青い球体と双魚の産声

「観察=継続的に見ていたい」感じ。
 告げられた彼女の言葉に、忍足は胸をさわがせた。最初に「観察対象だ」と言われたときには落胆したが、よく考えればそもそも観察したいとは、見ていたい、気になる=興味があるということ。
『気になる→目で追う→恋に落ちる』の恋愛王道三段階の真っ只中なんちゃうの。恋に落ちる手前にいてるんちゃうの。

「ほな、桃城は?」
「彼はそもそも隣の席なので観察の意図ナシでも勝手に目に入ってきますから。でも、なかなか面白いですよ」
「観察対象?」
「充分観察に値しますね。未知のポテンシャルを秘めてます」

「そら 要注意やな」頷きながら ぬるくなったコーヒーを啜る。胸の内側がじりじりと鈍く焦げている。桃城のことなど聞かなければ良かった、と後悔した。ほんまアホやなあ、俺。
 こういう時はさっさと話題を変えるに限るで、と きれいな仕草で崩されていくタルトを見つめる。ちいさな欠片が、つやつやした唇にまたひとつ吸い込まれて消えた。


「関東大会応援にきてや」
「青学以外との対戦なら」
「ほなまたメールするわ」

「ラミネート禁止ですよ!」と笑う彼女に「アホか」と突っ込んだ。





『今日はありがとうございました。言いそびれましたが、私週明けからテニス部のマネージャーやります』

 送信、と。
 ピッ。無機質な機械音とともにメールが忍足さんへ飛んでゆく。届いたか届いてないか分からない内、つまりめちゃくちゃ早く、携帯が鳴った。忍足さん返信早っ!即レスすぎだし。
 手からはなしたばかりの携帯を持ち上げてボタンを押し、た…あれ?メールじゃない。通話口から「もしもし」って低い声が聞こえる。

「はい、もしもし」
「忍足やけど」
「分かってます」
「いまええか?」

「はい」と返しながら電話ごしに届く声って、空気を介して伝わるのとはまた違って聞こえる、と思った。
 忍足さんやっぱりいい声。耳に直接ひびくとなおさら実感させられる。

「マネージャーやるん?」
「はい」
「青学の?」
「青学生ですから」
「男テニか」
「はい」

 忍足さんが通話口のむこうで「ほんまかいな」ってベタな関西芸人みたいな台詞を呟くのが聞こえた。

「いきなり電話してごめんな」
「いえ。びっくりしましたけど」
「俺の方がもっとびっくりしたっちゅうねん!」
「そう、ですか?」
「せや。自分テニスやったことあるんやなあ」

 やっていた、なんて天下の氷帝テニス部正レギュラーさんに向かって言って良いのか分からない程度だけど。従兄弟に付き合わされた、ただの子供のお遊びテニスだし。

「一応、かるく」
「知らんかったわ」
「自分でも忘れてたレベルですよ」

 そういえば雅兄(フルネームを仁王雅治という)元気にしてるのかな、彼も観察対象としてはなかなか面白い人間だったな。呑気に考えていた私は、まさかわずか数週間の内にあんな形で雅兄に再会することになるとは思いもしなかった。

「桃し……」
「え?」
「…いや、何でもあらへん」

 一瞬。ほんの一瞬忍足さんの声のトーンが低く沈んで、数秒間の無音が訪れる。自分の言葉で傷ついたみたいに。

「驚かせてすみません」
「謝ることちゃうけどな」
「ですよねー」
「なんやねんこの子腹立つわ」
「よく言われます」
「嘘、やで…」
「知ってます」

 機械のむこうで、忍足さんがふっと笑う気配を感じた。

「一つ聞いてもいいですか?」
「なんやねん、何でもええで」
「昼間の伊達眼鏡はいつものですか」
「ちゃう!プライベート用や」
「いまは?」
「自宅用の逸品かけとるでー」

 写メ送ったろか?とつづく台詞に丁重なお断りをしながら笑った。
 やっといつもの忍足さんのトーンに戻ったみたいだ。先程低く口ごもったことには、気づかなかったフリをしよう。

