リミットオーバー

 詳細は省くが、そのとき彼女はものすごく困っていた。
 困って困って困り果てて頭を抱えている顔が恐ろしく可愛いので、もっと困らせてやりたい気持ちになるのは当然の摂理だよね。なんて鬼みたいなことを思いながら観察を続けていた及川だったが、彼女が通算10回目のため息を吐き出したタイミングでポロリと口が開いてしまった。条件反射的に。

「分かった」
「え?」
「及川さんが協力してあげよう」

 困っている顔はとても可愛いが、彼女の苦しむ姿は見たくない。
 正確に言うならば、苦しんでいる可愛い姿はいくらでも見ていたいのだが本気で苦しんで欲しい訳ではないので、結局のところいつも救いの手を差しのべてしまうのだ。最終的に助けてしまう。

「あ、りがとう」
「だから、ここにキスしなさい」

 当然の等価交換のつもりでそう言いながら、及川が自分の頬をトントン、と指さしたら意外な返事がかえってきた。不思議な表情と一緒に。

「誰が?」

 誰が、って。
 二人きりのこの場所で、いったい「君」の他にどんな選択肢があるというのだろう。それとも、俺には見えていないだけでこの部屋には俺と彼女以外の第三者が存在しているのだろうか。
 彼女は霊感少女でした、とか、そういうオチはとてつもなく苦手だからやめてほしい。ただ、天然なだけだと思いたい。思わせて。及川さん結構怖がりなんだよ、実は。

「君が」
「え、誰に?」

 良かった。天然だった。ド天然少女なだけだった。
 でも、話の流れ的には全然良くない返事がかえってきたから、がくり、肩の力が抜けた。脱力。

「及川さんに決まってるでしょ」
「え、え、!?」

 君が俺にキスをする。君が、及川さんに。
 そこまで端的に言っても上手く伝わらないような、そんな反応を見せられたりしたら、逆にどうにかしてやりたくなるものだって、知らないの。

「それくらいの報酬あってもいいと思うんだけど」
「でも、私そんなことしたことないし」
「そんな大袈裟なモンじゃなくてさ」
「キス、でしょう?大袈裟です。大問題」
「だからそんなんじゃなくて。もっと軽い」
「分かりません」

 頑なになればなるほど、落としたくなるものだって君は知らないの。

「よくやるじゃない。可愛い仔猫を捕まえてチュ、とか。好きな子のこと思い浮かべながら枕にチュ、とかそんなノリでいいから」
「え…」
「え?」
「そんなことやらない」
「……」
「私やったこと、ないです」
「………」
「皆もなかなかしないと思います」

 可哀想なモンを見るような視線で、次々に繰り出される言葉が痛い。刺さる。怪我しそう。

「というかそんなことする人、ホントにいるんですか?」
「いる、デショ?」
「少なくとも私は初耳ですけど」
「……え、え、なにその “及川さんもしかして一人の時そんなことしてるんですか 信じられない キモい” みたいな反応は。やめて、言ってる俺の方が恥ずかしくなるからやめて」

 強張っていた彼女の顔が、ふわっとゆるんだ。いい笑顔。困ってる顔も捨てがたいけど、やっぱり君は笑っている方が可愛い。
 笑われるのは厭だけど、笑わせるのは好きだよ。今回の場合はどちらなのか微妙だけどね。

「でも私ほんとにそういうこと初めてだし」
「初めて?」
「はい。初めてです」
「初めてだから余計に意味があるんだよ」
「第一男の人と喋るのさえ苦手、で…」
「今よく喋ってるじゃない」
「あ、れ…?」
「あー。つまり及川さんは例外ってこと」
「いや、あの」
「及川さんは特別な存在ってことだね」
「えーと、」

 そろり、逃げようとする腕を捕まえる。
 怯えた顔が俺を見上げるから、ざわついた。

「及川、さん?」

 怯えた声で呼ばれる名前が加虐心をあおる。
 そんな反応ひとつで、俺をその気にさせといて。なのに自分は無意識のまま逃げおおせようなんて、そんな仕打ちが許されると思ってるの?

「ほら、ここ」

 腕を捕まえたまま、空いた手で自分の頬をトントン。指し示す。

「はしたない、じゃないですか」
「ただのホペチューだよ?」

 言いながら、本当はドキドキしていた。
 なんでよりによって今選ぶワードが「はしたない」なの。そんなこと言われたら全力で君に「はしたない」ことをさせてしまいたくなるデショ。

「うー」
「ほら」
「むぅ」
「早く」

 ほら早く。ほっぺたに。
 頬を指さしたまま横目で盗み見たら、彼女がさっきまでよりもっとずっと困った表情をしていたから。困り果てて俯く表情が、可愛くてかわいくて堪らないから。いまにも泣きそうな顔をしているから。
 こんな顔をさせたのは俺だ、と思えばますます堪らない。

「…あ、の」

 こんな声を引き出したのは俺だ、と思ったら、

 ああ、もう。
 無理やりにでも奪ってしまいたくなるじゃないか。

「!及川さ」
「黙ってて」
「っ、」

 頬も、髪も、はしたない声を漏らす唇も。
 もっと、もっと、その先も。

 奪う。
 
リミットオーバー
いっそ、泣かせてしまいたいと思った
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2013.11.27

いたい子。
なのにイケメンという、ああ

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