命短し恋せよぼくら | ナノ


知らないふりは止めにしよう

 原田が自らの血迷った妄想に確信をえたのは、二度目に島原へいった帰りだった。酔って上機嫌の新八と平助の背を見ながら歩くふたりの道。

「やっぱ俺 酔ってるわ。飲むたび ちび助がやたら綺麗に見えんだよなァ」
「まぁた言ってんのか、平助」
「左之さんもそう思わねえ?」

 本気とも冗談とも知れぬ平助のセリフに「バーカ」とかえした直後のこと。隣のちび助にちょいちょいと手招きされて、原田は何事かと身を屈めた。

「左之さん」
「ん?」
「もしかして、なんですが」
「ああ」
「あくまでも、もしかしての仮定の話ですよ」
「何だよ勿体振って」
「わた…オレが、もし女だったらどうしますか」

 女だったらどうしますか――

 唐突なちび助の問いかけがやけに切迫してひびく。見下ろした顔は、並の女よりずっと綺麗に透き通っていた。

「どうした。酔ってんのかァ?」
「ま、まさか!」

 ただの可能性の話です、忘れてください。そう続ける声が切ないくらい細くて。撫でた頭が不自然に揺れるものだから、俺は。俺は…。

「惚れちまうかもなァ」

 言っちまった。
 うっかり本音をもらして焦っている俺よりも、ずっと焦った表情のちび助は頬をみるみる染めてゆく。

「いや、間違いなく惚れるな」

 むしろ既に惚れている、と。どれほどまでに伝えたいか分からなくて、だけど伝える訳にはいかなくて。鳩尾の裏側がじりじりと焦げるような、分厚い布越しに痒いところを引っ掻いているようなもどかしさが堪らない。

「お前は、どうだ」
「え」
「もし、お前が女だったなら」
「あ…の……」

 戸惑って口ごもったまま動かないちび助の耳元で、初めて下の名を呼んだ。愛しい女の名を呼ぶように。低く。睦言のようにあまく。

「…っ!」

 呼ばれ慣れていない自分の名ひとつで、ちび助は大きく肩をゆらす。わずかにもれた吐息は、いままで聞いたどんな女の嬌声よりも心をゆさぶる。

 こいつは、やっぱり――

 だとしたら、なぜ?
 妄想の行き着く先は、いつもこの問いだった。
 ひとつを選べば、ほかのものは全て捨てなくてはならない。なにも選ばなければ、そこには多くの可能性があるが、ひとつとして得られない。こいつの覚悟は、そういう類のものだ。
 わざわざ自らを偽ってこいつがここに、俺たちの新選組にいる意味を思えば、なおのこと軽々しく話題にはできないではないか。

「なぁんてな」

 今はまだ、なにも気付かない良い上官のフリをするしかないではないか。

「ドキッとしたろ?」
「ふ、ふざけないで下さい」

 わざとふざけた声を出して、自分の心もこいつの揺らぎもごまかしてやることしかできない。今の、俺には。

「悪ィわりぃ」

 だからせめて、あの日のようにまたそっと手を繋いで。
 いつの間にかずいぶん先へと離れてしまった新八たちのことなど忘れて。本当はこのまま二人、月夜の散歩を続けていたかった。なにも語らないまま指を絡めて、ずっと。ずっと。





 夕刻になると風の勢いが凪いで、やがてしずかな夜がやってくる。べっとりと墨でもぶちまけて黒く塗りつぶしたような真っ暗な闇のなか、月と星の明かりだけが光を放つ。
 あまりに夜空がきれいで、たまには明かりをおとしたまま残り湯に浸かってみようとの思いつきがおそろしい間違いだったと私が気付くのは、それからすぐのこと。

 脱衣所がなにやら騒がしい、と眉をひそめた直後、いきなり浴場の戸がガラガラと音をたてて、ぼうっと行灯の明かりが部屋内に入り込む。下から照らされた永倉さんの顔が闇のなかで不気味に浮かびあがるのを見たときの私の驚きっぷりがわかるだろうか。
 単純な怪奇現象的怖さと秘密が露見する怖さとが相まって、思わず叫びがもれそうな口を必死で塞いだ。