「ほな、おやすみ」
「おやすみなさい」

 切り際の「ええ夢みてな」という声が、やけに甘ったるく耳に残った。





 見学にきたあの日、気楽に黙って見ていればいいからと言ったのにグラウンドを周回して戻ってきたら、彼女はコート整備も球の準備もすっかり完了していた。

「走ってるの眺めても仕方ないし、手持ち無沙汰だったもので」

 出すぎた真似をして申し訳ありません、と頭を下げる彼女に珍しく手塚部長が顔を綻ばせる。

「いや、構わない。むしろ助かる」

 レギュラーがストローク練習をしている間に球拾いもドリンクやタオルの準備も素早くすませて、何でもないことのように彼女はにこにこと笑っていた。

「本当にマネージャーの経験はないのか?」
「ずぶの初心者です」

 手塚部長も唸るほどの有能っぷりに、連れてきた桃城自身びっくりする。見学だけのつもりだったから制服のスカートのまま、ってのが見ている俺としては多少ひやひやするけどな。さっきから別の部員たちもチラチラ彼女を見ている。彼女の脚は文句のつけようがなく美しい。

 その後 聞けば、彼女はテーピングやマッサージに加えて簡単な医療処置の知識まで多少はかじっているというのだ。俺は2年も同じクラスにいて、彼女のことを何も知らない。帰宅部で図書委員で、さっぱりした性格で付き合い易いのに外見はかわいくて美脚、ってことしか知らない。ついでに頭も結構いい。あと、下の名前で呼ばれるのが好きじゃない。それだけ。

「何だよあのスーパーウーマンは」
「桃先輩が連れて来たんっスよ」
「越前、お前知ってたのか」
「何となくっスけど」

 練習中にかるい怪我を負った海堂へ迅速な処置をほどこして、あいた時間には球を拾う。不二先輩と菊丸先輩の練習試合のスコアをつけながら、球筋を追う目はきらきらしている。楽しげな彼女の横顔にうっとり見とれた。

「あいつ テニス好きなんだなー」
「そうみたいっスね」

 そんな彼女の能力がどこで培われたものなのか、なんて今の桃城が知るはずもなかった。


 部活の終了間際、桃城は手塚大石の部長副部長コンビにそっと呼び出された。

「なんスか、二人揃って」
「桃城、よくやってくれた」
「へ?」
「彼女のことだよ。仁王さんだっけ。よくあんな子を連れてきてくれた」
「ああ、はい…まあ」

 桃城にしてみれば、多少のエゴにみちたよこしまな気持ちもあって彼女を連れて来たのだから、部長たちに手放しで褒められる資格などない。

「出来ればこのまま入部して貰えないだろうか」
「ぜひ、説得してくれ!」
「そりゃ俺だってそうしたいのはヤマヤマっスけど」
「無理強いはしないがな」
「でも彼女が入ってくれれば予想以上のサポート戦力になることは間違いないからね」

 ちら、と振り返れば彼女はスコアブックを手に乾先輩となにやら会話をしていた。その周りに英二先輩がまとわり付いている。ちゃっかりもう「仁王ちゃん」なんて呼んでるし、「かわいいにゃー」とか言ってるし、ホント馴れ馴れしい。いつもは噛み付きそうに鋭い目付きの海堂も、心なしか表情がやわらかい。気が、する。

「努力は、してみます」

「頼む」「頼んだよ、桃」頭を下げるトップ2を見ながら、俺はとんでもない所に彼女を連れてきてしまったのかも知れない、と思っていた。





 テニス部の練習を見に行って久しぶりにワクワクした。私そういえばテニスを好きだったんだなあ、って思い出した。
 早速、翌週からマネージャーとして入部することにしたと伝えたら桃城くんに「ジャージ着てこいよ!絶対だからな!」とやけに強く言われた。

