命短し恋せよぼくら | ナノ


これが幸せってやつかもね

「最後に、これだけは言わせてくれないかね」そう言ってゆっくり息を吐き出した松本先生の顔を、幹部連揃って息をつめたまま見つめる。

「彼女は言い訳も口止めもしなかったよ。ただの一言も、だ」
「………」
「その意味と想いだけは汲んでやってくれないか。私に免じて」

 言い残して立ち去る先生の背を見送り、室内はしばしの静寂に包まれた。
 まるで頭でも殴られたかのような顔をしている新八に、目を見開いて硬直している平助。総司や斎藤は割合平然としているが、既に感じ取っていたのかもしれない。
 そりゃそうだよな、あいつはあんなに綺麗なんだ。気付いたのが俺だけのワケねえか。ふう、と原田がため息をついたのをきっかけに、皆がざわざわと騒ぎはじめた。

「エェエエエ!?あいつオン、ナ…ッ痛ぇ!何すんだよ左之さん」
「声がデケェぞ平助っ」
「まあ、僕は薄々そうじゃないかと思ってたけど、ね?一くん」
「そうだな。確信はなかったが」
「左之さんはとっくに気づいてたんでしょ」
「……う」
「というか、僕は左之さんの態度で気付いたようなモンだし」

 にやにやと悪戯な笑みを浮かべる総司を睨み付けるが、一向に懲りた様子はない。

「やっぱ酔ってやたら綺麗に見えたのは気のせいじゃなかったんだ」
「つうか俺、知らずにこの前風呂覗いちまったじゃねえか…」
「新八っつあん、最低」

 勝手に盛り上がったり盛り下がったりしているバカ二人は放っておくとして、決して笑って流せる状況でないことだけは確かだった。
 こんな形であいつの真実が皆に伝わるくらいなら、さっさと土方さんに相談しておくのだったと原田は舌打ちをする。それが順当な筋だと頭では分かっていたのに、自分の内に秘めた。俺の勝手な我欲のせいで、ちび助はいま危険な立場にあるのだ。今さらいくら悔やんでも悔やみきれない。

「で、どうする近藤さん」
「……は?何か言ったかトシ」
「おいおい しっかりしてくれよ」
「近藤さん、まだ事態を把握しきれてないんじゃないですか?」

 僕が再度説明しましょうか、とつづける総司に土方さんが頷く。

「近藤さん よく聞いて下さいね」
「あ、ああ…なんだ総司」
「僕らが一緒に戦ってきた十番組隊士のあの子。通称ちび助は、実は男ではなく女の子だったんですよ」
「………」
「ダメだ。土方さんどうします?」
「ほっとけ」
「情や背景を度外視するのであれば、局中法度にかけて切腹して頂くのが正しい処遇なのでしょうがね」

 やわらかい微笑みを浮かべた山南さんが、表情とは裏腹の恐ろしい台詞を口にした。やっぱりそんな話になるよな。分かっちゃいたんだが。ぐ、と眉間にシワをよせれば、俺の気持ちを見透かしたように山南さんが続けた。

「性別の隠匿を理由に、切腹を強要するつもりはありませんよ?京の治安を守るために組織された私たちが、無益な殺生をするわけにはまいりませんのでね」

 やわらかい物腰だからこそ、なおさら恐ろしくひびいた。とにかく幹部以外の者に彼女の性別がバレるのはまずい。男女の別を見抜けず入隊を許した時点で、新選組の入隊審査の甘さは知れている。則ち、人員拡大路線のなかで彼女以外にも、どこの馬の骨ともわからぬ輩が隊士に混じっている可能性が高いということだ。男ばかりの中に女性が一人交じっている。そんな事実が発覚すれば、風評も含め、組織の内部分裂にも発展しかねない。
 それを防ぐために厳しすぎる戒律をしき、戦死者とかわらぬ数のものが規律違反による切腹で命を絶ってきたというのに、ここにきて「特例を許してくれ」と願う方が無理な話なのだ。そう思って原田はふたたび深いため息をこぼした。

「ずいぶんデケェため息じゃねえか」
「土方さん、わりぃ」
「まあ、今は近藤さんがあんな調子で使いモンにならねぇ」
「…だな」
「時間を置いて晩に内々の緊急幹部会を召集し査問を行う。それまで皆くれぐれも他言無用で頼む」