「な、なんですか!?」
「真っ暗なのに、風呂に気配感じたからよ。来てみた」

 来てみたってあなた、すっかり裸じゃないですか。真っ裸って、一緒に入る気満々じゃないですか。いやいやいや、永倉さんそれはちょっと待ってください。

「もう湯を落とす所なんですが」
「男同士なんだからたまには一緒に入るのもいいじゃねえか」

 だからアカンて!いや、あなたは良くても私がアカンねん。ほんま勘弁してください。

 だいたいあなたは私にとっての入浴時間の存在意義を何と心得ていらっしゃるんですか。私はそれこそ目が覚めてから寝るまで四六時中ずっと気を張り詰めっぱなし、用を足すのもひと苦労、寝ているときでさえ気が抜けず、おまけに身体はぎゅうぎゅう押さえ付け放題。唯一、このわずかな時間だけが身も心も完全に解放される至福のひとときなんですよ。それを無意識で邪魔しようなんて、三回くらい殺されたうえに末代まで祟られてもしかたないほど業の深い罪だと気づいていますか。気づいてるわけないですよね。だって永倉さんだもんね。

 これだけ暗ければ、もしかしたら極端に近づかない限りバレないかもしれない。相手が原田さんや沖田さんなら危険な賭けでも、永倉さんなら大丈夫ではないか?一瞬、甘い考えが過ぎった。
 でも、それでは服を身に着けるときにどうする。さらしを解いた私の身体はどう見ても女のそれだ。いくら早業で着替えたとしても隠しようがない。
 どうしよう。いったいどうしたら良いのだろう、助けて下さい八百万の神様。

「邪魔するぜ」
「ダメです!」
「は?」

 ひとまず否定したものの、永倉さんに納得して貰えるようなうまい言い訳が浮かばない。その間にも彼はじりじりと無遠慮に歩みを進める。距離がすこしずつ近くなれば余計に焦りが先立って、頭のなかは真っ白だ。

「ダ、ダメです絶対。“男子たるもの風呂には必ず一人で入るべし”というのがうちの家訓なんです。死んだ祖父の遺言なんです!守らなければ祖父が化けて出ます」

 気が動転しすぎてわけの解らない理由を口走る。何を言ってるの私、もっとマシな理由思いつくだろう普通。

 終わった。
 なにもかも終わったよ、これ。

 湯舟に半分沈みそうになりながら頭を抱えていたら、やけにあっさりした永倉さんの声が聞こえた。

「分かった!」
「へ…?」
「爺ちゃんの遺言じゃ仕方ねえな」

 湯冷めすんなよ。と男前な台詞を残して、永倉さんがこちらに背をむける。やがて開け放されていた浴場の扉がガラガラと閉まった。

 え。あれで納得?
 一隊を率いる組長がそんなことでいいのか、永倉さん。いや私はものすごく助かったけど。手前勝手な意味で好感度急上昇だけど。

「よ、よかった…」

 まさか、さっきのめちゃくちゃな屁理屈を鵜呑みにしてもらえるとは思わなかった。永倉さんは本当に予測不能だ。あれで案外学があるというのだから、世の中は面白いものだと思う。
 やがて脱衣所も静かになり、やっとホッとしたら、いったん裸になった永倉さんがどんな気分でふたたび服を身につけたのかと思いうかべて、申し訳ないけれど笑えた。
 とりあえず今日の一難は去った。私は今日も、まだ生きています。元気です。





 明かりも燈さぬ暗闇で、原田はひとり寝転んで月をみていた。こうして一人になれば、思い浮かぶのはちび助のことばかりだ。
 いつまでもこのまま気付かぬフリは出来ないという新選組幹部としての良識と、ずっと見守ってやりたいという一人の人間としての庇護心との狭間で葛藤するのも幾夜目だろうか。さらにそこへ男としての思慕の情までが絡まってくるものだから、ますます葛藤は複雑にもつれてゆく。