「やっぱりスカートで見学は非常識だったか、ごめん」
「そういう訳じゃねえけど」

「じゃあ何?」と聞けば「だから!心臓に悪ぃんだよ!バカ」って桃城くんは顔を真っ赤にした。
 なんだそれ。

「もしかして…見えてた?」

 聞きながらスカートの裾をひらりと少しだけ持ち上げたら、飛びかかる勢いで下に引っ張られた。ちょ、スカート破れる。

「見えてねーし!」
「だったら別にいいじゃん」
「見えそうで見えねえ際どさにドキドキす…ばっ!何言わせんだ!」
「言わせてないよ桃城くん」

 それは「自爆」って言うんだよ。ホントかわいいなあ桃城くんは。


 週明けのその晩、予想通り忍足さんからメールが来た。あの人の行動は割合分かりやすい。

『男テニマネージャー初日はどないやった?』

 ああ見えて、彼からのメールはいつも簡潔だ。電話で喋ったのも一度だけだが、イメージに反してさっぱりしている。遊びのない用件だけのビジネスライク、という感じではないのだが、そのバランスは適度だ。こういう所までスマート。きっと彼は頭の回転が速いのだと思う。もしくは、やはり20くらい歳をごまかしている。

『楽しいですよ。テニス大好きなの思い出しました』

 返すメールも大抵シンプル。絵文字は滅多に使わない。人によってはだらだらと何度もメールのやり取りが続いて、中断するタイミングが非常に掴みにくい困ったタイプもいるが、忍足さんとの間ではそういう事もなくて基本楽しい。

『さよか、良かったな。ほなこれから青学レギュラー情報がんがん漏洩してもらわなアカンわ』
『謹んでお断りします』
『冷たいなぁ、俺とキミの仲やん』
『どんな仲ですか、初耳です』
『なんてな。頑張りや!おやすみ』

 頃合いよろしき所で、毎度『おやすみなさい』でオチがつく。もうちょっと話してても良かったなあ、という余韻を残して。
 メールを閉じたあと、忍足さんみたいなタイプはきっと女の子にモテるだろうな、と思った。





 関東大会のトーナメント組み合わせ抽選会場は、神奈川県の立海大附属中学校――昨年の優勝校らしい。手塚部長と大石副部長に連れられて、なぜかマネージャーの私も同行していた。

「日頃の労いも込めてな」
「青学はシードに決まってるから 物見遊山みたいなものだよ」

 二人にそんな風に言われる働きをできているつもりはないが、他人の好意は素直にうける主義だ。もちろん喜んで授業をサボらせてもらった。
 制服姿の彼らの後へつづけば、次々にいろんな学校の人が近づいてくる。「うちの新マネだ」と紹介する部長の後ろで、なんどもお辞儀をした。マネージャー歴の浅い私は、彼らの誰ひとり知らない。強いていえば名前を聞いたことがあるくらい。
 あれが山吹中のラッキー千石さんに南さん、不動峰の橘さん…あ!杏ちゃんのお兄さんか。あと片目隠れてるのが神尾さん。
 顔と名前を一致させるのはどちらかといえば苦手だが、揃いもそろってイケメンばかりなのが救いだ。それでもかなり集中して必死に覚えていたら、背中をペシンと勢いよく叩かれた。
 部長も大石先輩も不意打ちでそんなことをするタイプではないし、だれだ?と思っておそるおそる振り返れば、至近距離にほくろのクローズアップ。
 この口元のほくろは…――

「おまん、何しとるんじゃ」

 そして独特の喋り方は…――

「雅兄!?」
「そうじゃ。久しぶりぜよ。お前さん青学マネか」

 奇遇じゃのう。そう言って子供のころみたいにくしゃくしゃと頭を撫でられて。
 なんで、どうして雅兄がここにいるの?なんでテニスウェア着てラケット持ってるの?なんで銀髪になってるの?疑問ばかりだけれど、それよりも思わぬ再会が嬉しい!と思った瞬間には、雅兄の胸に飛びついていた。

「別嬪さんになったな」
「雅兄も!相変わらず口上手いね」
「ありがとさん」
「褒めてません」

 ぎゅうぎゅうと抱きしめ合っている私たちを見ながら、部長と大石先輩は呆気にとられたように固まっていた。



青い球体と双魚の産声

久しぶりの彼は相変わらず超絶美人サンでした
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