 各自 考えをまとめておけ、解散!そう告げる土方さんの声で重い腰を上げたが、原田の胸の内は鉛でも飲み込んだように重たかった。





「起きてるか…ちび助」

 廊下から聞こえる原田さんの低い声で、ゆるやかに眠りの淵から引きはがされた。どれくらい寝ていたのだろう、障子越しに橙色に染まった夕陽が透ける。

「左之、さん」
「おう」

 ああ、いつもと変わらない優しい声だ。事情を知ってもこの人は変わらず接してくれるのか、と思ったら鼻の奥がツンとした。

「まだ具合わりぃのか」
「いえ。どうぞ」

 寝乱れた胸元を掻き合わせて起き上がる。松本先生の配慮で個室に移された私は、胸を圧迫するさらしを全て解いていた。無防備な身体が心細い。

「入るぞ」

 二人きりになったことなどこれまで何度もあるのに、初めて男と女として対峙するのが怖くて。スッと開いた障子の足元に視線をおとせば、剥き出しの足の甲が目に入る。もう開き直るしか術はないのに、後ろめたさや恐怖や抑えてきた慕情がないまぜになって胸を迫り上げて、とても原田さんの顔を見られなかった。
 今どきどきしているのは、死の宣告を控えた咎人としてなのか、もっと別の理由なのか、自分でももうよく分からない。

「松本先生は」
「さっき帰ってったぜ」
「そう、ですか」
「ああ……」

 きっと皆の耳に、もう私の真実は入っているのだろう。原田さんが何も言わないのが、その証拠だと思った。もしかしたら今後の処遇も既に決定されて、その報告を伝えあぐねているのかもしれない、彼は優しい人だから。

 気の遠くなるような沈黙がしばらく部屋を満たした。互いの呼吸音だけがしずかにひびく。どちらも、口を開こうとしては息を飲み、また口を開こうとしては息をのむ。
 それが何度か繰り返された頃、布団の上で組んだ手を原田さんの大きなてのひらがそっと包んだ。そうされるまで、自分がいつの間にか爪の食い込むほど拳を握りしめていたことに気づかなかった。

「ごめんな」
「左之さんが謝ることは何も」

「いや、謝らせてくれ」という声が耳のすぐそばで聞こえて肩を強張らせた。あっという間に、背中から原田さんの広い胸に包まれていた。

「なぜ、謝るんですか」
「気付いてたんだ」
「え……」
「ずいぶん前から、な」
「気付いてて守ってやれなかった」
「自分で、飛び込んだんですから」

 腰にまわる腕がぎゅうっ、と力を強める。原田さんが喋るたび、ふるえる息が首筋を撫でている。

「お前ならそう言うと思って、見守ってる内にこんな事になっちまった」
「全て、覚悟の上です」

 左之さんのせいでも誰のせいでもありませんよ。言いながら肩越しに振り向いた瞬間、不意打ちで唇を一瞬なにかが掠めた。あまく軽く噛むように。

 いまの、なに…――

 温かく柔らかいものだった。慣れないその感触に驚いてぽかんとしたまま原田さんを見あげれば、端正な顔立ちが切なげに歪む。何ともつやっぽい表情に見蕩れていたら、激しく唇を奪われた。何度もなんども。
 熱い吐息がくちびるのすき間から忍び入る。息ができなかった。喰らいつくされるのではないかと思った。喰らいつくされたいと思った。
 苦しさに藻掻く手で彼の首筋に縋り付く。止まらない口付けに噎せそうで苦しくて、苦しくて。まるでくちびるから魂が吸い取られてしまいそうに苦しいのに幸せで。幸せで堪らなくて。勝手に涙があふれだす。
 鼓動は数え切れないほど打ちつづけて、頭の芯が真っ白にしびれる。体から力が抜けてゆく。不謹慎だけど、このまま死んでもいいと思った。この人のことが死ぬほど好きだと思った。死ぬほど好きだった。

「やっぱり柔らけぇな」
「左之…さ」
「どこも、かしこも」

 女なんだなァ。しみじみ呟いて、硬い指先が頬を撫でた。原田さんがあんまりにも切なそうに眉を顰めるものだから、そんな顔をさせているのは自分なのだと思えば胸の奥が軋んだ。全部、考えなしにここへ飛び込んだ自分のせいなのだ。