「いつかは土方さんにも言わねえ訳にはいかねえよなァ」

 苦渋の思いでため息をこぼしたそのとき。

「何を言わねえと、って?」

 脳天気な声が聞こえ、しずかな逡巡の時間にどたどたと無遠慮な足音が割り入った。

「新八か。いや、何でもねえよ」

 正直、ホッとした。これが総司や斎藤なら、さっきの呟きでも寸分違わず俺の秘め事を把握しちまうだろうから。

「ところで、どうした」
「いやな。さっき風呂に入ろうとしたら真っ暗な浴場に一人ぼっちでちび助がいてよ」

 ホッとしたばかりなのに、新八のその台詞でにわかに血が上りはじめる。これは、嫉妬だろうか。
 もしかしたら、新八にもあいつの秘密がバレたのかもしれないことよりも、俺の知らないあいつの姿を新八は見たのかと思えば胸が掻きむしられる。

「一緒に、入ったのか!?」
「ちょ、左之。どうした?」
「どうなんだ!」

 余程ムキになっていたのだろう。詰め寄る俺に心底不思議そうな顔をむけて、「俺も一緒に入りたかったんだけどよォ」と新八は切り出した。

「ああ」
「風呂は一人で入れと死んだ爺ちゃんの遺言らしいぞ。断られた」

 死んだ爺さんの遺言って。そんな言い訳を引っ張りだす方も相当だが、信じる方も信じる方だ。まあ新八にしか通用しねえだろうが。

「お前それ本気にしたのか」
「違うのか?」
「いや、まあ……いいわ。気にすんな、忘れてくれ」

 今回は新八のアホさと鈍さ(敬意をもって天真爛漫さと言い換えよう)に救われたな、俺もちび助も。
 笑顔で次の話題にうつる新八をみながら、原田は人知れずホッと胸を撫で下ろした。





「今日は隊士の健康診断と身体測定のために、松本先生が来られる」

 各自準備しておけ、と土方さんから発表があったのは、浴場での一件の数日後のことだった。
 一難去ってまた一難、というのはまさにこれ。身体検査などされれば、性別がばれるのは確実ではないか。それ以前に、数人ずつが同時に入室する過程でこれまで必死に隠してきた秘密はあっけなく露見する。上半身裸になるなんて到底私にはできないのだから。また神様に試されている。まずい。

 ない知恵を搾りに搾ったすえ、具合の悪いフリを装い、寝込むことで身体検査回避には成功した。仮病である。

「そうか、それは仕方ないな」
「申し訳ありません」
「だったら、せっかく松本先生が来られてるんだから診察してもらえ」

 体調が悪いのだろう?近藤さんにそう言われては、これ以上拒む訳にはいかない。せっかく身体検査は逃げおおせたというのに、渋々自室で応診をうけることになってしまった。

 もう、だめだ。
 今度こそ終わりです、明日の私さようなら。


 松本先生の診察を終えた私は、当然彼に性別がバレてしまったわけで。口止めをお願いするなど恐れ多くてとてもできない。思慮深い方なので、幹部の皆さんへどのような報告をなさるのか、あるいはなさらないのかも分からない。
 とにかく、大きく未来が変わるだろうという予想が立つだけだ。規律違反は切腹が当たり前の新選組に属しながら、これだけの長い間皆を故意に謀ってきたのだ。悪意ではないとは言え、さして良いようには転ばないだろう。

 明日の我が身を覚悟して開き直っているうちに、私は深い眠りに落ちていた。日ごろの睡眠不足を解消できるのが、命を失うかもしれない前日だと思うとちょっと笑える。


「ちび助、と呼ばれているあの子のことだが」
「どこか悪いんですか」
「いや。ただ………皆、あの子の身体をもっと気遣かってやってくれ」


 松本先生の意味深発言が、私の預かり知らぬところで幹部連に波紋をよんでいたことなんて知りもせずに。
 夢を、みていた。


知らないふりはめにしよう
それはひどく幸せな夢でした。
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