと湧いた。

「では、何と申し上げれば」
「そうだなァ……左之助」
「……………」
「ほら、試しに呼んでみろ」
「いやいやいや、無理です!」

 絶対ムリ。だって、いまだかつて男性を名前で呼び捨てで呼んだことなど一度もない私なのだ。そんな花も恥じらううら若き乙女をつかまえて――って、私はいま男なんだった。

「なんだァ?入隊初日から組長命令を聞かねぇつもりか?」
「………っ!」

 目を白黒させてぱくぱくしている私を見下ろしたまま、原田さんはくつくつと楽しげに笑っている。

「冗談だよ、冗談!」
「………」
「入隊したての平隊士に名前を呼び捨てなんざさせる訳ねぇだろうが」

 からかわれたのだと気が付いて近くにある端正な顔を睨みあげれば、原田さんは笑いすぎて眼の端に涙をためていた。

「わりい、わりぃ。お前見てると、つい…な」
「な…!」
「でも、そうやって感情を露わにしてたほうが人間らしくてずっといいんじゃねえか?」

 その声が優しくて、子供をあやすようにぽふぽふと叩かれた頭が擽ったくて、ゆるみそうな口許を引き締める。さっきよりもっと胸が痛い。だから照れ隠しに、怒ったふりをして声を張り上げた。

「組長!」
「だからその呼び名をやめろって言ってんだ、俺は」
「では、原田さん!」
「硬ぇなァ」
「…左之助さん」
「長いだろ」
「……左之…さん?」

 私がそう呼べば原田さんは満足げに大きく頷いて、さっき結い直したばかりの髪をくしゃくしゃと掻き交ぜる。

「悪くねえな」
「………」
「次からそう呼べよ?」
「はい。左之さん」

 何事もない顔をして名を呼びながら、咽喉の奥が締め付けられそうな感覚に翻弄されていた――





 ちび助が屯所に来てから、明らかに自分のなかで動き始めている感情には身に覚えがある。この気持ちをなんと呼ぶのか、俺は知っていた。
 よく、知っている。
 けれど――

「俺にはそういう趣向はねえはずなんだがなァ」

 でかい図体を持て余すように原田は首を傾げる。夕暮れの陽の色に照らされた屯所の中庭で、視線の先には箒を持つちび助の姿。
 全く、よく働く奴だ。朝は誰よりも早く起き出して、当番だろうがなかろうが勝手場の手伝いをしているようだし、夜も風呂の湯を落とす直前に湯浴みしては清掃を済ませてくれる。かと言って稽古の手を抜くこともなく、その他の隊務を怠ることもない。
 涼しい表情で万事そつなくやりこなす手腕は、土方さんの覚えがめでたいのも頷ける。

「あいつは何者なんだ?」

 この感情が俺のよく知るものだとして、だけど自分にはそんな性癖も趣味もないとするなら、こんなに気になって仕方ないのは何故だろう。
 理由を探るための観察だ、と自らに言い訳をしてごまかして。それでもずっと見つめていたいと思う。観察などではなく、見ていたいだけなのだ。その欲求を自覚している時点で、紛れもなくそういうことなのではないか?
 浮かんだ自分の考えにぶるぶるっと頭を振る原田の背後から、悪戯っぽい総司の声が聞こえた。

「またあの子の観察?」
「そんなんじゃねえよ、ただの夕涼みだ」
「へぇー…、あの子の姿がよく見える所でねえ」
「バーカ。偶然だろうが、偶然」
「そうやって取り繕うように同じ言葉を二回繰り返すところが怪しいよね」

 くそ。新八なら簡単に騙せたんだろうが、相手が総司となるとそうも行かない。こういう人の心情的な機微にかけては特に鋭い男だから。腹をくくる訳じゃねえが、勢いつけて大きく息を吐き出すと俺は言葉を続けた。

「………朝から晩までよく頑張る奴だなあ、と思ってよ」
「たしかに、そうだね」
「最初はあんな細っこい身体で新選組隊士なんて本当に務まんのかって心配してたんだが」
「僕らの杞憂だったみたいだね」
「…ああ」
「それで、女誑しの左之さんもうっかり男の子にやられちゃったって訳だ」

 バカ!と力任せに総司を小突きながら、やっぱりそうなのかもしれないと何処かで納得している。
 あいつは無表情を無理して作っている気がして目がはなせない。表情の綻ぶ瞬間をひとつも見逃したくないと思う。
 庭を箒で掃く規則的な音が、しずかに続いていた。

「ま、仕方がないんじゃないの?人間ってのはギャップに弱い生き物らしいし」
「ぎゃっ…ぷ?なんだ、そりゃ」
「西洋の言葉で、食い違いのことらしいよ。僕らはあの子に予想を裏切られたってこと。それで左之さんは堕ちちゃったんだよ」

 いい意味で予想を裏切られたというのなら、たしかにそのとおりだ。
 けど、でも俺は。正常な感覚を持った成人男子のはず、少なくとも今まではそうだった。今だって、好みの女を見れば抱きたいと思う。人並みの性欲を持ち合わせた、ごく普通の男で。その感情が同性に向かうなんて有り得ない。
 たぶん――

「ったく、そんなんじゃねえって」
「違う違うって自分に言い聞かせてるようにしか見えないけどなァ、いまの左之さん」
「総司の 勘 違 い だ!」
「はいはい。そういうことにしておいてあげるよ、今は…ね」

 くそ、こいつはなんで。
 脳内で巡り続けている言葉を決してこれ以上浮かび上がらせないよう、深くふかく息を吸い込む。視線を泳がせれば、夕陽を受けるちび助と眼が合って。
 橙色の暖かい光に染まったせいか、いつもよりやわらいで見えるその顔に 心臓がまた どくりと騒いだ。



の病、発病しました

ふたりとも頬染めちゃって、全く何やってんだか…
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