「…すみません」
「なんでお前が謝るんだ」
「だって」
「元はと言やぁ、女にここまでの覚悟させなきゃならねえ時代のまま放置してる俺達の責任だろうが」

 コツンと額を合わせ、優しい表情で瞳を覗き込んだ原田さんが、私のくちびるを左右に持ち上げる。無骨であたたかい指先。この人に会えたから、それだけで私は…――

「そんな顔すんな」
「…どんな、顔ですか」
「笑ってんのに今にも泣き崩れそうじゃねえか、ったく」

 顎を掬われて、ふたたび唇に熱が押し付けられる。そんなことをされたらもっと泣きそうなのに。

「あんまり心配すんじゃねえよ。俺がどうとでもしてやる。根回しでも説得でも、何なら皆を裏切ってお前を連れ出してもいい」
「…いえ、甘える訳には」
「俺がやりたくてやるんだ、黙って甘えとけ」

 やさしく諭すような声と、あやすように頭を撫でつづけるてのひらに、涙の止まらないまま黙って頷いた。





 案の定、その晩の幹部会議は荒れ模様だった。

「とにかく、このまま女を此処に置いとく訳に行かねぇだろ」
「でもよー土方さん、今まで仲間だった奴を今さら追い出すのか?」
「だけど新八っつぁん、その仲間だと思ってた奴は俺たちをずーっと騙してたんだぜ?」

 土方さんと新八、平助のこの言葉はここしばらくの原田の頭のなかそのもの。だけどいくら論争を繰り返したところで、やっぱり最終的にはちび助への好意に着地するのだ。でも、今話し合うべきは感情論ではなく、もっと具体的な…――

「屯所に置いておけないのでしたら、特別任務を負わせて…そうですね例えば密偵などの形で外へ出すのはどうでしょうか」
「駄目だな、その役は荷が重すぎんだろ」

 山南さんの意見を、土方さんが一蹴する。

「全てを丸く納めるには局中法度に従うしかないんじゃないの?」
「総司…それは」
「嫌だなあ、一くん。僕だって好きでこんなこと言ってる訳じゃないよ」

 部屋の隅に座り込んだちび助は先程からすっかり身を固くしていた。

「お前自身、何か言っておくことはないのか?」
「いいえ。私は…皆さんの決定に従うだけです」

 きっぱりと告げながら、声がふるえているのが痛々しい。

「土方さん、俺から一ついいか」
「なんだ、左之」
「こいつを何らかの理由つけて外に出すとして、だ。新選組にいたこと、実は女であることがどこからか漏れないとも限らねえ」
「まあ、な」
「…つまり、性別を偽ったまま外へ出しちまえば狙われる確率が高えってことだよな」
「仕方ねえが、そうなるだろうな」
「ならいっそのこと屯所に残して、勝手言って俺の小姓にする手も考えたんだが」
「そうなりゃ今後もこいつの身体的負担は変わらねえじゃねえか」

 第一いつ秘密がバレるかの保障も全くねえんだぞ。続く土方さんの言葉は尤もだ。

「それで、だ」ちび助の傍に寄るとふるえる手を握りしめる。不安げな顔が俺を見上げた。

「こいつにはやっぱり、女に戻って欲しいと思う」
「左之さんならそう言うと僕は思ってたよ」
「似合いの二人だと、俺も思う」
「ちょうど病気で寝込んだ事になってるんだから、それを理由に里下がりしたことにしちゃえばいいんじゃないの?」
「いい案だ」

 総司と斎藤の言葉で、ちび助の手を引いたまま一歩前へ進み出る。

「この先、俺が面倒見てやりてえんだよ。こいつが死ぬまで、な。もしそれが局中法度に抵触するってんなら、そん時は…」
「ちょ、ちょっと待て待て 左之!お前、そりゃー…」

 土方さんが言葉を挟もうとした瞬間、これまでずっと沈黙を守りつづけていた近藤さんが勢いよく立ち上がった。


「よし!祝言の準備だ!」


これがせってやつかもね
いやいや近藤さん そりゃ気が早ぇよ

2010.02.01
ながらくのお付き合い、ありがとうございました
気に入ってくださったら是非[clap]
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