うなずくだけ

 たとえば。「好き」という単語を一度も使わずに「好き」な気持ちを正確に表現するとしたら、どうすればいいのだろう。
 たとえば。「好き」という言葉を禁じられてしまった世界があったとして、人々はどうやって感情を伝え合うんだろう。
 埒もあかない無駄なことを考えていたらまったく眠れなくなって、ほぼ完徹のぼやけた身体をもて余しつつ必死であくびを噛み殺していた翌朝のこと。私とは対照的に爽やかさ2000%の菅原くんが目に映ったら、彼だって私と同じ迷路に迷いこんで眠れなくなってしまえばいいのに、と思った。

「菅原くんに命題です」
「どうしたの急に」
「ぜんぜん急にじゃありません。ずっと考えてました。ずっと考えていたら昨夜は全く眠れなくて考えても考えても答え出なくて迷子みたいにぐるぐるモヤモヤしたら余計に目が冴えてそれで、」
「ああ、だからいつもよりぼやけた顔してんのか」
「ほっといてください!」

 最大限の目力込みでそう言えば、「そんな顔も可愛いけどな」ってベタ甘な台詞をさらっと口走った上に びっくりするくらい優しい笑顔が降ってきて、すっかり力を殺された。相変わらず、菅原くんってなんて端正な顔だろう。何度見ても、毎朝会うたびにみとれる。

「というか、なんで敬語?」
「そこは問題じゃないの!今は!」
「あ、戻った」
「茶化さないでください!」
「はいはい。分かったから」
「菅原くんは分かってない」
「まあ、ちょっと落ち着くべ」

 ポン、と頭に乗せられたてのひらが温かい。
 そのままあやすようにポンポンと撫でられたら、うっかり気持ちが緩みそうになる。

「落ち着いてるよ、私しっかり落ち着いてますから。別に焦ったりとかもしてませんし。そうやって頭さえ撫でておいたら いつもいつも私が喜んでご機嫌になると思わないでよね。子どもじゃないんだから」
「知ってる」

 一息で喋ったせいで乱れた呼吸を整えている私に向かって「いくら俺でも子どもに手は出さないよ」なんて続けて、真っ直ぐに見下ろしながら菅原くんの指が髪をくしゃくしゃにするから。おふざけの欠片もない透き通った瞳の横で、ほくろがやけにセクシーに見えるから。あの日のことを思い出して、胸の奥がきゅうっと詰まった。

「ちゃんと知ってるよ」
「……」

 菅原くんが私のなかに踏み込んできたあの日。
 手を出されたくて、踏み込んで欲しくてずっとずっと待っていたくせに、気持ちとは裏腹に「やめて」って言うことしかできなくて、なのに全然聞き入れて貰えないのが嬉しくて。本当はもっと踏み込んで欲しくて、ぐちゃぐちゃになりたくて、いっそ二人が溶けて一つのものになれたら良いのにって思ったあの日。

 子どもに手は出さないよ──

 そんな言葉ひとつで、あの日のシーンが鮮やかによみがえる。
 いつも丁寧なトスを生み出すきれいな手が、それよりもっとずっと丁寧に、丁寧に私に触れたあの日。混ざりあって、自分の肌に染み込んでしまった菅原くんの匂いが、このままずっと消えなければ良いのに、って思ったあの日。

「ばか」
「顔、赤いよ」
「そんなこと、ない」
「なに思い出してんのかなァ」

 真っ直ぐに見下ろしていた視線が少しだけやわらいで、細くなった瞳が楽しそうに歪む。
 聞かなくても分かっているくせに。

「なにも思い出したりしてないし。いい加減頭から手を退かしてください」
「はいはい」

 本当は私の考えなんて全部お見通しのくせに、はいはいなんて物分かりの良い相槌を打つ。
 そうやって油断させておいて、菅原くんは全然逆の行動を取ったりするのだ。なんてタチが悪いんだろう。

「あの日、みたいだよね」
「な なにが」
「赤い顔」

 ほら。
 頭を撫で続けていた掌が、当たり前のように耳たぶに滑り落ちる。子どもに触れているのではない、ということが確実に伝わってくるやり方で頬に触れる。吸い付くようななめらかな指先から想いが滲み出ているような、そんな。

「……、」

 愛しくて愛しくて堪らないと書かれた目が、私だけを見ている。

「あん時と同じ」
「おなじ?」
「そ。あの日と、な」

 あの時と同じ顔。
 自分はいまどんな顔、してるんだろう。
 私、あの時どんな顔をしていたんだろう。
 自分のことは全然分からないけど、でも。

 菅原くんは、
 そんな顔してたよ。

 熱っぽい瞳は私だけを見据えていた。あの時も今も。長い睫毛も、いつもとは違う表情も、ひとつも見逃したくなくて胸が震えた。
 あの時と、同じ顔。
 長い指が髪の隙間に忍び込んで、慈しむようにゆっくりと梳く。菅原くんの表情はひどく優しくて、染み付いてはなれない記憶が鮮やかに引きずり出される。
 やだもう、私なにも思い出してない。やだ。

「菅原くん」
「ん?」
「やめて、って」

 恥ずかしくなって俯いたら、顎を掬われた。
 至近距離で見つめられて、そこがどこなのか忘れそうになった。
 やめて、もう私に触れないで。それ以上触れられたら、あの日を思い出してしまうから。そうすれば、どうしようもない気持ちになってしまうから。

「やめて、ください」
「もう頭は撫でてないけど」
「………ずっと考えてたのに」
「ん?」
「命題」
「寝不足の原因か。どんな?」
「あのね、゛好きという言葉を使わずに好きを表現してください゛ってね。そういうやつ、だったんだけど。なんかもう、どうでもいいやって思えてきた」
「というか俺、いま実践中」
「ん。知ってる」

 言葉なんて無くても。どうでもいい。
 言葉なんかじゃ足りない。全然足りない。

 簡単なことだった。

「充分伝わってるべ」

 だから、私はもう何も言えない。
 その目が、指が、菅原くんの全部が、好きよりももっと強い想いを伝えてくれるから。
 あとは黙って

うなずくだけ
もしも伝わってないのなら、他にも術はたくさんあるんだよ。なんなら今ここで全部試してみる?
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2013.12.12
ベタ甘。糖度222%(当社比)
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